News 2001年8月31日 11:24 AM 更新

ある社員が語る“ゲートウェイの最期”(3)

 ナイハイゼル社長が,こうした提携話に力を入れたのは,当時ゲートウェイが「Beyond The Box」(BTB)戦略を展開していたからだ。BTB戦略は,PCの周辺ビジネスを拡大することで,PC依存型のビジネスから脱却しようというのが狙いだった。しかしながら,「実は,ナイハイゼル社長本人も何をすればいいか分からなかったようで,社員に対して明確なビジョンを示すことはなかった」(同氏)。

 さらに,まがりなりにもBTB戦略を掲げているにもかかわらず,2001年に入ると今度は,「ゲートウェイネット」売却の動きが見え始める。ゲートウェイネットは,ゲートウェイネットパックの効果で大幅に会員を獲得。現在のサービス会員は約6万人だが,約半分がゲートウェイネットパック契約者である。

 実は,このネットパック契約者が,売却先を探すうえでネックになっていたようだ。というのも,ネットパックでは,インターネット接続を3年契約すると5万円がキャッシュバックされる。インターネット接続料金(3000円)にPC本体の代金を足して,5万円を引いた金額を36回分割払いする契約になっている。つまり,仮にゲートウェイネットがほかのISPに組み込まれたとして,ネットパック契約者については,どう取り扱うかが大きな問題になる。そのためか,まだ,ゲートウェイネットの売却先は見つかっていない。

 「結局,一度落ち込んだ売り上げが回復することなく,むしろナイハイゼル体制に移行してからはペースが加速した。最終的には,BTB戦略どころではなく,箱(Box)を売れとはっぱをかけていた」(A氏)

軽視された国内マーケティング

 A氏は,ナイハイゼル体制の最大の失敗を「日本市場を本気でマーケティングしていないかった」ことだと強調する。

 ゲートウェイ内部では,国内独自モデル開発など,日本でのビジネスを立ち直させるための企画がいくつも用意されていた。実際,その成果としてB5型の薄型ノートPCが投入されたが,「経営状況が悪くなると,日本市場にそこまでコストをかけることはできない」との判断が下り,後が続かなかった。

 「直販では,デルの値下げ攻勢で手も足もでない状況になった。日本市場には,何か特徴のある製品を投入しなければならない,という危機感とは裏腹に,ただ黙って見てることしかできなかった」(A氏)

 この“何か特徴のある製品”という意味で,牛柄のブランドを利用して,PC以外のジャンルを含む,幅広いサービスを展開するアイデアもあった。ただ,製品化寸前になって,米国本社から「やはり事業の将来性が不透明。PCに注力するべき」と却下されたという。「牛を全面に打ち出すブランド戦略は歓迎できない。ゲートウェイはハイテク企業だ」という意見もあった。

“もしも”はないが……

 ナイハイゼル社長は,2001年6月に会長に退き,代わって,財務担当だったカート・ジェイデン氏が社長に就任する。ジェイデン氏が財務担当者であったことから,「大規模リストラが行われる」との噂が流れた。ジェイデン氏は社員を落ち着かせるために,「わたしは,リストラするために社長になったわけではない」と強調したというから,なんとも皮肉なものだ。

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