News 2003年1月21日 07:56 AM 更新

「エンターテインメントコンピューティング」に何が求められる?――ec2003基調講演(1/2)

ec2003の基調講演では、関西学院大学/ニルバーナテクノロジーの中津良平教授が、新しいエンターテインメント像に対する展望を行った

 1月13日の基調講演では、関西学院大学/ニルバーナテクノロジーの中津良平教授が、「21世紀の生活とエンターテインメントコンピューティング」と題した講演を行った。


関西学院大学/ニルバーナテクノロジーの中津良平教授による基調講演

 まず、「エンターテインメント」という言葉の位置付けがたいへん重要なのだが、中津教授はこれを「人間生活の重要な側面」と位置付けた。単純に言葉としてエンターテインメントというと、ゲームや映画などに限られる娯楽的な文化だけと考えがちだが、実際には「携帯電話もエンターテインメント」(中津教授)なのであり、もっと広がりがある。

 「20世紀は、物質的豊かさを技術によって実現してきた。その一方で、精神的な側面を支えてきたのはなにかを考えることが重要」なのだ。

 精神的な面での遊びということでは、心理学者のレノア・テアの『記憶を消す子どもたち』(草思社)の一節が思い出される。レノア・テアは、「芸術家は子ども時代のトラウマを作品のなかでくりかえし再現している」と書いた。

 例として、『遊べない人の心理学』(講談社)のなかで、「アルフレッド・ヒッチコックも子供の頃にトラウマを負い(5歳の時に留置場に入れられ、“悪さをする子はこういう目にあうんだぞ”と巡査に脅されるのだが、それは彼の父親が仕組んだことだった)、映画監督としての生涯を通して、“人違い”をテーマに遊び続けた」と述べ、「遊びは現代社会における失われた鍵――自分自身の扉を開ける鍵と言える」と遊びを位置付けた。

 遊びを考えることで、自分自身を見出すことができる。その発見に、どこまでコンピュータを役立てることができるのか、ということが、エンターテインメントコンピューティングにとっては重要なテーマだ。

アートとエンターテインメント

 遊びに似たものに、「アート」(美術)がある。アートは重要だがマーケットは小さい。それに対して、エンターテインメントは、マーケットを持っているという点がたいへん重要な違いである。現代では、アートよりもエンターテインメントのほうが、社会にうまくはまっている。「アートと日常は関係が希薄だ」と中津教授は言う。

 「日常生活におけるアートは、エンターテインメントと言い換えるべきだろう。エンターテインメントは、ゲーム、映画、スポーツ、アートなど幅広いものからできている。これらの両面を豊かにしていくことが大切。今後のエンターテインメントコンピューティングでは、スポーツに関するような発表も期待する。これが実現できれば、技術が精神的な面にも豊かさを与えてくれるのではないか」。

 エンターテインメントは娯楽であり、個人の内面を豊かにもする。それに寄与できるコンピューティングが求められるのだ。

 国際電気通信基礎技術研究所(ATR -Advanced Telcommunications Research Institute International)出身である中津教授の研究テーマは、「コンテンツと技術の融合による新しいメディアアートの創出」にあったという。中津教授の作成した「イメージ・リコンポーザー」、「スポーツ体験システム」などは、アートのジャンルを超えて、エンターテインメントに近い感覚をもっている。


「イメージ・リコンポーザー」写真が絵になるシステム。アーティスティックな作品である

 近未来研究といえば、1980年代末ごろから、常に筆頭としてあげられてきたのは、MIT(マサチューセッツ工科大学)のメディアラボだ。メディアラボは、1944年ギリシア生まれのニコラス・ネグロポンテ所長が、MITに1985年に設立した研究所である。

 メディアラボからは、GUI、電子ペーパー、プレゼンテーションシステム、ウェアラブル、ユビキタスコンピューティング、タンジブルビッツなど、多くの提案が行われてきた。「メディアラボは、外部からの資金を中心として運営されている。米軍やアメリカの企業だけでなく、日本の多くの企業が資金援助している」(『ハイパーメディア・ギャラクシー』 浜野保樹著、福武書店 1988)とあるように、日本の「未来」をメディアラボは提案し続けてきた。

 だが、「メディアラボはマンネリになりかけているのではないか」と、中津教授は言う。

 実際、メディアラボ的な未来研究では、すでに日本のソニーコンピュータサイエンス研究所や日立製作所デザイン本部のほうが、実用性を加味した提案としては、はるかに現代にマッチした提案を行うようになっているのではないだろうか。逆に言えば、メディア・ラボの提案する「未来」は、十分に消尽されてしまった「過去から見た未来」になっているのではないか。つまり、目新しくなく、つまらない。

 そこで、マンネリでない新しい未来、手に届く未来こそが、エンターテインメントということになるのだろう。中津教授は、「今後の生活スタイル」として、新しいエンターテインメント時代の社会スタイルを展望する。

IT時代の晴耕雨読生活

 「サラリーマンは会社がすべて。特に男性ではその傾向が強いです。それに対して、今後は、家庭・地域生活、旅行、ネットワークなどが重視されてきて、もう一度復権するのではないか。町内会や家庭など。創作・娯楽が生活の重要な部分となっていくのではないか」(中津教授)。

 同教授はこのイメージを、「IT時代の晴耕雨読生活」と位置付けた。Linuxやネットワークなどが重視される世界は、確かに「IT時代の晴耕雨読生活」の到来しつつある時代と言ってよいかもしれない。

 この「IT時代の晴耕雨読生活」では、移動・旅行の考え方も変わってくる。具体的には、生活・ビジネスでの旅行はより頻繁になるのであって、従来言われていたように、IT化が進むと、移動は減る、という図式は誤りだ、と言うのである。「ネットワークが強化されることで、かえって移動が増える」のだ。

[美崎薫, ITmedia]

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