JALはRAGの“試練”にどう立ち向かったか プロジェクト中断から利用率80%超に至った「JAL-AI」の軌跡:Enterprise IT Summit 2026冬 イベントレポート
AI導入に慎重だったJALはなぜ、全社展開へと踏み出せたのか。試行錯誤と戦略転換を重ねた同社の取り組みは、AI活用に悩む多くの企業へのヒントを与えてくれる。
企業におけるAI活用が進む中、導入初期の失敗や中断がありながらも前進する企業はどのような教訓を得ているのか。2022年の「ChatGPT」ブームに端を発し、プロジェクトの中断と再始動を繰り返しながら、現在はグループ全体の従業員の80%以上がAIを活用している日本航空(以下、JAL)の取り組みは、AI導入の実践知を与えてくれる。JALでAI活用を推進する山脇学氏がその舞台裏を語った。
本稿は、アイティメディアが主催したオンラインセミナー「Enterprise IT Summit 2025秋」(2025年11月17日〜20日)の講演「データ利活用を実現するためのデータマネジメント」の内容を編集部で再構成したものです。
リスク検討会が生んだ、AI活用への転換点
2022年のChatGPTブーム当初、JALはAI導入に対して慎重な姿勢を取っていた。リスク分析と安全性の検証が重視される企業文化の中で、AIが持つリスクへの対処が優先された。しかし2023年3月頃から生成AIの普及が急拡大する中、業務におけるAI活用を検討し直す必要があると判断したという。
同年4月、JALは「ChatGPT・AI活用に向けたリスク対策検討会」を開催。グループ会社の窓口担当者や各本部の代表者など約100名が集結し、AIの活用方針とリスク対策について専門家を交えて議論を重ねた。そこで導き出された結論は、業界の現実を直視したものだった。「今後、航空業界でも各社がAIを導入し、それが新たな標準となることが予想されます。JALグループでも、AIを活用した生産性向上は避けて通れない課題であると判断しました」と山脇氏は振り返る。
そこで2023年8月、JALは初版の「JAL-AI」をリリースした。社内の情報がモデルの学習に利用されない安全な環境を構築し、全従業員に提供を開始した。
次のステップとして、業務連絡や規程、マニュアルなどの検索機能を実装したいというニーズが上がり、RAG(検索拡張生成)にチャレンジすることになった。第1弾として、従業員が持つべき意識や価値観、考え方をまとめた「JALフィロソフィー」の取り込みに挑戦した。
しかし、ここで思わぬ試練に直面する。
2万5000文字のテキスト情報を取り込むだけで、2カ月を要してしまったのだ。「今のAIならすぐに取り込めますが、当時はそれだけの時間がかかりました。さらに取り込む文章を増やそうとすると、大きなコストと時間がかかることが判明。思うように進められないという現実がありました」と山脇氏は語る。
課題に直面したことで、2023年の終盤、JALはプロジェクトを一時中断。計画を練り直す道を選んだ。
「AI-Ready」から「AI-Powered」へ戦略転換
中断期間中の2024年1月、JALはAIに対する戦略そのものを大きく転換させた。経団連の「AI-Ready化ガイドライン」に基づく「JAL-AIの行動計画」を策定したのだ。
同社の目標は、当時の「レベル2 AI-Ready化の初期段階」から、2025年度までに「レベル4 AI-ReadyからAI-Powered化への展開」へ進むこと。同時にJALは「JAL AI原則」を策定し、Webサイトでの公開を開始した。AIを利用する際の基本方針を明示することで、社内外への信頼醸成を図った。
こうした準備を整えた上で、2024年1月、JAL-AIプロジェクトを再始動させた。重点を置いたのが「インナーブランディング」だ。キャラクター「エイブル」と「アイリーン」を活用して認知度向上を図り、シールの配布や、「午前午後、1日2回のAI利用で8%の効率化」というメッセージを掲げた法被なども製作した。
さらに「JAL-AIキャラバン」と銘打ち、国内外で60回以上、さまざまな職場に出向いてハンズオンやAI活用のディスカッションを実施。延べ1000人以上の従業員が参加した。「AIで仕事がラクダ(楽だ)」というメッセージを地道に発信し続けることで、知名度の向上を目指した。
汎用生成AIとの役割分担でJAL-AIの活路を見出す
2024年3月に再リリースされたJAL-AIは、具体的な業務ニーズに応えるツールへと進化していた。再開時に最もニーズが高かった「議事録の効率化」という要望に応えるべく、「Zoom」会議の録音などの音声データをアップロードすると文字起こしや要約を作成する「JAL-AI議事録」を開発した。
