リスクを取って砂漠の中のオアシスを見つける、それがビジネス成長――アプレッソ 代表取締役社長 小野和俊氏:長谷川秀樹のIT酒場放浪記(2/4 ページ)
安定したエンジニア生活から一転、アプレッソに代表取締役として引き抜かれ、ベンチャーの荒波にもまれることになった小野氏。「心が動いたらブレーキをかけない」をポリシーとする小野氏が編み出した、一点突破でスキルを伸ばしていく“ラストマン戦略”や、事業成長の見極め方、エンタープライズソフト市場の価値構築法とは?
「リスクを取る」のは、無謀なのか、勇敢なのか
長谷川: それで首尾よくシリコンバレーに行ったとして、サンマイクロには何年いらっしゃったんですか?
小野: 半年研修、半年シリコンバレー、半年エバンジェリストの約1年半。とても濃密な時間でした。
長谷川: それなのに、どうしてアプレッソを起業しようと思ったんですか。学生時代から起業は全く考えていなかったんでしょう?
小野: ええ、当時も全く考えていなかったですね。ジョブローテーションで出向扱いだったのが、それなりに成果を上げて、転籍のオファーがあり、「やったぜ! これでしばらく頑張れる」と喜んでいたくらいですから。
そんな時にアプレッソの代表取締役の話が転がり込んできても、正直“うさんくさい”と思っていたんです。
長谷川: えっ。というと、ご自身の事業による起業ではないんですね。
小野: はい。もとはシリコンバレーのベンチャー企業の日本法人を作ろうとしたのがきっかけです。
ところが、お金は集まっているのに、事業の核となる製品ができていない。そこで、自分たちで独自の製品を作らないといけない、それを作ってくれる若い技術者が欲しいということになって、私に声がかかったんです。2000年の夏頃でした。
長谷川: うわ〜、それは、怪しすぎますよね。普通は断るでしょう。順風満帆なエンジニア人生が始まったばかりだし。
小野: その通りなんですよ。僕も最初はお断りしたんです。でも、そこで「どうしても会ってほしい人がいる。答えを出すのはその人に会ってからにしてくれないか」とオーナーの方から言われて、ある方にお会いすることになったんです。
それでお会いしたのが、シティバンクの「シティダイレクト」のアーキテクトをした方で。「当時勢いのあったネットスケープを蹴ってまで、自分はベンチャーに参加した」と言うんです。その理由を尋ねると、「リスクを取りたかっただけ」と。それを聞いた瞬間に「がーん!」と雷に撃たれたような気がしました。
長谷川: その人、かっこいいなあ。それで合流することにしたんですか。
小野: いやいや、確かに衝撃的でしたけど。当時サンマイクロの本社所属の道が開けていたのに加えて、シリコンバレーでの上司が起業する会社のCTOの席も確約されていたんです。それを蹴ってまで行く価値があるのか、頭を冷やして考えなきゃと(笑)。
客観視するために、自分が「砂漠の中のオアシスを見つける」というゴールを想定して考えました。水筒なしで目指すのは無謀、水筒の水が溢れんばかりなのにちゅうちょするのは臆病、果たして自分はどういう状態なのかと。
その結果、オアシスが「面白いソフトウェア製品を作る」ということであれば、プログラミングにはかなりの自信がありましたし、これ以上サンマイクロでキャリアを積んでも、いまとそう変わらないだろうと考えたんです。
長谷川: それで怪しげな会社に行っちゃったんですか。でも、自分でサービスを作れる自信があるなら、自分で立ち上げるという手もあるじゃないですか。その方が成功したときのリターンも大きいし。その会社に固執する理由があったんですか?
