プラットフォーマーの立場から世界の美容業界にイノベーションを――アイスタイルの取締役兼CFO 菅原敬氏:長谷川秀樹のIT酒場放浪記(1/4 ページ)
月間約1400万人が利用するという美容情報サイト「@cosme」を運営するアイスタイルの取締役兼CFO 菅原敬氏。アイスタイルの創業秘話や、社内エンジニアの地位を変えたという組織づくりのコツ、世界の美容業界の変革を目指す語る菅原氏の経営哲学とは。
この記事は、「HANDS LAB BLOG(ハンズラボブログ)」の「長谷川秀樹のIT酒場放浪記」に2016年8月23日に掲載された記事を転載、編集しています。
ハンズラボCEOの長谷川秀樹がIT業界のさまざまな人と酒を酌み交わしながら語り合う本対談。
今回のゲストは、「@cosme」を運営するアイスタイルの創業時から関わり、現在は投資会社も経営する、アイスタイル取締役兼CFO(最高財務責任者)の菅原敬氏です。実は「IT酒場放浪記」のきっかけにもなったという菅原さんとのお話は、創業秘話からシステム開発の組織づくり、美容業界の変革への思いまで、多岐にわたりました。
目次
1.アイスタイルの創業を手弁当でサポートし、5年後に正式ジョイン
3.実はアイスタイルに向いているエンタープライズ系エンジニア
4.@cosmeに販売店情報が追加されたことでできるようになること
5.美容を「女性が賢い生き方を追究すること」と捉え、ビジネスの領域を広げる
8.「IT酒場放浪記」スタートの裏には菅原さんとの出会いがあった
アイスタイルの創業を手弁当でサポートし、5年後に正式ジョイン
長谷川: 菅原さんは、どういう経緯でいつ頃アイスタイルにジョインされたんですか?
菅原: アイスタイルの社長の吉松とは、同じ'96年にアクセンチュアに入社してるんですよ。入社2年目に、僕がアサインされていたプロジェクトに吉松が入ってきて、そこで一緒になったんです。僕らの1つ下には、今は投資家で2000年頃はビットバレーブームの中心にいた松山太河という奴がいて、「もうコンサルティングなんてつまんないから、ネットベンチャーやりましょうよ」なんて話をしていたんですね。それで吉松もネットエイジという会社にボーナスを突っ込んで投資したりして、徐々にIT起業家のコミュニティーに入って行き……。
長谷川: それで、「コンサルなんてやめちまおう」と?
菅原: ちょうどそのころ、吉松の友人の山田メユミという女性が伊勢半という老舗の化粧品メーカーで働いていて。山田はコスメの開発やブランドの立ち上げをやっていたんですけど、自分も化粧品大好きだし、仕事でもプライベートでもいろんなメーカーの化粧品を使うので、その感想文をメモしていたんです。それを「週刊コスメ通信」というメルマガで配信し出すと、半年くらいで5000人くらいの読者が付いたんですね。
長谷川: 5000人はすごいですね。
菅原: で、「その商品、私はこう思いました」という読者からの反応が、たくさんそのメールボックスに返ってくるんです。職業柄、吉松はそれをデータベースに格納したくなるわけですよ。そうすればHTMLで表示できるし、投稿も受け付けてアップデートもできる、「そのままにしておくのはもったいない」と。「それやったら、世の中の人たちがすごいハッピーになるんじゃない?」ということで、2人は有限会社を立ち上げた。それが'99年7月、アイスタイルの始まりです。
長谷川: そうだったんですね。
菅原: その半年前ぐらいから僕も巻き込まれて、うちの実家とか、夜中のプロジェクトルームとか、地方のプロジェクトで滞在していた借り上げマンションの中とかで、何人かで事業計画を一緒に書き、投資家回りをして、サイトの構築のためのドキュメントも作って……。アクセンチュアの奴らは同期も後輩もみんな巻き込まれましたよ。
