あとがき からくり技術に見る、日本人の独創性:人とロボットの秘密(2/2 ページ)
日本人の技術には独創性がないという先入観が付きまとうが、からくり人形の技術には独創性があふれている。日本人は昔からテクノロジーが好きだったのだ。
こうした田中久重の経歴が象徴しているように、維新後の日本人が、短期間で西欧の技術の導入に成功してしまった背景には、このからくり分野で培われたセンスがあったのだと思う。
そして注目すべきは、日本には、ただ優れたからくりの技術者がいただけではなかったところだ。ちょうど現代の日本に「ガンダム」のファンがたくさんいるのと同じように、昔の日本でもからくり人形のファンがたくさんいたのである。
たとえば、伊勢門水(いせもんすい)という明治の文人が記した『名古屋祭』という風物史に、村人たちが代表を3人選んで大阪に派遣し、竹田近江のからくり人形を買い付けてくるという、こんな逸話がある。
今でも親しまれているが、尾張地方では山車(だし)の上にからくり人形を乗せて曳行(えいこう)する祭りが盛んだった。
しかしその村の山車は人形がなく、村の人たちは非常に肩身が狭い思いをしていた。そこで「竹生島(ちくぶしま)」という能の演目の名場面を模した人形を乗せてみたのだが、意外と面白味がなかった。そこで「もっと奇抜な、近隣の村々に負けないヤツを」という村の総意を受けて、村屈指の男3人が代表として、大阪の竹田近江のもとに、からくり人形を買い付けにいくことになった。
当時、近江少掾(おうみのしょうじょう)という官位までもらっていた竹田近江は、大層な剣幕で応対。ちょうど完成間近だった「三人唐子(からこ)箱の迫(せ)りあげ」というからくり人形を披露し、ぜんまい仕掛けを操ってみせた。ちなみに唐子とは、大陸風のエキゾチックな人形のことである。
3人はその精巧さに肝を潰し、一も二もなく買い取ることに決めた。が、値段は完成するまでわからないとのことだった。
翌年、完成の知らせを受けた彼らは、30両もあれば大丈夫だろうと、それぞれ首に10両ずつかけて大阪に向かう。しかし値段を聞いてびっくり仰天、なんとその価格は100両だった。一概に言えないのだが100両とは、現代の貨幣価値で600万円くらいか。
おずおずと解約を申し込んだ3人だったが、竹田近江は「人形は小便をせぬものじゃ」と一喝して、とりあわない。結局、3人は必死で金策を行い一人一体ずつ人形を背負って、とぼとぼと村に帰っていくことになった。
もっともその唐子は「100両の唐子」として大変な評判を呼んだそうな。
「小便をする」とは、売買契約を破棄するという意味で使われていた古い言葉である。「人形は小便をせぬものじゃ」とは、「人形売買では、契約破棄はしないものだ」という意味か、「人形ですら契約破棄をしない、それなのにおまえたちは」という意味だろうか。当時の人々の、からくり人形に対する思い入れが伝わってくる逸話である。
これは享保年間の話なので、登場する竹田近江は初代ではないはずだが、ただの技術者ではなく、あたかもルネッサンス期の万能の天才のような端倪(たんげい)すべからざる人物の面影がしのばれる。それにそこはかとなく、研究者であるだけではなくアカデミズムや産業界の壁を越えて開発を行う、現代のロボット工学者に通じるような感じもあって面白い。
現在も名古屋には、ただ一軒、からくり人形製作を家業とする家が残っている。筆者はその玉屋さんの現当主、九代目の玉屋庄兵衛(たまやしょうべえ)氏に話を聞いたことがある。九代目は日本人とからくりについてこう語っていた。
日本人は人形が動くことに対して、怖さを感じないんです。アメリカの人なんか、動く人形を見せるとびっくりします。それが今のロボットに通じるものがあるんでしょうね。ロボットに対して、自分の職が奪われるんじゃないかといった、警戒心がない。それはもう、日本には今まで何百年も動く人形があったわけですから。それがロボットに代わっただけですからね。
ヒューマノイドの開発でユニークな研究を行っている日本だが、それは現在に始まったことではない。その背後には長い伝統があるようだ。日本人にはオリジナリティがない、などということは昔からなかったのだと思う。
