圧倒的傑作の『日本三國』を考察! “復讐劇”の向こう側へ……! 『チ。』と重なる“倫理的野心”について【アニメ考察・レビュー】(1/2 ページ)
ただひと言“圧倒的”。それが『日本三國』に対する私の率直な感想なのですが、皆さんはいかがですか? 今回は、なぜ『日本三國』がこれほど現代人に刺さっているのか、時代性や『チ。』との共通点、ハンナ・アーレントの『人間の条件』などを参考に考えてみました。
ただひと言“圧倒的”。それが『日本三國』に対する私の率直な感想なのですが、皆さんはいかがですか? 文明崩壊後の近未来日本を舞台に展開される、三国の争いと、日本再統一に向けて躍進する、主人公・三角青輝(みすみあおてる)の活躍を描く、松木いっか氏原作の大ヒット漫画『日本三國』。待望のアニメ化を迎えるや否や、各配信プラットフォームで上位にランクインし、SNSでも賞賛の声が上がるなど、今期最も注目を集めている1作です。
今回は、なぜ『日本三國』がこれほど現代人に刺さっているのか、時代性や『チ。』との共通点、ハンナ・アーレントの『人間の条件』などを参考に考えてみました。なお、本記事はTVアニメの第8話まで観た段階の考察になりますので、あらかじめご了承ください。
木島祥尭
ライター、作家。Fav-Logではアニメや映画の考察、ゲーム、ファッション、スポーツ用品の記事などを担当。ライター業と並行して、小説や漫画原作のお仕事も引き受けています。『第33回シナリオS1グランプリ』奨励賞受賞、著作に『自殺が存在しない国』(幻冬舎)、原作担当作に『仕組みという名の檻の壊し方』(フローラル出版/ビジネス書グランプリノミネート作)、『嘘つきカノジョの影盛さん』(コミックシーモア/原作)など。好きな数字は「0」。Twitter:@kirimachannel
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TVアニメ『日本三國』を考察:これは現実に根差した幻想。“暴力大革命”は決して絵空事じゃない
第四次産業革命に敗れ、少子高齢化により国力が衰退し、世界では核戦争が勃発。難民の流入やパンデミック、天災の発生、一部の資本家や政治家による悪政がはびこり、最後は民衆による“暴力大革命”によって、めでたく文明崩壊……。『日本三國』の導入はおおむね上記のような流れで紹介されていますが、これをただの“絵空事”と割り切れる人が、果たしてどれほどいるでしょうか? 少なくとも、私なんかは小心者なので、図星とばかりに「うっ……」と苦しくなる感覚を覚えました。
いや、だって現代人なら誰しも一度は想像した未来じゃないですか? 過去から現在のトレンドをそのまま延長させて未来を考える、いわゆる“外挿法”という思考法がありますが、少子高齢化なんかはまさに現在進行形で起こっている事象。現在のトレンドを未来へ引き延ばせば、人口減少による国力衰退は必至でしょう。
南海トラフ巨大地震も高い確率で起こることが予測されていますし、大国による戦争が常態化しつつある現在の不安定な国際情勢を考えると、核戦争のリスクも否定できません。難民問題やパンデミックに関しても、資源の欠乏が叫ばれる現代の差し迫った課題。アニメの中では一部のテックジャイアントが権益を独占する様子も描かれており、昨今のテック企業と政治の結びつきを見ると、これも否定できない未来。そして最後の“暴力大革命”も、アメリカを筆頭にしたポピュリズム政治の台頭や、議会襲撃事件などの状況を見ても、絵空事とは言い切れません。
恐ろしいことですが、全て私たちがすでに抱えている問題なのです。現実に根差した未来予測であるため、アニメを見ているつもりが、強制的に自分事化されてしまうところがあります。私たちはもはや“乱世”の入り口に立っているのだと、過酷な現実を突き付けられるような冒頭でした。ゆえに、私なんかは「お前の話だよ」と胸倉を掴まれるような感覚を覚えてしまったわけです。なるほど、時代性を考慮し、現実との連続性を確保している点は、人々に刺さっている一因と言えそうです。
また、アメリカが覇権国家としての実力を失い始め、中国とアメリカで世界を二分するG2という概念が飛び出すなど、パックス・アメリカーナが終焉しつつある現代。ロシアやイスラエルの動向も穏やかではなく、国際法の機能も衰えている印象があります。
