鎌倉の自宅ではたらく、父子2人のIT企業:ITは、いま(2/2 ページ)
26歳の息子が社長。社員は父1人。鎌倉山のすそ野にある自宅から、「スケベ」で便利なネットサービスと、人の役に立つ企業システムを発信する。
「自分は何歳まで働けるだろう」――定年を目前にし、考え直したという。経済的な問題ではなく、生きがいとしての仕事をいくつまでできるか。考えた結果は70歳。70歳までの十数年で、何ができるだろうか。
会社では化学技術者としてキャリアを積み、40代でシステム部門に異動。工場の生産管理システムや社内の部署間システム構築を手がけた。システム子会社立ち上げに関わり、辞める直前は、SAPの全社導入プロジェクトをサブリーダーとして取り仕切った。
SIベンダーによるシステム構築に、矛盾と限界を感じていた。「ベンダーはいわば、おこがましい。業務の仕組みはすでにあるのに、それを新たに『開発』しようとする」
ユーザー企業の業務を知らないSIベンダーは、システムに合った業務フローを“開発”してしまう。その結果、業務に合わないシステムが生まれ、結局は誰も使わない。この構造を変え、ユーザー主導の「本当に使える」システム開発を提唱したかった。だがそれは、今の会社ではできない。
IT業界でもちょうど、SIベンダーとユーザーとの関係が見直される機運が出始めていた。「今から始めれば、本当に業務の役に立つ企業システム構築が、70歳までに実現できるかもしれない」。定年を前に会社を辞め、起業することに決めた。「通常の定年なんか、そんなの関係ない!」
「ゼロから開発」と「パッケージ導入」の間に
エンタープライズシステムといえば一般的に、フルスクラッチでゼロから開発するか、パッケージを導入するかの2択だ。ゼロからの開発は時間と金がかかるが、パッケージではユーザーが思ったようなシステムにならず、カスタマイズに余計な費用がかかってしまう。
正則さんは2つの間を埋める仕組みとして「BPM on SOA by SaaS」を提唱する。業務フローごとにシステム化したBPM(Business Process Management)ツールを、SOA(サービス指向アーキテクチャ)で柔軟に組み合わせ、必要な期間、必要な分だけSaaS(Software as a Service)で提供する――というものだ。
これなら、ユーザーが必要な機能を必要な期間だけネット経由で利用でき、大規模な開発は不要。メンテナンスもSIer任せでOKだ。
ユーザー側のWebインタフェースには、息子・裕介さんの技術を取り入れる。UIはAjax(Asynchronous JavaScript+XML)で構築。入力された内容は、部内や社内などでリアルタイムで共有できるようにし、掲示板上などにアドバイスや意見を書き入れたり、決済の承認までできるようにする。
上の判断をあおぎ、紙にはんこをもらって提出し、業務システムにも同じ内容を入力するといった無駄を省き、責任者を含めた複数人でコミュニケーションしながら1つの判断を完結させられる仕組み。「いわば集合知だ」と正則さんは言う。
OSSの考え方も、企業に取り入れたい
「昔は、みんなで集まって話したり、電話で話して決めた上で1人がホストコンピュータに打ち込んでいた。だがメールやFAXででき、ワイワイガヤガヤしながら決めることが減ってきた。『君に任せる』と言われた若い人のプレッシャーが高まっている」
このシステムなら、先輩が後輩の仕事を見守ることもできる。掲示板上などに判断や意見のログも残る上、承認や決済もシステム上で完結する。「意思決定の質と速さが向上すると思う」
息子が参加するオープンソースコミュニティーのあり方を、エンタープライズ分野にも取り入れていきたいという。「みんなで知恵を出し合っていい物を作り、いい意見を出した人がリスペクトされる。みんなに淘汰されたものしか残らないから質も高まる。協力しながら作っていくコミュニティーを、エンプラの世界にも構築するべきだ」
