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鎌倉の自宅ではたらく、父子2人のIT企業ITは、いま(1/2 ページ)

26歳の息子が社長。社員は父1人。鎌倉山のすそ野にある自宅から、「スケベ」で便利なネットサービスと、人の役に立つ企業システムを発信する。

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自宅兼オフィス

 大学院卒業を目前に控えたある日。携帯電話が鳴った。父からだ。「お前の実印、どこだ?」。何のことか分からないまま答えた。「机の2番目の引き出しにあるよ」

 その実印で父は、1つの会社を登記した。「株式会社ワディット」。名字の「和田」と「IT」をひっつけた。父の和田正則さん(59)と息子の裕介さん(26)、2人だけのIT企業。所在地は神奈川県鎌倉市。自宅だ。

 社長は裕介さん。「大学院を卒業したら、いきなり社長になっていた。特に会社でやりたいこととか、なかったんですが……」。2006年9月、24歳のころだった。


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裕介さん(左)と正則さん

 Webの「あちら側」「こちら側」という考え方がある。梅田望夫さんが「ウェブ進化論」(ちくま新書)で提唱して広まった。あちら側とはGoogleやAmazonなどがサービス展開するWebの世界。こちら側とは、企業内の情報システムなどローカル環境のことを指す。

 「あちら側とこちら側をつなぐ試みは、これまでほとんどなかった」と正則さんは言う。「あちら側」に詳しい裕介さんと、「こちら側」に詳しい正則さん。2人一緒なら、間をつなぐことができるはずだ。

 「スーツだのギークだの、言ってる場合じゃない」(正則さん)

ニートになるつもりが、社長になっていた

 裕介さんは06年9月に慶応義塾大学政策・メディア研究科修士課程を修了し、いきなり社長になった。

 研究室では“映像の万華鏡”「mooo-pong」などメディアアートの作品制作に取り組んだり、ほぼ独学で覚えたプログラミングでネットサービスを作った。楽曲ライブラリを通じてコミュニケーションできる音楽再生ソフト「VACUUN!」はIPAの2003年度未踏ソフトウェア創造事業未踏ユース部門にも採択された。

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 「子どものころからBASICをいじっていたとか、そういうのは一切なくて」。プログラミングそのものよりも、ネットやPCが伝える音楽や映像に、わくわくしたという。

 始めて触れたPCは、中学生のころ家にやってきた富士通「FMV」。Windows 3.1でパソコン通信やゲームに興じた。ネットを始めたのは高校生のころ。Windows 98を積んだソニー「VAIO」で、体育祭の仮装用の音響を編集したり、海外のWebサイトからMP3ファイルをダウンロードし、MDウォークマンに詰め込んだ。

 99年のフジロックフェスティバル。新潟県・苗場の会場から鎌倉の自宅に、映像がリアルタイムストリーミングで届いた。途切れ途切れの粗い映像だったが、はるか遠くで演奏しているロックバンド・ブラーの姿が鎌倉の自宅のPCで見られたことに、衝撃を覚えた。

 慶応進学の決め手もネットの映像だった。高校3年生のころ、慶応が配信していた、村井純教授の講義のストリーミング映像。ゲストとして招かれたマイクロソフトのCTO(当時)古川享さんが語るネットの近未来像に夢と可能性を感じた。映像制作、プログラミング、メディアアート――大学と大学院でITの面白さに浸かり、研究に打ち込んだ。

 就職活動はしていない。何となく行きたい会社がなかった。脱サラを考えていた父と「2人で会社を作ろう」と話もしていたが、しばらくはニートにでもなるつもりだった。

 だから「卒業していきなり社長」は想定外。「ネットの企業だから、社長は若い方がいいでしょう」。正則さんはそう考え、息子を社長にしたという。

仕事がない

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自室がオフィスだ。左側のガラスデスクのガラスのすぐ下にPCが収まっている

 事業計画も収益見込みもないまま、社長という肩書きを持った24歳の裕介さん。「Webサイトを作るぐらいのリテラシーはあるから」と、まずはWebサイトの受託制作をしようと考えた。

 友人知人、いろんな人に声をかけ、仕事をもらおうとした。「今度お願いするよ」。そう話には上っても、なかなか今度が来ない。仕事がない。収入がない。「どうしよう……」


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思いついたアイデアは付せんに書いてべたべたと貼っている

 ある時突然「いいや」と吹っ切った。必死で仕事を探すのは辞め、面白そうなものをひたすら作り、ブログに書いた。「お金はどうでもいいから、好きなことをやって発信していこうと思って」

 新しい技術を学んではサービスを練り、次々に公開した。YouTubeに投稿された楽曲のプロモーション動画をオリコンのランキング順に掲載する「CDTube」や、「YouTube」のお気に入り動画リストを「iTunes」のポッドキャストとして取り込めるサービス「ListPod」――新サービスは発表するたび、ネット上で大きな反響を呼んだ。

 ハンドルネームはあだ名から取った「ゆーすけべー」。ブログは「ゆーすけべー日記」。「裕介日記じゃアイデンティティが薄いから、身を削った」という。その名に恥じず“すけべ”なサービスも作った。

 アダルトサイトの更新情報を集める「エロリスト」や、投稿サイトからアダルト動画を抽出し、AV女優名で検索できる「YourAVHost」など。YourAVHostは想定外の反響でアクセスが集まりすぎ、自宅のサーバが反応できなくなったほど。「ゆーすけべー」の名前は、Webエンジニアの間に知れわたっていく。

普通の人に楽しいサービスを

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物置がサーバルーム。Webサーバ2台とDBサーバの計3台が動いている

 自宅で1人で開発する裕介さん。先輩社員もいないが、PerlやPlaggerの開発者コミュニティーで先輩エンジニアに助けてもらっている。分からないことにぶつかるとIRCで教えてもらう。Webで知り合った技術者と実際に会う機会も増えてきた。

 最近「ネットサービスの進化は限界に達したのでは」という議論もある。だが裕介さんは「まだまだ可能性がある」と話す。「ネットにへばりついている人が使うサービスは限界に来ているかもしれないが、たまにしかネットを使わない人向けのサービスは、まだまだ出せる」

 アルファギークの最先端サービスでなくていい。普通の人に響くサービスを作りたい。「僕が欲しいものは、普通の人が欲しいものだから」

不思議なことに、仕事が入るようになった

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疲れたらいつでも眠れる

 作りたい物を作り、書きたい物を書いて発表しているうちに、受託開発やコンサルの仕事が順調に入り始め、仕事も軌道に乗ってきた。「やりたいことをやっていたら、不思議なことに、仕事が入るようになった」

 オフィスは自宅2階の自室。通勤ストレスもなく、時間を有効に活用できるのが気に入っている。朝は7時半〜8時に起き、午前中には2時間ほど読書。父と昼食を採りながら話し、少し昼寝し、しゃっきりした頭で午後の仕事に打ち込む。

 メールで依頼を受け、都内で会って打ち合わせる。週1日は都内に出かける。約2時間の道のり。そう遠くはない。

 父・正則さんのオフィスは、隣にある祖母の家の1階。普段はSkypeでやりとりしているが、込み入った内容なら隣に出向いて直接話す。ネットの動向を教え、企業システムや経営について教えてもらう。

60歳定年なんて「そんなの関係ない!」

 正則さんが、勤めていた総合化学企業を辞めたのは56〜7歳のころ。あと4年も勤めれば定年だった。

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