※ 筆者はこの本の前に『萌え萌えジャパン』という、日本のアニメや漫画などキャラクタービジネスに取材するノンフィクションを上梓している。その次のテーマとして、ロボットを選んだ当初、「キャラクター文化に続いて、日本がユニークな業績を上げている分野というとロボットだ」といった程度のヴィジョンしか持っていなかった。
それが「ロボットをつくるためには人間を知る必要があり、ロボットをつくることで人間そのものの謎に迫ることができる。ロボット工学とは、つまりそうした学問であり、今この瞬間にも独自の人間観を我々に突きつけている分野である。ここを取り上げよう」という本書のテーマに進化していったのは、予備取材を終え、実際にロボット工学者の方々にお会いした後だった。
筆者の能力では、その研究を理解し言語化するのに、とんでもない時間がかかったものであるが、あくまでも各章の内容は筆者の解釈である。本書を通して、工学者の方々の研究に、より深い興味を覚えていただければ幸いである。
松原仁教授には『鉄腕アトムは実現できるか? ロボカップが切り拓く未来』(河出書房新社)、『コンピュータ将棋の進歩』(共立出版)などの著作がある。
石黒浩教授には『アンドロイドサイエンス 人間を知るためのロボット研究』(毎日コミュニケーションズ)などの著作があり、また本書と同じく講談社MouRaから本を出される予定である。
中田亨博士には『東大式ビジネス文章術』(朝日新聞社)、『ヒューマンエラーを防ぐ知恵』(化学同人)などの著作がある。
前野隆司教授には『脳はなぜ「心」を作ったのか 「私」の謎を解く受動意識仮説』(筑摩書房)、『脳の中の「私」はなぜ見つからないのか? ロボティクス研究者が見た脳と心の思想史』(技術評論社)などの著作がある。
高西淳夫教授には『マイロボット』(読売新聞社、共著)、『人間型ロボットのはなし』(日刊工業新聞社、共著)などの著作がある。
本書の内容に興味を持たれた方は、より深い内容のこれらの著書を読まれることをお勧めします。
最後に、本書の刊行にあたって痛恨の思いがある。先に書いたように、工学者の方々のお話を理解するのに大変な時間をかけてしまった。その結果、本書の刊行は予定より遅れたのだが、その間、2008年3月に吉田和夫教授が急逝された。それを知ったときには呆然とし、しばらくなにも手につかなかった。
筆者が教授にお会いしたのは一度だけに終わってしまったが、そのお人柄と研究の魅力は強く感じていた。研究室で「これはすごい。IBMの機械よりすごい」と驚く筆者に、教授は「宣伝のアクティビティが少ないから」と苦笑していらっしゃったが、本書がかすかにでも、そのお役に立てばと考えていたものである。
しかし書籍となった文章をご覧いただくことは、かなわなかった。もう少し早く進められればよかった。
これから先の未来では、吉田先生の提唱した概念がいっそう広がり、生物と機械の違いはなにかという、この解の方法すら見えない難問を、意外にも解き明かして乗り越えていく鍵になることだろう。
※ お忙しい中時間を割いて取材に応じてくださった工学者の方々に心より御礼申し上げます。
また魅力的な絵を描いてくださったむらかわみちおさん、もう長らくともに取材を行い、この企画でもいい写真を撮ってくれた金澤智康さん、連載時にかっこよくデザインしてくれたアルフェイズの林田航さん、取材を手伝ってくれた島田健弘さん、花田知子さん。ブックデザインを手がけたアーテンの中村忠朗さん。そして立ち上げ時に起案してくださった講談社の服部徹さん、連載につきあってくださった杉政友宏さん、書籍化にあたり方針を定めてくださった川島克之さん、拙い文章を丁寧に読んでくださった校閲の方々。皆様、本当にありがとうございました。
いつものことながら、自分の仕事がいかにたくさんの優れた人々の助力で成り立っているかと感じると、気が遠くなる思いがします。
2008年5月 堀田純司
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