正則さんの事業はまだ準備段階。ワディットは現在、ほとんどの収益を裕介さんが手がける受託開発から得ている。正則さんは「息子に食わせてもらってる」状態だが、本番はこれからだ。
ITで心の豊かさを
正則さんは大学卒業後、化学技術者としてキャリアを積んだ。化学は、プラスチックなどさまざまな合成材料を生みだし、物質的な豊かさをもたらした。だがその一方で、環境破壊の原因にもなった。
「当時はみんなで鉄道を作り、石油、ガソリンを作り、自動車を作った。だがそれでみんな、幸せになっただろうか……。自分がやってきたことに意味があったのかと、もだえることもある」
ITは違うという。「原始人の生活にネットがあったらどうなるだろう、とよく考えるが、自給自足の時代でも、ITは残るかもしれない。いつの時代も、コミュニケーションがあって社会が成り立ち、個人の幸せもその上に築かれる。原始時代でも未来でも、人は1人では生きていけないから」
物質的な豊かさは、人間関係にとって必要だろうか――「むしろない方がいいのかもしれない。貧しかった昔のほうが、みんなで助け合っていい時代だった、と感じることもある。ネットのもつ双方向コミュニケーションがあれば、物質的な豊かさがなくなったとしても、精神的な豊かさは保たれると思う」
「例えば、オープンソースコミュニティーの美しい世界からは、経済合理性や単純な競争原理だけで動く世界とは違ったものが生まれる可能性を感じる。だって、リスペクトされるというだけで、喜んでいるのだもの。原始時代でも同じように喜ぶよ、きっと」
会社をむやみに大きくするつもりはないと、裕介さんは言う。必要があれば人を増やすかもしれないが、今は2人でちょうどいい。
鎌倉山のすそ野。和田親子は2人で、あちら側とこちら側をつなぐ。ITがもたらす、心の豊かさを信じて。
関連記事
- 「ネットは遊び場」――「字幕.in」を1人で作る25歳・無職
「大人はネットをビジネスで使っているかもしれないけど、ぼくにとっては遊び場」――「字幕.in」など50以上のサービスを1人で運営する25歳無職の男性はこう語る。新サービスを作り、誰かが使って反応をくれるのが、とにかく楽しいという。 - 無職から社長に――「字幕.in」が会社化
動画に字幕を付けられるサービス「字幕.in」が株式会社になり、開発した矢野さとるさん(25)は無職から社長になった――が、「事業が落ち着けば社長の座を誰かに譲り、無職に戻りたい」と本気で思っている。 - オフィスはSkype 「ギリギリ狙う」5人のベンチャー「ロケ☆スタ」
オフィスはあるけど誰も来ない。Skypeで話した方が便利だから――26歳社長が率いるベンチャーが“ロケットスタート”を切った。普通の会社では作れない「ギリギリ」のサービスを作りたいという。 - ネット発信する郷土――コスプレも農家もこなす41歳女社長
河童のコスプレをして踊ったかと思えば、Webサイトをデザインし、ネット番組を作り、農業にも精を出す。41歳2児の母は、型にはまらない発想をネットに乗せ、岩手県花巻市から発信する。 - 最新技術を地元の人に――岩手放送が描く、ネット時代の地方局
岩手放送はネットサービスで“業界初”を生み続けている。地元情報のポッドキャスト番組など、ローカルコンテンツを最新技術に載せて発信。「すごい技術を簡単なものに“見せかける”のが放送局の役割」 - 自分の手でネットを“進化”させたい――「はてな」社長の夢
「インターネットは、人が本来持っている力を飛躍的に伸ばせる可能性を持った未完成の道具。この道具を進化させ、人間の生活を豊かにしたい」――そんな思いが「はてな」を生んだ。 - 特集:ITは、いま
ITが私たちの何を変え、何が変わりつつあり、何を変えないのか。広くITにかかわる個人に焦点を当て、“ITのいま”を考えていきます。
関連リンク
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.