「ケータイ」を肌身離さず持ち歩く「ライフツール」へ進化させたドコモNTTドコモの20年(後編:2002〜2012)(1/3 ページ)

かつては“電話”でしかなかった携帯電話は、データ通信機能を備えたことでコンピュータへとそのあり方を変えた。そのコンピュータは、ネットワークと連携するさまざまなサービスを搭載し、今は生活に欠かせないライフツールとなっている。こうした変化の裏には、20年間のドコモの弛まぬ挑戦があった。ここでは前編に続き2002〜2012年までの後半10年をITmedia Mobile前編集長の斎藤健二と現編集長の園部修が振り返る。

» 2012年07月31日 18時00分 公開
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前編(1992〜2001)を読む


 1992年7月1日にNTTから分社し、ポケベル(無線呼出)や自動車電話サービス、携帯電話サービスを開始したNTTドコモ(当時はNTT移動通信網)が、2012年7月に創業20周年を迎えた。この20年で、単純な持ち歩ける電話としての「携帯電話」は情報機器としての「ケータイ」へと進化し、今や人々の生活をサポートする「ライフツール」として社会インフラの1つになっている。

 この20年間で、携帯電話を巡る環境は大きく変化した。人々は、電話そのものは数ある機能の1つとして使っており、テレビ電話やメール、IP電話、TwitterやFacebook®、mixiのようなSNS、LINEのようなチャットツールなど、多様なコミュニケーションツールを状況に応じて使い分けるようになった。そしてさまざまなWebサービスやクラウドサービスと連携して、必要な時に必要な情報にアクセスするようになった。

 多くの人は、“時間と場所の制約から解放された環境でのコミュニケーション”を享受した。それを可能にしたのが、ライフツールとしてのケータイだ。iモードケータイやスマートフォンは、肌身離さず持ち歩いているという人も多いだろう。誰かとコミュニケーションする、情報を入手する、生活のさまざまなシーンをサポートする、いざというときは助けてくれる、そんな役割を果たしてくれるケータイは、手元にないと不安になるくらい、生活の中の欠かせない1ピースとなった。

 こうした流れを創ってきたのは、間違いなく日本国内の携帯電話事業者の中でも最大手のドコモだ。ドコモは携帯電話の新サービスを開発・提供するだけでなく、ユーザーが購入後、さまざまな便利な機能を快適に使ってもらえるよう、連動して利用できる各種サービスもリリースしている。その積み重ねによって、ケータイはライフツールへと進化を遂げた。

 前編に引き続き、携帯電話市場が急成長した1990年代後半に創刊したITmedia Mobileの初代編集長斎藤健二と、現編集長の園部修が、当時の取材の様子などを振り返りつつ現在のドコモのルーツを探る。

 なお、ドコモの20周年記念サイト「ドコモthanksキャンペーン」にある「DOCOMO 20 YEARS COLLECTION」では、懐かしいCMや各時代の主要な機種の情報が公開されている。本記事を読んで、「そういえばあのときはこんな機種を使っていたな」といったことを思い出したなら、ぜひこちらのWebサイトをチェックしてみてほしい。そしてその思い出話を、FacebookやTwitterに投稿してみてはいかがだろうか。仲間と昔話で盛り上がれること請け合いだ。

PhotoPhoto ITmedia +D Mobile編集長の園部修(左)と、前編集長(現スマートメディア事業推進部長の斎藤健二(右)

iアプリの進化とコンテンツ市場の黎明期

 ドコモが創業10周年を迎えた2002年は、パケット通信の高速化が記憶に残っていると斎藤は言う。データが一度にたくさん送受信できれば、短時間で多くの情報が送れるのはもちろん、ユーザーが知りたい詳細な情報をタイムリーに届けることも容易になる。この頃はまだiモードを使うといっても、多くのユーザーはメールの送受信やiモードサイトの閲覧が中心だったが、高度なゲームやリアルタイムな情報配信に利用することを考えると、より高速な通信は必然だった。

 この年、これまで上りも下りも9600bps(現在主流のFOMAハイスピードの14.4Mbpsと単位を合わせると0.0096Mbps!)だったiモードのデータ通信速度は、下りのみだが28.8kbps(0.0288Mbps)に高速化した。この28.8kbpsダウンロードに対応したモデルが「504i」シリーズだ。