国連というカッコ付きの「一つの世界秩序」ではなく、いくつかの世界に分かれる諸世界の時代へ突入しつつある今の時代状況を鑑みると、日本が三国に再編されているという設定も、実感として分かりやすいところがあります。
TVアニメ『日本三國』を考察:今は70年代と似ている? 『日本沈没』と『日本三國』に共通する時代背景
それにしても今日日「日本」という国名を、でかでかとタイトルに冠した作品が、こうして大ヒットするというのも珍しい印象はあります。というのも、やはり国名をタイトルに使うと、やや政治色が強まりますし、そういった作品は一部の層から支持されても、一般的なエンタメ作品として受容されるにはハードルがあります。
ご案内の通りかと思いますが、日本社会において「政治・宗教・ナンパ(性的なこと)」はセットで扱われ、公共の場で禁止事項として設定されることも少なくありません。実際、私自身、政治の話がしづらい空気を感じますし、うかつに話したりはしません。
こうした空気のハードルを乗り越え、『日本三國』は大衆作品として成立しています。それはなぜでしょうか? もちろんエンタメとしての質が極めて高いのは、言うまでもありません。それに加えて、私が思うのは「日本」という単位で考えざるを得ない、今の時代状況が後押ししている可能性です。ではどのようなタイミングで国単位の議論が盛り上がるのでしょうか。基本的には戦争や震災、パンデミックなど国単位の意思決定が重要な役割を果たす時だと思われます。
例えば「日本」の名を冠し、かつて大ヒットしたエンタメ作品に小松左京の『日本沈没』があります。同作は1973年に刊行されましたが、同年にはオイルショックが起こり、社会が混乱に陥りました。こうした時代背景が、カタストロフィを描く『日本沈没』に説得力を与えた部分は幾分かあると思われます。
では『日本三國』の連載が始まった2021年はどうでしょうか? 同年はまさにコロナショックの真っ只中であり、何よりアニメが始まった2026年はイラン戦争の勃発により、またもや石油不安を抱えている状況です。
73年の『日本沈没』と26年の『日本三國』は、戦争と石油危機という時代状況、そしていずれも国家単位のカタストロフィを扱う作品という点からも、非常に似ています。
このように「これから日本どうなるんだろう?」と、国家単位で不安を抱えている危機的な時代状況にあることも『日本三國』が、政治色が強いと嫌煙されず、大衆作品として自然に受け入れられた一因なのかもしれません。
TVアニメ『日本三國』を考察:“復讐劇”の向こう側へ。ハンナ・アーレントの“活動”から読み解く作品の狙い
『日本三國』は近年のヒット作の要素が、しっかり網羅されている作品だと思います。特に“貧困”と“復讐劇”の2点は、令和以降のヒット作を考える上で重要なポイントです。まず「貧困」ですが、青輝や妻の小紀は決して裕福な暮らしをしているようには見えず、どちらかと言えば貧しい農民という描き方だったかと思います。
これは『鬼滅の刃』の竈門炭治郎や『チェンソーマン』のデンジ、または映画『ジョーカー』や『パラサイト』、『イカゲーム』など、貧困というファクターを扱うことは、近年の世界的な傾向でもあります。背景には、貧富の差の拡大があるものと考えられます。日本でも一億総中流の時代は終わり、中流層が崩れ、貧困層が拡大していると言われています。シンプルに観客のボリュームゾーンが貧困層へ移動しているため、そちらへ合わせたコンテンツが求められているのだと推測されます。
また近年の潮流として外せないのが「復讐劇」のファクターです。韓国映画やドラマで顕著に見られる傾向ですが、漫画やWEBTOON、ネット小説にも浸透しており、一大ムーブメントとなっています。なんでもいいですが、漫画プラットフォームのランキングを見ると「復讐」を謡った作品がかなりの割合を占めていることが分かるはずです。
婚約破棄ものや、追放もの、スカッと系も広く捉えれば復讐劇と言えますし。「幸せな主人公→悪役によってどん底を経験→復讐心を燃やして邁進」というプロットは、採用されがちです。
