News 2003年2月7日 07:33 PM 更新

インタビュー
CDの父、20年を語る(2/2)


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 「初めの1カ月間で27枚しか売れなかったんです。8人もの人間を抱えていましたから、それはどうするかとずいぶん悩みました」(中島氏)。

 CD-Rを用いたCD-ROMのオーサリングシステムが花を開き始めるのは、2年目ぐらいから。「2年目ぐらいからやっと、ぼつぼつ使われるようになりました。例えば、特許のいろんなシステムとか、あるいはNASAですとか。アメリカを中心にCD-ROMの需要というのが相当増えまして、それでやっと、CD-Rのメディアの値段が下がってくるようになったんです」(中島氏)。

 面白いのは、CD-Rはオーディオではなく、CD-ROMの方が早く花が開いたということだ。「初めは、オーディオだけやっていたんですが、やってみるとCD-ROMの方が柔軟で、早い時期にいろいろなものに使われ始めました。まず、ゲームソフトで使われ始め、CDのオーディオがSCMSじゃなきゃいかんとかやっている間に、CD-ROMの方がグッと増えて行ったんです」。CD-ROMがゲームの配布媒体として使われ始めたのは1990年前後のこと。静止画を記録したPhotoCDなども登場。その後、動画を記録したVideoCDも規格化され、CD-Rを使ったオーサリング市場が拡大していった。

 また、1992年には、現在でもレコーディングスタジオで使用されている業務用CD-Rドライブの定番「CD-W900E」の販売も開始される。この頃から、音楽CDのマスタリング用やCD-ROMの制作現場などでCD-Rドライブが使用されるようになる。

 CD-Rが徐々に軌道に乗り、メディアの出荷枚数が1億枚ぐらいになるのが、1995年前後。中島氏は、「その頃には、僕は強気で毎年2.5倍は必ず行くよと言っておりました。実際、2.5倍行ったんですが、(当時は)みんなほら吹きだほら吹きだと言っていましたね」と笑いながら当時を振り返る。

 CD-Rがコンシューマー市場で急速に普及し始めるのが、1997年あたりのことだ。その頃には、当初、業務用だけだったCD-Rドライブもコンシューマー向けに販売されるようになり、価格も10万円を切り、7万円前後で購入できるようになった。「(ドライブの速度が)4倍、8倍ぐらいなってから、一気に来ましたね」(中島氏)。

 CD-Rがこれほどまでに普及した理由を、中島氏は「信頼性のいいメディアが値段がどれだけ安くできるかということだったと僕は思う。紙1枚買うのと同じ値段で買えるわけですからね。これは大きいですよ」と分析する。

 加えて、中島氏が大きな要因として挙げるのが「CDコンパチブルという思想」だ。「この思想が、普及を非常に滑らかにしたんじゃないでしょうか。要するに、CDはみんな味方ですから。音楽CDにかかる、CD-ROMにもかかる」。

 この思想は、もちろん、中島氏がこだわったものだ。「当初、反射率が65%から上がらなくて、(開発者たちからは)もう65%で勘弁してくれと言われた。それを、CDの反射率は70%だ、CDのコンパチにならないメディアに僕は興味はないよと言って、ずいぶんがんばりました。(開発する方は)泣く泣く、いろいろやっていましたよ。言う方は簡単なんですけどね(笑)」。

あと5年はいける

 CD-Rは、メディアの出荷枚数も年々増加を続け、現在の出荷枚数は、年間約70億枚。メディアの単価も、中島氏が、スタートラボを始めたころの1枚3000円と比較すると、1枚50円前後と60分の1まで下がった。しかし、ここ1、2年は出荷枚数も横ばい。それでも、中島氏は、まだいけると話す。

 「CD-ROMで使えるところがまだまだたくさんあります。それをうまく開拓していけば、今からでも2.5倍行くよ、と言っているんですけど。さすがに2.5倍はもういかんようですけどね。それでも、少なくとも減ってはいません。これは、もう100億枚まで行かなきゃ嘘だと言ってがんばっています」。

 中島氏の現在の目標の1つが、このCD-Rメディアの出荷枚数100億枚だ。「(100億枚は絶対いくように)やっぱり、最初の設立精神に戻って、もう一度、CD-Rをうまく使ういろんなビジネスモデルを作っていけば、CD-Rでいけるところはずいぶん多いと僕は思います」。