Photo iアプリが大きく進化した504iシリーズ。斎藤は「P504i」を購入し使っていた

 504iでは、前年に発表された「503i」や「503iS」で採用された「iアプリ」の仕様が拡張されており、待受画面にiアプリを配置できる「iアプリ待受画面」が登場した。待受画面にユーザーの利便性を向上させるさまざまな情報を適宜更新して表示するというアイデアは、この頃に具現化されたものだが、その後情報配信サービス「iチャネル」やエージェントサービス「iコンシェル」への進化の礎だった。待受画面がiアプリでカスタマイズできるようになったことで、これまでよりも高度にケータイを活用することが可能になった。Android™スマートフォンなどでよく使われているウィジェットのような機能が、この時すでに実現されていたわけだ。斎藤は「P504i」の待受画面にウェザーニュースのiアプリを設定し、天気予報を表示したりしていたという。

 この頃のドコモのケータイは、着メロの和音数やディスプレイの解像度などの仕様がドコモによってある程度統一され、メーカーによる違いが少なくなっていた。ちなみに503iSでは、ラインアップされる端末の形状まですべて折りたたみだった。斎藤はこのときのことをこう振り返る。

 「503iSシリーズから、スペックが各社横並びになったのは大きなポイントです。全機種が折りたたみになり、カラー液晶に統一されました。着メロの和音数も16和音にそろえていました。504iでは着メロの和音数はたしか32和音に増えています。仕様が統一されると何がいいかというと、コンテンツが作りやすくなるんです。このときにドコモがリーダーシップを発揮したことで、コンテンツビジネス市場がしっかり立ち上がりました。iモードのコンテンツビジネスが成立するようになり、その相乗効果でさらに機種が売れるという好循環ができていたんです」(斎藤)

 この時期、斎藤はケータイが次々と新しい機能を備え、進化する様子が取材していてとても楽しかったという。「端末を買うのもとても楽しくて、次々と買い替えていました。先のP504iの次はN504iS、SO505i、SH505iなどを使いましたね」(斎藤)

 現在、Androidスマートフォンにも日本固有の機能として搭載されている、赤外線通信機能が採用されたのも504iシリーズからだ。当時はプッシュ型のサービスを受けたり、家電のコントローラーにしたりといった未来が語られていたが、そんなことよりも単純に「一瞬で友達にメールアドレスを教えられるのが便利だった」(斎藤)という。

 一方、3Gサービス「FOMA」の立ち上げには苦労していた。2001年に商用サービスを開始したFOMAは、2002年時点ではまだネットワークの構築途上で、都内でもつながらない場所がけっこうあった。ムーバのエリアがきっちり出来上がっていた分、FOMAの“粗”が目立ってしまった。FOMAに契約変更したものの、つながりにくいので結局ムーバに戻した、といった人も身近にいた。こうしたユーザーの不満に応える形で、ムーバの契約を生かしつつ、FOMAの回線と必要に応じて切り替えて使える「デュアルネットワークサービス」の提供が始まったのはこのときだ。このサービスを利用して、2012年3月末日の停波まで回線を維持した人もいたという。今でこそ、FOMAのエリアは人口カバー率100%を実現しており、「ドコモならつながる」という安心感があるため、なかなか想像しにくいかもしれないが、この頃は急ピッチで対応が進められていた。

ケータイの原形がほぼ完成したムーバ最盛期

 2003年の大きなトピックは、主力モデルの505iシリーズの一部がメガピクセルカメラを搭載した点だろう。今でこそ、ケータイにカメラが載っているのは当たり前で、むしろカメラがないモデルを探す方が大変なくらいだが、2002年に発売された251iシリーズまで、ドコモはカメラ付きケータイを出していなかった。

 ただ、やると決めた後の行動は素早く、2002年に「N504iS」や「P504iS」など、主力ラインアップの504iSシリーズの一部機種にカメラを搭載すると、翌年の505iシリーズはセンサーの高画素化を一気に行ったのには驚かされた。「D505i」がスーパーCCDハニカム 63万画素(記録画素数123万画素)、「SO505i」がCCD 130万画素、「SH505i」がCCD 100万画素、「F505i」がCCD 128万画素と、100万画素(1Mピクセル)を超える解像度を持つセンサーを搭載する機種が一気に増えた。Mobile編集部でもメガピクセルカメラ特集などを掲載し、好評だった。液晶ディスプレイの解像度はQVGA(240×320ピクセル)になり、撮影した写真がきれいに見えることをウリにしたモデルが登場した。