ところが、JAL-AI議事録のリリースから2カ月後の2024年9月、Zoom自身が「Zoom AI Companion」をリリースし、同等の機能が簡単に利用できるようになってしまった。この出来事から山脇氏は「汎用製品の進化は非常に早い」という現実を学んだという。
この気付きから、JALは方針を転換。「汎用製品にはできない部分を自社で開発する」という考え方へシフトした。現在、JALは全社でGoogleの「Gemini」を導入。Geminiで対応できる領域はGeminiに任せ、社内情報の活用や社内システムとの連携など、Geminiでは対応できない領域をJAL-AIで補完する役割分担を実現している。
4本柱で進めるAI活用の全体像
JAL-AIの実装は4本の柱で構成されている。
第1の柱は「社内ナレッジのAI化」だ。「Google Workspace」をコミュニケーションツールとして活用するJALは、「Google Drive」に格納されている情報の検索が可能なチャットbotの開発から着手した。個人が所有するファイルを要約するツールとして「NotebookLM」も展開している。
第2の柱は「AIインフラ整備」だ。「Google Chat」のパーソナルアシスタント開発、文字をアップロードして音声データを出力するツール、稟議書標準化ツールなどが実装されている。オフライン環境でのAI活用も模索中だ。Microsoftの小規模言語モデル「Phi-4」を活用し、通信が接続できない空港や機内でもAIによる業務支援が可能か、実証実験も行った。
第3の柱は「AIリテラシー」の向上だ。情報交換のためのAIコミュニティ運営と全社教育を進めており、「デジタル啓発プログラム」と称したオンラインワークショップを現場の従業員も含めて実施している。プロンプトの書き方やJAL-AIの機能活用について、2時間の教育の内1時間を実践に充てることで、全グループ社員がAIに触れたことがある状態を実現している。
第4の柱は「業務領域ごとの活用」だ。安全性が最優先される整備現場では、AIによる「生成」ではなく、Google Driveの情報を「検索」する機能を重視。コンタクトセンターや、国内全空港のスタッフ向けの支援ツールも順次リリースされている。
これらの施策の結果、2025年4月時点で、JALグループ従業員のJAL-AI利用率は80%以上、間接部門では100%を達成しているという。
AIが普及するにつれ、ROI(投資対効果)の見える化が強く求められるようになってきた。その点について山脇氏は次のように語る。
「AIのROIを可視化するには現場の協力体制が欠かせません。そして、経営層が自らAIを使いこなし、メッセージを発信し続けることが、AIのROIを引き出す鍵になると考えています」
AI-Powered企業を目指した人財育成の挑戦
同社の最終的な目標は、経団連のガイドラインにおける「レベル5 AI-Powered企業として確立・影響力発揮」だ。当初、航空会社としてそこまで必要かという議論もあったが、AIエージェントが普及する社会においては目標を引き上げるべきだと判断された。
その実現に向けて、2025年8月に「JAL AIカレッジ」が開校された。1回生から4回生までステップバイステップでAI人財を育成する仕組みだが、ここでも試行錯誤が続いた。内製した1回目のコンテンツ、外部委託した2回目のコンテンツは、いずれも納得のいく仕上がりにならず、3回目でようやく、航空業界特有のユースケースを盛り込んだ従業員に響くコンテンツが完成した。2回生向けには、「YouTube」のJALサブチャンネルとコラボしたウェビナーも実施。現在は50科目ほどの選択科目を目標に展開されている。
人財育成と並行して、AIの活用領域も着実に広がっている。JALは、ビジネスのバリューチェーン全体をAIがサポートする仕組みの構築を見据えており、その具体的な一手が、「JALカード」における「AIオペレーター」の導入だ。AIが電話対応をし、問い合わせを自動仕分けすることで、人間のオペレーターが注力すべき案件に集中できる環境の実現を目指している。
こうした取り組みの全体像を示すのが「JAL AI-Agenda」だ。全ナレッジのAI化と新しい知の創出を掲げ、「JALのことはJAL-AIに聞けば何でもわかる」世界観を目指してポータルサイトや規程などのデータ取り込みを進めている。
山脇氏は、「AIの活用から逃げることはもうできません。AIプラットフォームを整備し、未来の働き方を実現していく、これが我々の目指す姿です」と述べ、JALがこれからも“AI前提”の働き方を推進するという抱負を示した。
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