News:アンカーデスク 2003年11月21日 11:14 PM 更新

気紛れ映像論
阪神優勝、ケータイで「撮られる選手」と「撮る選手」(2/2)


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アルバムの存在意義は消失しつつある

 プリクラの利用者は、印刷されたシールそのものより、「一緒に撮る(写る)」という「行為」の方に意識を傾けている。小さな画面に解像度の低いプリントで、表情も不鮮明である。にもかかわらず相変わらず利用者が多いという事実は、彼らの目的が「鮮明に定着された静止画像を所有すること」では<ない>ことを物語っている。

 旅行や運動会を記録したかつてのカメラは「思い出の共有装置」だった。アルバムをめくる「イベントの後」が重要だったのだ。対してプリクラは、「撮影の瞬間」という「感覚の共有装置」だと言える。感覚を共有する相手は、一緒にプリクラを使った「友達」である。

 さらに携帯のカメラは、何気なく撮影した物や光景を、メールで送ったり後から液晶画面に表示して見せたり……と、時間と空間を隔てて「私(撮影者)がそのとき抱いた感覚を共有」する装置へと進化している。  撮影したらプリントしてアルバムに貼り、後からそれを眺めて「その時」を思い出す――といった「撮影後の行為」に、もはや大きな意味はなくなった。

内部で消失する公私の境界

 ここで、冒頭に書いた「タイガース優勝の瞬間」を思い出して欲しい。野球選手も歌手やタレントと同じく、本来は「見られる側」のはずだ。にもかかわらず彼らは、自分たちの経験している優勝の瞬間を――まるでファンがそうするのと同じように――個々の所有物であるカメラで記録した。

 彼らが選手としての自覚を失ったということではない。見られる立場でありながら、自分もまた見る側に回るという、二つの立場の同時共存状態こそが「今風」なのだ。

 ここで、会社員が会議中に、あるいは学生が授業中に携帯メールを送受信する光景や、電車の中で若い女性が平気で着替えたり化粧したるする光景を連想した人がいるかもしれない。そういった「公の喪失」と「見る立場と見られる立場の同時共存」は、似ているようで違う。これについては機を改めて触れたい。

 個人の中から「公」という感覚が喪失されたのではなく、私と公が一個人の中で「同時に共存する」ところに着目したい。これは、タレントの林家ぺー・パー子夫妻がTVで行うパフォーマンスと通底している。出演者であるにもかかわらず、コンパクトカメラでスタジオ内を撮影して回る――という、あのパフォーマンスである。

 芸能人がただのミーハー民間人を演じることで生み出される笑いは、テリー伊東とビートたけしによって「面白いおじさん」にされてしまった松方弘樹の、その他トーク番組で変な人、面白い人とされてしまった俳優や歌手の、TVでの描かれ方をデフォルメしたものだと言えるだろう。

映像装置によって変えられた意識

 プリクラやカメラ付き携帯によって「撮影することの意味」が変化し、さらにカメラの普及によって写す側と写される側の意識の境界が消えていった。

 インターネットのWebサイトでは、今や誰もが情報の発信者になれる。掲示板では無名の論客たちが(内容の優劣/是非はともかくとして)論戦を交わしている。そこには、マスメディア、評論家、政治家、学者、有名人……といった「かつての権威」が喪失あるいは崩壊した光景が見える。

 1970年代の終わりから1980年代にかけて、アメリカのポストモダニズム・アート(シンディ・シャーマンやロバート・メイプルソープの写真作品に代表される)で表現されてきた、対立から比較へ、比較から並立へ、並立から混交へ……という認識の変化が、まさに現実のものとして我々の内部で進行しつつある。

 20年以上前にそれを予見するかのように提示したのも写真なら、それを現実のものとするきっかけもまた写真(機)だった。映像と映像装置による意識の変革は、今後も続くだろう。

歴史に関するいくつかの補足

 ちなみに、前回タイガースが優勝した1985年、写真表現の分野に大きな功績を残した雑誌「カメラ毎日」が、4月号をもって休刊した。その最終号の中程にある「PLAZA NEWS」という記事の中で、実験が始まった高品位テレビ(ハイビジョン)が紹介されている。デジタル映像装置の鮮明な画像などを取り上げたその記事の最後は、次のように締めくくられていた。

 「このテレビ(筆者注:デジタル高品位テレビ)の出現が電子カメラの登場と共に、映像における銀塩時代の幕引きをするものだ、といえるかもしれない。

 写真と映画、スチルとムービーはメディアとして今ガケっ淵に立たされた、という実感がヒシヒシと伝わってくる。」――カメラ毎日(毎日新聞社)1985年4月号、140ページより抜粋

 この記事が発表された4年前、ソニーがフロッピーディスクに画像を記録する電子スチルカメラ「マビカ」の試作機を発表し、デジタルカメラの歴史が始まった。キヤノンが世界初の電子スチルビデオカメラ「RC-701」を発売したのは1986年。上の記事が書かれた翌年だ。同年、富士フイルムからレンズ付きフィルム「写るンです」が発売されている。

 38万画素で6万5千円というカシオ計算機の「QV-10」が登場し、デジタルカメラが一般に普及する兆しが見えたのは、そこからさらに9年後の1995年である。この年、阪神タイガースは6位。1997年の5位を除き、2001年までの7年間で6回のどん尻という不名誉な記録を作った。

フリーライター。大阪芸術大学講師。「芸術に技術を、技術には感性を」をテーマに、C言語やデータベース・プログラミングからデジタル画像処理まで、硬軟取り混ぜ、理文混交の執筆・教育活動を展開中。

[長谷川裕行, ITmedia]

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