『鬼滅の刃』や『推しの子』、やや変形ですが一族を殺されているという意味では『逃げ上手の若君』なども、基本的には復讐のプロットをベースに組み立てられている作品です。冒頭でどんな悲劇を提示できるか、その上でどんな復讐を描けるかという、いわば“復讐大喜利”を行っている状態と言えます。
『日本三國』も基本的には、こうした復讐劇の潮流に乗っかってはいます。しかし同時に『日本三國』は復讐のその先を、描いているのではないかと私は考えています。
劇中の内容を振り返ってみると、最愛の妻を失った青輝は一瞬、目の前の内務卿・平殿器(たいらでんき)に対して、復讐心をたぎらせています。ですが「こいつらを殺してなんになる?」と思い直し、冷静に粛々と事実の整理を行います。もちろん内務卿に対する激しい復讐心は消えていないと思います。
しかし、青輝を見逃した内務卿自身が「私と会話しているはずなのに、彼の目は遠い先を見ているようだった」と1話の最後で語っていたことから分かるように、青輝は単なる復讐心で動いている人物ではないでしょう。復讐心に支配されているなら、内務卿に突っかかるはずですし、遠い先ではなく内務卿を見て、いや睨んでいたはずです。では、1話のラスト、青輝は何を見ていたのでしょうか?
答えはエンディング後に、すぐ青輝が語ってくれています。「世を変えるために」これこそが青輝が、内務卿越しに見ていたものだと思われます。妻が語った“天下泰平”の理想を、自分が引き継いで実現するという意思が感じられる場面でした。
このことから『日本三國』は復讐劇という現代に受け入れやすいプロットで観客を招きながらも、別のより高次なものへ、橋を架け、導こうとしているように見えるのです。
さて、では『日本三國』は私たちをどこへ導こうとしているのでしょうか? それをひも解く時、参考になるのが哲学者ハンナ・アーレントの『人間の条件』です。彼女は第2次世界大戦下、ユダヤ人差別に苦しみながらも、生涯を通じてナチスドイツの全体主義と戦った人物。同調圧力から距離を取る青輝の思想を考える上でも、参考になるかと思われます。
アーレントは『人間の条件』の中で、現実に働きかけるアクションを、労働、仕事、活動の3つに分類しています。端的に言えば、労働は消費物を生産するほか、生命を維持するための働き全般のことで、食事など生理的欲求に根差したものも労働に含まれます。仕事は耐久性のあるモノ、家具や本など自分が居なくなっても存在し続けるものを作ること。そして活動は、他者と関わる営みであり、新しい動きを作り出すことを指します。
活動において重要なのが、私的利害からの自由です。例えば、生理的欲求を叶えた時、私たちは快楽を得ることができます。しかし、よく考えてみると、ご飯を食べる行為は自分がしたいからしていることではなく、体に命令されて行っているだけです。その意味で、私的利害に基づいた行動(生命を維持する働き=労働)は、欲望に突き動かされているだけなので、実は不自由であるとアーレントは考えます。
逆にこうした私的利害(出世欲や保身も含め)とは関係なく、自分を投げ打って何かを表現する、活動する時、人間は自由でかけがえのない存在になり得るとアーレントは考えていたようです。
この“活動”の概念をベースにすると『日本三國』が復讐劇の先に見据えているもの、描こうとしているものが見えてくるように思われます。青輝が美しいのは、私的利害にほとんど囚われていないということ。復讐心に囚われている状態は、まさにアーレントがいう私的利害や欲求の奴隷なわけですが、少なくとも現時点での青輝は復讐心を脇に置いて「天下泰平の世」という理想に向かって、自分を投げ打っています。
第2話、初めて阿佐馬芳経(あさまよしつね)と出会った時も、芳経に「君は人に媚びうらへんことをイケてると思ってるようだけど」と指摘されたり、同調圧力を掛けられたりしますが、自分を良く魅せようとか、同調してやり過ごそうとかせず「本気でこの世を変えるためにここへ来た」という姿勢を堅持します。
ここでのやり取りは、僕に従った方が良いと私的利害で揺さぶる側と、それを受け付けず自分を超えた理想を掲げる側を描き分けるものだったと思います。青輝は「殴られようが殺されようが屈しない」とまで言ってますので、このことからも生理的欲求の奴隷ではないことが分かります。