僕はフルタイムで入ってくれって言われたんだけど、まだコンサルタント3年目ですからね。吉松の新しいチャレンジを応援したいけど、もともとコンサルティング業界に憧れて入ったので、もうちょっとやりたかったんです。取りあえずマネジャーの仕事を一通りやったら一人前なんじゃないかと思ったので、シニアマネジャーに上がるタイミングで辞めるつもりで、しばらくはコンサルの仕事をしながらサポートしていました。海外出張に行けば、化粧品の「あれを買ってこい、これを買ってこい」とか、いろいろ頼まれたり、こちらからは投資家を紹介したり、ずっと報酬もなしでやっていましたね。
で、途中から会社法が変わって、2001年かな、取締役が3人必要になり、「取締役が足りないからなってくれ」と言われて取締役になったんです。僕がフルタイムで入ったのは2004年。アクセンチュアの次に入ったアーサー・D・リトルという戦略コンサルティングファームで、シニアマネジャーに昇進できそうかなといった時期です。
長谷川: アイスタイルの立ち上げから5年ぐらいは並走して、5年後ぐらいにやっとフルタイムでジョインするということになったんですね。
社内エンジニアの役割を変え、開発のスピードを向上
菅原: 僕が入ったタイミングでは、基本的に吉松と山田が全てを見ていたんですよ。いわゆるベンチャーの組織としてよくありがちなハブ&スポーク型で、中心にいる創業者が全てを管轄している、そういうマネジメントの仕方を4年間やって、かなり厳しくなっていたんですね。
長谷川: その当時で何人くらいの組織になっていたんですか?
菅原: 60人くらいですかね。もう全部見きれないということで、チーム経営をしようと、吉松は僕の他にも佃、高松を誘って取締役にしたんです。
長谷川: チーム経営への転換はすぐにできるものですか?
菅原: その前に、けっこう経営課題がありましたね。収益源のほとんどが広告だったんだけど、当時は広告代理店さんとのお付き合いが分からなくてゴタゴタしていたり、組織の中では営業がすごく力を持っていて、組織内バランスが崩れてたりね。
そんな中で、エンジニアは単なるソフトウェアの製造工場になっていて。会社の屋台骨は@cosmeというサイトなんだけど、それをどんどんブラッシュアップして新しい機能を作っても、「お疲れさま」とも言われず、バグがあればみんなから総スカンだし、「なんであれができたのに、これができないの?」みたいなことを言われる。エンジニアの開発のキャパシティーが会社の収益のボトルネックになって、「だから会社が成長できないんだ」みたいな雰囲気になっていたんですね。
長谷川: あぁ……。
菅原: 新しく入った3人がそれぞれテーマごとの課題をしていくんですけど、僕はCTOをやったんです。それでシステムの内製を止めました。みんな開発が好きかもしれないけど、いったんストップ。エンジニアたちには、「俺たちは下請け工場じゃないんだ。うちはIT企業で、俺たちはその収益基盤をつくって会社の屋台骨をつくるんだ」と言ったんです。今でいうエンジニアリングプロデューサーですけど、当時は「社内ITコンサルタント」という言い方をしました。
で、懐かしのBIメソッド(当時アクセンチュアで使われていたソフトウェア開発メソドロジー)、あれの簡略版を僕と数名のチームで作ったんです。ドキュメンテーションの仕方だとか、当時はウオーターフォール型だったので、開発のチェックポイントからテストシナリオの設計の仕方から、あとはコメントのルールなんかも全部、最低限のレベルでかなり明確な方法論を導入しました。そして、いろんなコネでパートナーさんを引っ張ってきて、全部外注化したわけです。
長谷川: ほう。
菅原: 1、2年たつと、社内のエンジニアの地位は上がりましたね。「みんなの希望をきれいに実現してくれる」という評価になった。外注化したことで、コストは若干上がったでしょうけど、開発による成長のボトルネックがなくなって、エンジニアの地位が上がって、イコール「パートナー」になった。そうやって会社をすごくフラットにしたというのが、僕が最初の1年ちょっとでやったことですね。
