News:アンカーデスク | 2003年3月10日 04:18 PM 更新 |
放送といえば地上波デジタルが最もホットな話題だが、その一方でインターネットによる動画配信という技術も刻々と積み上がってきている。放送と通信、姿は違うが、流れるものは同じ「ビデオコンテンツ」である。
放送関係者から見れば、今のブロードバンドなんていうのは全く脅威ではない。ADSL程度では放送帯域の画像伝送は到底無理なので、画質という面で放送が圧倒的に有利だからだ。しかしこれがFTTHとなれば、放送関係者であっても目の色は俄然違ってくる。
この理由のベースとなっている技術が、WDM(Wavelength Division Multiplex)である。まあちょっとネットで検索すれば意味はすぐにわかるとは思うが、一応簡単に説明しておく。光というのはご存じのように、プリズムで7色なり何色なりに分光できる。光には異なる波長が沢山あって、それが色の違いに見えるわけだが、このそれぞれの波長の光に別々の信号を流す技術がWDMである。
とにかくそのWDMを使えば、ベストエフォート100Mbpsとかセコい話ではなく、光ファイバー1本でHDTVの映像100本ぐらいは軽く流せるわけである。それだけ回線に余裕があり、しかも双方向ということであれば、当然テレビの未来はVOD(Video On Demand)か? ということになる。
海外ではすでにビジネスとしてある程度実績があり、インフラさえあれば日本でもすぐ始まるだろうと思っている人も多いと思うが、しかし話はそう簡単にはいかない。マジメすぎる日本の社会では、産業としてのVODはかなり苦難の道のりが予想される。
横たわるハードル
例えばテレビ局で、番組を再放送する場合を考えてみよう。
ドラマなどでは、番組制作会社のほか、原作があれば原作者、脚本家、監督、俳優、音楽家などに再放送の許諾をもらい、それに基づいて使用料の支払いが行なわれる。こう考えると非常に面倒だが、実際は最初に番組を制作する時点で再放送に関する許諾と使用料のあり方も決めており、その煩雑さを軽減している。
これが映画の場合はさすがに歴史が長いことに加え、関わっているスタッフ数がテレビの比じゃないだけのあって、このあたりの権利処理は制作会社が全権を委任されており、再放送は手続きが楽なほうである。
しかしこういった著作権処理は、「放送」だからこそこういったルートが開拓されているわけで、「VODは放送じゃありません」というのが日本の現在の著作権法の解釈である。
放送でなければ、せっかく合理的にできている再放送の権利処理法は使えない。誰と交渉するかから始まって、いくらで放映権を許諾するかといったことから全く白紙の交渉となるのだ。
こうなると、何をもって放送とするのか、というところが焦点になる。平たく言えば、放送とは有無を言わさず一方的に送りつけるPush型メディアのことを指す。放送というのは読んで字のごとく「送りっ放し」なのであって、決まった時間に日本全国津々浦々まで確実に送りつけることができるから、テレビに露出することにはいろいろなメリットがあるわけだ。
しかしVODの場合は、視聴者がサイトなりにアクセスしてコンテンツを引き出す、Pull型メディアである。まず最初に視聴者側のアクションがなければ、コンテンツを送ることはできない。この点が、「VODは放送ではない」という根拠となる。
国家単位で異なる解釈
では既にVODがビジネスモデルとして先行している国ではどうなっているのか。
米国の場合、VODのスタート時はほとんどがゲリラ的であった。つまりVODに関しての権利関係を処理する規定がなかったので、じゃあ勝手にやっちまえ、と始まったのである。こうしてある程度市場規模が見え始めてからおもむろに権利処理機構が立ち上がり、そこからさかのぼってコンテンツ使用料を取り立てた。サブマリン特許みたいなもんである。
[小寺信良, ITmedia]
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