「平成」デジカメ栄枯盛衰史:荻窪圭のデジカメレビュープラス(2/3 ページ)
デジカメは平成の時代に生まれた。アップル「QuickTake100」に始まり、多くのメーカーから特徴的なデジカメが登場した。めったにない改元の機会なので振り返ってみよう。
縦型薄型レンズ回転型モニターチルト型。中にはカメラとモニターが分離するカメラも。
そして平成9年にはオリンパスが「C-1400L」でメガピクセル(100万画素超)+3倍ズームのハイエンド機を出し、平成10年にはニコンが四角くてレンズ部が回転する「COOLPIX 900」を出し、富士フイルムが「FinePix 700」で「縦型」というユニークなデザインを投入したのであった。
メガピクセル時代に突入。左からオリンパス C-1400XL(なんと一眼レフなのだった)、富士フイルム FinePix 2700(FinePix 700が見つからなかったのでその後継機)、ニコン COOLPIX 900(このなんとも言えないデザインが良かった)
記録メディアもこの頃はまだ収束していなくてメーカーによってバラバラ。
富士フイルムやオリンパスは「スマートメディア」(当初はSSFDCカードと呼んでいた)で、ソニーは「メモリースティック」で、ニコンやキヤノンは「CF(コンパクトフラッシュ)カード」という具合。
中にはフロッピーディスクに記録するカメラ(ソニーの『デジタルマビカ』)やCD-Rに記録するカメラ(これもデジタルマビカ)もあり、シャープはMDに記録するカメラを出したことがあった気がする。
まっさらのフロッピーディスクをケースごとバッグにツッコンデ、デジタルマビカの作例を撮りに行ったのは遠い思い出であります。
平成11年(1999年)、デジタル一眼レフが始まる
デジタル一眼レフ自体はずいぶん前から合ったけれども、「これはいけるかも」となったのが1999年のニコン「D1」。
その頃、キヤノンの「D2000」は200万円コースだったのに対し、D1は65万円と道楽の人なら手を出せる値段だったのだ。
ここで手を出した人は多いはず(わたしも予約して発売初日にゲットした)。
その後、ミノルタが「α-7 Digital」(α7じゃなくてα-7ってのがポイント)、ペンタックスが「*ist D」と続いた。
平成14年(2002年)、デジカメ黄金期に突入
CIPA(カメラ映像機器工業会)の統計によると、2002年にデジタルカメラと銀塩カメラの出荷台数が逆転している。
デジタルカメラの時代が本格的に始まったのだ。
長くデジタルカメラを見てきて、潮目が変わったと感じたのはキヤノンが「IXY Digital」を出した平成12年。
ポイントは二つ。
一つは「IXY」という銀塩コンパクトカメラで馴染みのあるブランド名を持ってきたこと。
もう一つは、皆が慣れ親しんだ「四角い形のカメラ」にしたこと。
各社が「デジタルカメラならではの新しいデザイン」を模索していく中で、結局、昔ながらの四角いカメラが受け入れられたのだ。
レンズ回転式カメラが好きだったわたしとしてはそこがすごく残念であるのだけれども、その後、小型化薄型化高倍率化大画面化の流れもあり、個性的なレンズ回転式デザインが良かったソニーの「Cyber-shot」も徐々に四角いカメラになっていったのであった。
ああ、ちなみにわたしが好きだったのはこういうカメラである。
回転したり分離したりのカメラ達。前列左からソニー 「Cyber-shot F55V」(2000年)、カシオ「FR200」(2016年)、ソニー「Cyber-shot F505V」(2000年)。後列左からニコン「COOLPIX 950」(1999年)、Agfa「ePhoto 1680」(1999年)
カシオの「FR200」は最近のだけど、それ以外は2000年前後に集中して登場。「F505V」のレンズに回転式モニターがくっついたようなデザインは斬新だった。Agfaの「ePhoto 1680」は日本未発売。性能は「COOLPIX 950」と変わらないけど……というか作ってる会社はたぶん同じなんだけど、アメリカで見つけてつい買ってしまった。COOLPIX 950は今でも名機だと思う。
そしてデジカメはピークを迎える。
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