 「この505iシリーズの発表会は、久しぶりにワクワクしました。『ついにドコモからメガピクセルカメラが載ったケータイが出る!』と張り切って取材に行ったのを覚えています。特に印象に残っているのが、180°スタイル(ワンエイティスタイル)と呼ぶ回転式のボディを採用していた『SO505i』です。けっこう大きな機種だったのですが、ずっと手に持ってグルグル回していました。505iシリーズはどのモデルも、非常に高い完成度だったと思います」(斎藤)

Photo 505iシリーズの発表会にて。左から「P505i」「F505i」「N505i」「D505i」「SH505i」「SO505i」

 メガピクセルカメラ以外にも、505iシリーズには魅力的な機能が多数取り入れられた。Webページがよりリッチかつインタラクティブになっていくのに対応し、Flash(Flash Lite for i-mode)を採用したこともその1つ。滑らかなアニメーションやボタン操作に対応した動きなどが可能になって、iモードサイトやiモードケータイ向けのサービスはさらに発展した。音声なども含んだ動きの大きなコンテンツがケータイ上で利用できるようになったことで、「ライトなゲームが流行したのを覚えています。僕も一時期けっこうハマっていました」(園部)。またシリーズ全機種で、当時としては高精細なQVGA(240×320ピクセル)液晶を採用し表示が格段に美しくなった。それまでは132×176ピクセル程度が主流だったため、表示できるピクセル数がほぼ4倍になり、画像のきれいさなどが劇的に変わった。加藤あいが登場する505iシリーズのCMにも、こうしたキーワードがちりばめられている。

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加藤あいを起用した505iのCMでは、Flash(Flash Lite for i-mode)を採用したことを大々的にアピール。実際にケータイサイトの表現はこれを境に大きく変わった
photo 園部が実際に使っていた「SH505i」。発売日にドコモショップに買いに行った

 園部はこの頃、まだITmediaには関わっていなかったが、ケータイにメガピクセルカメラが搭載されると聞き、いつでも写真が撮れるケータイに興味を持って「SH505i」を発売日に買いに行った。買ったその日から、いろいろなものを撮影しまくったという。当時すでにコンパクトデジタルカメラは400万画素から500万画素のCCDを搭載していたので、画質や解像感はまだコンパクトデジタルカメラの方に分があったが、それでも撮影したその場で誰かに写真が送れるという、新しい写真の楽しみ方にときめいた。

 2003年秋に発売された505iSシリーズでは、全機種がメガピクセルカメラを採用し、「SH505iS」は早くも有効約200万画素のCCD、D505iSも記録画素数200万画素の100万画素のスーパーCCDハニカムを搭載するようになった。

 505i、そして505iSiはiアプリの機能がさらに強化され「iアプリDX」になったり、画面の解像度が上がったりしていたため、パケット通信料が非常に高価になる「パケ死」という言葉が流行したのを覚えているだろうか。今はもう「パケ・ホーダイ フラット」のような定額制が導入されて久しく、いつでも安心してパケット通信が利用できるが、当時はパケット通信料が従量制だった。パケット通信料の定額制の是非は、この頃活発に議論されており、斎藤は定額制の実現を要望する記事を書いていた。このときの記事は「最大の自信作の1つ」と胸を張る。

 パケット通信料の定額制は、2004年6月にパケ・ホーダイとして実現した。日本が世界でも有数の“ケータイ大国”となったのは、このパケット通信量の定額制をかなり早い段階で導入したからであることは間違いない。特にドコモは、ライバルに先を越された中で、技術的困難を乗り越えて導入した経緯がある。まさに英断だった。

 パケット通信が定額で行えるようになり、コンテンツの利用やWebブラウジングの頻度は確実に上がった。「料金を気にせず好きなだけデータのダウンロードができたり、iモードサイトを見たりできるようになって、本当に世界が変わりました。これまで以上にケータイを使うこと自体に貪欲になりましたし、ちょっとした空き時間にもすぐケータイを触るようになりました」(園部)

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※掲載の内容は2012年7月31日現在の情報です。
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アイティメディア営業企画/制作:ITmedia +D 編集部/掲載内容有効期限:2012年8月31日