小野: いや、そのあたりは24歳で無知だったからですね(笑)。ただ、すでに会社登記も資金調達もなされていて、スタッフも5人いましたから、すぐに開発してリリースできる環境が整っていたこともあります。取りあえず、ゼロベースで製品を作らせてもらうという約束で、代表取締役として入りました。
日本初のデータ連携・統合ソリューションDataSpiderで大躍進
長谷川: それで、スタートアップは順調だったんですか? アプレッソというと、データ連携・統合ソリューションのDataSpiderがすぐに浮かびますけど。
小野: はい。何を作るかとか、ピポットはほとんどせずに、いきなりDataSpiderを作り始めて、そのまま今に至っています。まあ、実際にはコードをほとんど書いたことがないエンジニアとか、スタッフィングなどにはいろいろありましたが、すでに野村総研でのアルバイト時代にDataSpiderの構想や原型はできていたので、黙々と作業する感じでした。
長谷川: DataSpiderは、どのくらいでリリースされたんですか。
小野: 僕が2000年10月にジョインしてから約半年後、2001年6月ですね。僕以外にコードを書ける人間はほとんどいなかったので、最初はほぼ1人でゴリゴリ書きながら、並行して他のスタッフのJava教育をして、少しずつアダプターからカーネルなど、コア部分まで僕以外の人でも書けるようにしていったんです。
長谷川: 2001年くらいというと、インフォテリアのデータ連携ミドルウェア「ASTERIA WARP」も出てましたよね。
小野: DataSpiderが出た翌年の2002年だったと思います。インフォテリアさんは、1998年創業の日本で最初のXML専業ソフトウェアベンダーだけど、DataSpiderのような分野の製品という意味では、うちの方が少し早かったんですよ。
長谷川: 2000年代初めというと、「EAI(Enterprise Application Integration:エンタープライズアプリケーション統合)」という言葉はすでに登場していませんでしたか?
小野: ありましたね。webMethods製品とか。サンマイクロでもかついでいたシービヨンド製品とか。ただし、コンフィギュレーションできるといいつつ、複雑なスクリプトが必要で、ほぼコーディングという感じでしたね。
全くのノンコーディングでここまで短時間でデータ連携ができるようになるのは、当時はもちろん、いまも、DataSpiderだけです。
長谷川: それはもう、僕自身も実感してますからね。以前シービヨンドで同じことをやろうとしたら、えらく時間がかかるし、誰もが口をそろえて「データインタフェースの設定構築が大変」って言うんです。それが、東急ハンズで採用したDataSpiderの研修に行ったら、画面上でデータ群を選んで持ってきて、条件設定をしたらできちゃった(笑)。そのあっけなさに驚きましたね。
小野: 僕はプログラマーなので、いわゆる外資系のマーケティング的な、「御社のビジネスが劇的に変わります」みたいな大風呂敷広げた製品って大嫌いなんですよね。価格は10倍、手間も10倍。そりゃあ実現すれば、何らかの効果があるでしょう。でもそこに行き着くまでに、現場では開発よりも面倒なコンフィギュレーションに右往左往して頭を抱えてという状況になっている。
だから、とにかく「現場に優しい」ものを作ろうと考えていました。
長谷川: いまや、あちらこちらで名前を拝見しますよ。バックヤードなのに、かなり目立ってますよね。
小野: おかげさまで(笑)。
導入第1号は実はNHKさんなんですよ。当時、「高校野球のスコアをできるだけオンタイムでデータに反映させたい」という要件があって、その打ち合わせ中にメモを取るフリをしながら、その場でプロトタイプを作ってみせたんです。それで即決で導入いただきました。最初の10社くらいはそのパターンです。
長谷川: やりますね〜。“サプライズ営業”!
小野: 最初はちょっと苦労しましたが、その後はけっこうインバウンドで問い合わせが来るようになりました。
長谷川: 営業やマーケティングもされていたんですか。
小野: いいえ、僕はあくまで技術者ですから。設立後、比較的初期の頃から一緒に代表取締役をやっていた元IBMの長谷川礼司が、アメリカのベンチャー企業の日本法人の代表やアップルなどで経営中枢を経験していて、営業やマーケティングの責任者でした。
僕はサプライズ営業が好きでしたけど、それではスケールしませんしね(笑)。とにかく技術者としていいものを作りたいという気持ちが強かったので、2003年からは長谷川に社長を譲って、私が副社長兼CTOとしてやってました。
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