「おもしろいものを、おもしろいと思った人に届ける」ことが難しい時代に それを最短距離で届ける「電子」の試み(3/3 ページ)
「売れる」「売れない」で二極化する現代の娯楽産業は、「おもしろいものをおもしろいと思ってくれる人に届ける」ことがもはや難しくなってしまったが、電子ならそれができるのでは――作家発の電子書籍「AiR(エア)」を主宰する堀田純司さんの論。
書籍紹介で入るアフィリエイト収入は数%。少ないように感じられるかもしれませんが、書籍とはもともと薄利多売の世界。紙の本を売って2割の収入を得るのも魅力的だが、在庫と流通のリスクを負うことのない電子書籍を売って、アフィリエイト収入を得るのもおもしろいとzonさんは語っています。
書籍を“商材”と呼ぶことに抵抗を感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、斜陽と呼ばれて久しい出版の世界。書籍の商品力をおもしろいと感じてくれる人が現れるのは、心強い話です。考えてみればAmazonの創始者、ジェフ・ベゾスも本の商材としての可能性に目をつけた人でした。
二極化がする世界の「中間層」を
リスク回避のために、縮小再生産を繰り返す歴史。時に突出した成功者が現れ、そこに注目は一斉に傾斜していく。
“売れるもの”と“売れないもの”の二極化が拡大する世界の中で、もっと中間層はないのか。自分がおもしろいと思ったものをおもしろいと思ってくれる、“自分と同じような人”と出会う場はないのか。電子であればつくることができるかもしれない。
本来、冷たい媒体であるはずの電子書籍で、書き手と読者が最短距離でつながる。そして書き手の“熱”が伝わるかもしれない。この分野には、そうしたある意味で矛盾をはらんだ可能性があります。
現代の小売りでは、消費者(ユーザー)に一番近いところにいる人たちが強い。そして文章や写真、音楽、映像など手軽に販売できる「note」(ピースオブケイクが運営)、電子書籍製作販売のプラットフォーム「ブクログのパブー」など、クリエーターが直接デジタルコンテンツを読者に届けるスキームが現代にはあります。KDPもそのひとつです。
こうした最短距離で読者とつながる試みに挑んでみることは、価値があるのではないかと思っています(紙の薄い同人誌と同じではないか、という意見もあるのですが、そうした同人誌は実は意外とアクセスが限られていると思います。否定している訳ではなく、自分もお世話になっているのですが)。
こうした著者たちの地道な活動を出版社の人も応援してくれていて、書き手を紹介してくれたり、さらにはもっと積極的にコラボレートして「電子雑誌でデビューし、紙の単行本を出す。さらにアニメ化」という企画も実現しています。
出版社なしでつくっていながら、出版社でもなかなか実現できない企画をやっている「AiR(エア)」ですが、歴史的に考えてみると、かつて横光利一や川端康成は自分たちで「文芸時代」という雑誌をつくり、彼らの活動は「新感覚派」と言われた。
さらに遡ると武者小路実篤と志賀直哉は「白樺」を、伊藤左千夫ら歌人が「アララギ」という雑誌をつくっていました。
そう考えると書き手が直接、読者とつながろうとする「AiR(エア)」の活動は、「最新」というよりも、むしろ「原点」と見るべきなのかもしれません。言うなれば「直接表現主義」を標榜する、「ダイレクト派」でしょうか(冗談です)。
堀田純司
1969年、大阪府生まれ。作家。電子書籍「AiR(エア)」主宰。主な著書に「僕とツンデレとハイデガー」「オッサンフォー」(いずれも講談社)などがある。編集者として過去に「生協の白石さん」「えの素トリビュート」なども、企画編集している。
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