 では、どんな可能性があるのだろうか。「要するにさっともっていって、さっと書けるという意味からいうと、CDプレーヤーの累計出荷台数12億台とCD-ROMの14億台がやっぱりものをいいます。どこに持っていても使えますもの。この前、イラクまで使っていたじゃないですか」。

 中島氏によると、音の世界には「25年説」があるという。それは、エジソンの発明以来、25年単位で新しいものに切り替わっているというものだ。最初の機械蓄音機が25年で電気に代わり、やはり25年経ってステレオに変わった。そして、それ(ステレオ)から25年たってデジタルに変わった。CDは現在20年。「これからいくと、あと5年は、持つ勘定になる」。

 加えて中島氏は、今後どう変わるかわらないと前置きした上で、今からの20年間も、音はデジタルで基本は変わらないと話す。

 「マルチチャンネルとか5.1chとかあるのかもしれませんが、それは、応用動作であって、デジタルステレオというのが基本にあるんじゃないかと思う。デジタルの音を今のやつ(CD)に入れるのか、赤(DVD)に入れるのか、ブルーに入れるのか、あるいは半導体に入れるのか。そういう違いは、いろいろあるけれど、中身は、すべてデジタルで入れるんですから、変わりないと思うんですよね」(中島氏)。

 しかし、中島氏は、20年たったデジタルについて、いい意味でも悪い意味でも副作用が出てきたという。「せっかくCDで20年間、そこそこいい音質で、しかも使い勝手もよく、音だけでなくデータも絵も入るというシステムを作ってきた。でも、それと同時にデジタルにしたために、機能重視になりがちで、いろいろな面で、副作用がでてきました」。

 中島氏のあげた問題の1つが、データ圧縮。「圧縮オーディオ」の話だ。そして、もう1つが、コピーコントロールCDの登場で物議を醸し出している「著作権に関する問題」である。

 「何に入れるのかということよりも、ソフトウェアおよびユーザーが満足できるようなシステムということでは、一定のスクランブルならスクランブルをかけて、きちんとした形で、ソフトが提供され、それをやはり適当な対価でもってユーザーが楽しむというシステムを作ることが、今後の20年の課題じゃないかと僕は思うんですよ」。

 この点については、次回で触れたい。

CDs21ソリューションズとは?

 中島平太郎氏が会長を務める「CDs21ソリューションズ」。これがどういった団体なのか、簡単に紹介しておこう。

 CDs21ソリューションズ(シーディーズ・ニジュウイチ・ソリューションズ)は、CDファミリ−を核としてその周辺テクノロジー及びコンテンツ製作に関わるビジネスを推進する70社あまりで構成される業界任意団体だ。

 1991年に発足し、CD-iやビデオCDを推進していた「マルチメディアCDコンソシアム(MMCD)」と、1996年に発足しCD-R/RWを推進していた「オレンジフォーラム(OSJ)」という2つの団体が発展的に解消・合併して2001年4月に発足している。

 設立発起人は、ソニー、太陽誘電、TDK、電脳商会、凸版印刷、日本ビクター、日本フィリップス、パイオニア、ハイコム、松下電器産業、三井化学、ヤマハ、リコ−など13社。

 CDs21ソリューションズは、(1)CDプラットフォームにおける技術とコンテンツの融合を図り且つ将来技術の探求をすることによって、産業界のより一層の発展を追及すること、(2)人々の生活が豊かになるような新しいAV文化の創成を目指すこと、(3) 知識、情報を共有する環境を創り、互いのビジネスの発展を促進すること――の3つを活動指針に掲げている。

 また、CDs21ソリューションズは、総会、幹事会、事務局を運営の母体とし、Technical Committee(TC)、Study Committee(SC)、Communication Committee(CC)を活動の主体として行われている。TCには、CD-R、CD-RWそれぞれの物理部分に関する2つのテクニカルワーキンググループと論理部分に関するテクニカルワーキンググループの3つがある。

 TCでは、CD-RやCD-RWメディアおよびドライブとの互換性試験などが行われ、現在は、カード型ディスク「オプティカルカード」のガイドライン策定の検討なども行われている。

関連リンク
▼ CDs21ソリューションズ

[北川達也, ITmedia]

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