こうした同調圧力や保身、出世欲などで揺さぶりをかける場面は、劇中で繰り返し登場します。第5話にて、聖夷(せいい)での政変が起こり、輪島桜虎(わじまおうが)が勢いを増している最中、大和(やまと)の会議にて、輪島に帰順すべきかどうか、議論が巻き起こります。まさに同調圧力、保身、それから輪島への私的な恋心なども垣間見えた場面です。しかし青輝はもちろん、芳経、龍門、そして賀来はその流れに同調しません。
賀来は桜虎の真意を見破り「私たちは天下泰平という大いなる義のため」に死力を尽くしてきたと、帰順の提案を退けます。ここでの対立軸も、第2話と同じく目の前の私的利害に没するか、自分を捨て遠くの理想ないし大義に向かっているかです。アーレントの言う労働(生理的欲求)と活動の対立軸が見て取れるでしょう。
さらに第8話で龍門が自分を投げ打つ行動もそうですが、保身や欲に支配された人物より、そこから自由になり、自分のなすべき活動に身を置く人物を、本作では美しく描いているように見えます。『日本三國』は復讐劇からスタートしながらも、自分を投げ打って何かの大義を実現しようとする、活動の美しさへ私たちを導いているのかもしれません。
TVアニメ『日本三國』を考察:今の若者は保守的なのか? 『チ。』と重なる“倫理的野心”と“知行合一”について
単に理念や大義を掲げて、綺麗ごとを言っているわけではないのも本作の魅力です。その点は、オランダの歴史家ルトガー・ブレグマンの提唱する「倫理的野心(モラル・アンビション)」が参考になりそうです。倫理的野心とは「世界を劇的に良くしようとする意思や生き方」を示しており、「活動家の理想主義」と「起業家の野心」を組み合わせた概念として紹介されています。
印象的なのは「勝つことは倫理的な義務である」という章で、単に理想を掲げるだけではなく、勝たなければいけないということも示しています。“高潔な敗北者”になってはならないと。世界を良くする(天下泰平の世を作る)という大義だけじゃなく、実際に戦略を持って行動することが重要であると説いています。
『日本三國』の1話でも「知行合一」という言葉が象徴的に出ていましたが、アーレントの言う“活動”の高潔さを持ちつつ、ブレグマンの言う“倫理的野心”の勝つための行動を持ち合わせることが、天下泰平の世という大義を実現する時に必要なことなのかもしれません。
ここまで来ると復讐劇という小さな箱に『日本三國』を収めるのは、全く不適当であると言えそうです。個人的に『日本三國』を通して感じたのは「世界を良くするために戦略的に活動せよ」というメッセージでした。実際『日本三國』を見て、自分にも何かできるのではと、背中を押された人も少なくないのではないでしょうか?
また、真理や大義のために、自分を投げ打ちながらも、同時に世界を変えるため、戦略的に行動する姿勢は天才漫画家・魚豊氏の『チ。-地球の運動について-』にも見られるポイントです。『チ。』に関しても、最初は自分を守ること、保身に寄りかかった主人公が登場しますが、自分を捨ててでも証明したい真理を見つけ、そこに身を投じます。
ただ生きるだけでは満足できない、人間の性を表現しているとも言えます。こうした単に儲けるとか、単に生活するとかを超えて“静かなる野心”を掲げる作品が人気を博している状況を見るに、実はみんな意味があること、価値があることに、本当は身を投じたいと思っているのではないかと、私なんかは想像してしまいます。
最近の若者は元気がないとか、保守的(挑戦しないの意味)だなんて話は良く聞きますが、私はこの手の言説が好きではありません。まずもってすでに活動している若者はたくさんいますし、まだ動き出せていない若者も、実はかつての青輝のように、勇気が出ないだけで、心の中に火種を持っている可能性は大いにあります。そうでなければ『日本三國』や『チ。』に、そもそも反応できませんから。
青輝が小紀から勇気を与えられたように『日本三國』は一歩踏み出せずにいる観客の心に、勇気の火を灯してくれる作品のように思います。というか、私も火をつけられたので、何か自分を投げ打って取り組めることを始めなければと、ソワソワしています。
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