News:アンカーデスク 2003年11月21日 11:14 PM 更新

気紛れ映像論
阪神優勝、ケータイで「撮られる選手」と「撮る選手」(1/2)

18年ぶりのリーグ優勝に沸く甲子園の光景に違和感。1人1台にまで行き渡ったカメラが「撮るということ」を変える。
顔

 今年のプロ野球は盛り上がった。阪神タイガースファンの僕としては、非常に楽しいシーズンだった。甲子園での優勝シーンに18年ぶりの感涙。で、涙に曇ったテレビの映像の中に、面白いシーンを見つけてしまった。それはデジタル映像を扱っている僕にとって、実はずっと以前から気になっていたことを、実証するような光景だった。

喜ぶ選手の手にカメラ

 阪神タイガースが早々とリーグ優勝を決めた、2003年9月15日の甲子園球場――本拠での優勝は、1964年(と言えば、東京オリンピックの開催された年だよ)以来39年ぶりである。赤星の見事なサヨナラヒットで広島から勝利を勝ち取り、神宮球場で行われているヤクルト対横浜戦の結果待ちとなった。そしてヤクルトの負けが決まり、ついにリーグ優勝決定! 待機していた選手たちがわっとグラウンドに飛び出した。

 胴上げ。星野監督が宙に舞う。……と、ここまでは18年前の神宮球場(当時は吉田監督)をほうふつとさせるシーンだったのだが、そこからだ。テレビに映し出される映像に、何か違和感を抱いた僕なのだった。

 藤本や赤星が手に手にカメラを握り、記念撮影をしている。ペナントを掲げての球場行進。そこでもまだ、選手たちはあちこちで写真を撮り合っている。肩を組んでパシャッ! 星野監督とツーショットでペチッ! 肩を組み、自分たちにレンズを向けてセルフ・ツーショットでプチッ!

 これって、(僕の記憶違いでなければ)18年前には見られなかった光景だ。18年前の行進はもっと厳かで、粛々と行われた記憶がある。弾けるような笑顔で走り回り、ふざけ合いながら、互いに写真を撮り合うなんていう光景はなかった。

喜びの変化とカメラの普及

 18年の間に、特に若いスポーツ選手の「喜びの表し方」が変わったことは間違いない。それは、オリンピックやサッカーのワールドカップを見ていれば十分に判る。数あるスポーツの中でもとりわけ日本野球は保守的・日本人的で、それゆえに選手の感情表現が「他のスポーツの今」に追いつくのにやや時間がかかったのだろう。

 それよりも印象深かったのは、甲子園での対広島戦が終わってからヤクルト対横浜戦の結果が出るまで(=優勝が確定するまで)の間に、選手たちがカメラを用意していたことである。テレビの画面でははっきりと判別できなかったが、コンパクトカメラやレンズ付きフィルム(俗に言う「使い捨てカメラ」)に混じって、デジタルカメラやカメラ付き携帯電話を使っている選手もいたはずだ。

 18年前に比べて、カメラ――スチル写真の撮影装置は広く普及した。数千円で購入できるコンパクトカメラも多い。誰もが気軽に写真を撮れるようになったのだ。カメラ付き携帯電話がそれに拍車をかけている。「あ、そう言えば電話もかけられたんだ」と思い出すくらい、携帯電話の用途はメールと写真撮影がほとんどだったりする。

カメラの普及に必然性はない

 若者の「喜びの表し方」と共に変わったのが、「写真に対する意識」である。僕たちが子供の頃(1960年代)は、カメラを所有している家が珍しかった。「人」ではなく「家」である。カメラは、一家に1台さえ普及していなかったのである。

 高度経済成長期の日本の文化生活を語るとき、よく「三種の神器」という言葉が用いられる。1960年代に急速に普及した電気洗濯機、電気掃除機、TV(白黒)の家電トリオだ。それらが一通り普及すると、今度はルームクーラー、カラーテレビ、自動車の「3C(Cooler、Color TV、Car)」が、文化的生活の目標となった。