長谷川: 実は東急ハンズも今、同じ状態に陥っているんですよね。2008年以前は自社開発してなかったんで、年間の活動計画にあることしかやらないから、ユーザー部門はシステムに対する要望があったとしても、リクエストするのも諦めていた。
そういう状態のところに僕が来て、自社開発を始め、「こんなの欲しい」って言われたらすぐに「はい、できましたー!」ってやるようになって、最初は超喜んでもらってたんです。だけど、それから7年ぐらいたったら、さっき菅原さんがおっしゃっていたのと全く同じことになっちゃったんですね。
つまり、システム開発は固定費でやっているので、誰も追加の金を払っていないという状況で、「要件言ったもん勝ち」みたいになって、どんどん要望は来る。でもやっぱりキャパシティーには限界があるから「それはできない」となると、「何か遅れている」というふうな話になっていくんです。まさに「工場じゃねえんだ!」という感じで(笑)
菅原: うんうん。
長谷川: ここで一発また“揺り戻し”で変えないといけないかな、と考えています。内製が悪いわけでもないんだけど、ライフサイクル的に一度ガーッと揺り戻して……、そうすると、またそれはそれで、高いだの、動きが遅いだのということになると思うんですけどね。
菅原: 行ったり来たりなんですよね。僕らも、さっき言ったような形で、スピードもクオリティーも上がって、会社の成長につながって良いことずくめだったんですけど、今度はドキュメントがないと作れなくなっちゃった。ITコンサルタントがパワーを持ちすぎて、ドキュメントだらけの開発チームになっちゃったので、今度は簡素化しないといけないと。だけど全部内製化するのはすごく時間がかかるので、内製と外製のミックスの体制に、僕の次のCTOが切り替えたんです。
長谷川: なるほど。えぇ話ですな〜。
菅原: そしたら、そのCTOはすごく悩んでね。何かというと、“内製プラス外製”でコストコントロールの難易度が一気に上がったんです。Excelですごい膨大な表を目をチカチカさせながら管理して……。彼が3年くらいやって、その後で今のCTOに変わって、ようやく落ち着いた感じですかね。
関連記事
- 連載:「長谷川秀樹のIT酒場放浪記」記事一覧
- 「攻めのIT」「提案する情シス」を“目指す”と失敗する――ハンズラボの長谷川氏
「攻めのIT」「提案する情シス」を“目指す”と失敗する――。ハンズラボのCEO、長谷川さんの言葉には、情シスの今後を考える上でのヒントが隠されている。「まずは飲め」と檄を飛ばす長谷川さんの真意とは。 - プロ経営者 松本晃会長の下、現場では何が起きていたのか――カルビー大変革の舞台裏
日本を代表するプロ経営者として知られるカルビーの元会長、松本晃氏。同氏がカルビーの経営に大なたを振るったとき、人事やIT部門はどんな施策でそれに対応しようとしていたのか。現場の取り組みに迫った。 - 経営の数字を変えないIT投資は意味がない ライザップIT部門のトップが語る「これからの情シスの役割」
「システム投資をする上で私自身がとても重要視しているのが、経営の数字をいかに変えていくか”。これを徹底してやってきた」――。これがライザップのIT部門を率いる岡田章二氏のポリシーだ。同氏は難しいといわれる“経営と一体化したIT投資”をどうやって実現しているのか。 - 画像認識や音声認識、APIで“いいとこ取り”できる時代に――ハンズラボ・長谷川社長
基幹システムのフルクラウド化という“大仕事”が終わったハンズラボ。次なる目標は、画像や音声認識を取り入れることだという。APIを使って気軽にシステムが組める今、長谷川社長は「システムを“選ぶ”必要性がなくなった」と話す。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.