 電話の普及もこれらとほぼ軌を一にしている。電話(固定電話)が「一家に1台」と言えるレベルとなったのは、1970年代初頭(昭和40年代中頃)だろう。今、エアコンやTVは1室に1台、自動車も1人1台に限りなく近づいた。そしてご存じの通り、携帯電話の普及で電話も1人1台の時代である。

 しかし、実生活上さほど重要な役割を担わされていないカメラは、1人1台という「満遍ない普及」まで広がらなかった。掃除したり洗濯したり、移動したり番組を観たり連絡を取ったり――といった行為の日常性に比べれば、「写真を撮る」という行為は「日常生活に不可欠」でもなければ「ごく当たり前」でもないのだ。

プリクラが「撮る」ことの意味を変えた

 一般家庭に限れば、カメラは、例えば旅行に行ったり、運動会などの行事があったりした場合に、それらイベントの記録として映像を保存するために用いられた。その用途に途中から割り込んできたのが、ビデオカメラとレンズ付きフィルムである。

 再生に手間がかかり映像をテレビでしか見ることのできないビデオカメラは、さすがに広く普及することはなかった。やはり思い出はアルバムをめくって……ということである。問題はレンズ付きフィルムだ。コンビニや土産物売り場などで、必要なときにカメラを気軽に購入できるようになった。かくて、高価な写真機を常に所有している必要はなくなったのだ。

 よくよく考えてみれば、写真を撮って記録すべきイベントなど、一般人にはそうたくさんありはしない。1年に数回あるかないかであろう。だから、カメラは電話のように広く普及しなくて当たり前……のはずだったのだ。

 ところが近年、事情は大きく変わってきた。かつてはイベントを記録する装置だったカメラが、イベントなどなくても使われるようになってきたのだ。そのきっかけは、ゲームセンターに置かれた「プリント倶楽部」――いわゆる「プリクラ」だった。

 履歴書やパスポートのための証明写真を撮る装置が、ただ友達とツーショットを撮り、シールとして持ち帰るためだけに使われるようになった。この時、人々の写真に対する意識が「イベントがあるから写真を撮る」から「友達と写真を撮ることがイベント」へと変化し始めたのである。

視覚の補助記憶装置となったカメラ

 そしてデジタルカメラの時代が到来した。プリクラによってもたらされた「写真を撮ることに対する意識」の変化は、必須の生活ツールとして既に爆発的な普及を始めていた携帯電話とデジカメが出合ったことで、さらに加速した。

 持ち歩ける電話機にカメラが付いたのだ。大阪の御堂筋で開催された阪神タイガースのリーグ優勝記念パレードでも、沿道に集まった多数のファンが手に手に携帯電話を高く掲げ、人垣の隙間から縦縞ユニフォームの選手と監督を撮影していた。

 今や、誰でもどこでも写真を撮れる時代である。優勝パレードのような大イベントでなくても、例えばショッピング・センターで開催される「なんとかレンジャー・ショー」の様子を、携帯電話で撮影するお母さんの姿を見ることは日常だ。カメラが一家に一台の時代には、撮影はお父さんの役目だった。

 さらに若者たちは、何気ない光景――路上で見かけた猫やショーウィンドウのファッションなどなど、何でも撮影しては記録、あるいはメールとしてその場で友人に画像を送ったりしている。

 もはや「私は、今、カメラで撮影している」という意識すらないかのようだ。いや、「ようだ」ではなく「明らかに」ない。プリクラのときには、まだその行為に「写真を撮る(撮られる)」という意識があった。しかしカメラ付き携帯では「写真を撮っている」という意識より、「目で見た光景を記録する」という意識の方が強い。

 つまり携帯電話に組み込まれたデジカメは、人間の補助記憶装置――コンピュータにとってのディスク装置みたいな感じ――なのだ。

アルバムの存在意義は消失しつつある

[長谷川裕行, ITmedia]

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