PC互換機はIntelだけではない ジョブズのいないAppleが進めたPRePとCHRP:“PC”あるいは“Personal Computer”と呼ばれるもの、その変遷を辿る(1/4 ページ)
PRePとかCHRPって知ってます? 知っているとしたらジョブズ再登場以前からのMacユーザーのはず。今回はこの辺りのお話です。
昔ながらのIBM PC、PC/AT互換機からDOS/Vマシン、さらにはArmベースのWindows PC、M1 Mac、そしてラズパイまでがPCと呼ばれている昨今。その源流からたどっていく連載。第12回のトピックは、AppleとPCの関係について。古くからのMacユーザーしか知らないであろう、PRePとCHRPについて解説する。
- 第1回:“PC”の定義は何か まずはIBM PC登場以前のお話から
- 第2回:「IBM PC」がやってきた エストリッジ、シュタゲ、そして互換機の台頭
- 第3回:PCから“IBM”が外れるまで 「IBM PC」からただの「PC」へ
- 第4回:EISAの出現とISAバスの確立 PC標準化への道
- 第5回:VL-Bus登場前夜 GUIの要求と高精細ビデオカードの台頭
- 第6回:VL-BusとPnP ISA PCの仕様をMicrosoftとIntelが決める時代、始まる
- 第7回:Intelが生み出したさまざまなPC標準規格 Microsoftとの協力と対立
- 第8回:USBが誕生したのは「奥さんのプリンタをつなげる手間にキレたから」 USBの設計当時を振り返る
- 第9回:Modern PCの礎、PCIはどう生まれ、いかに成立していったか
- 第10回:PCのスケーラビリティを決定付けた超重要コンポーネント、地味にスゴイ「APIC」の登場
- 第11回:ラップトップPCのための基礎技術が生まれるまでの紆余曲折
ここでちょっとメインストリームから外れた話をする。それはPRePだ。昔からのMacintosh(あえてMacとは言わない)のユーザーは記憶に残っているかもしれないが、その昔にApple Computer(これもAppleとはあえて言わない)は互換機路線を模索した時期があった。その時期の落とし子がPRePである。
PRePとはPowerPC Reference Platformの略であり、IBMが1994年に標準化したものだ(写真1)。
写真1:PReP Specificationの表紙。これは1995年にリリースされたVersion 1.1である。ちなみにSpecificationその他の資料は、現在もIBMから入手できる。ただし全部PS(PostScript)なので注意
これはIBMがPowerPCの拡販のために必要なものであったが、同時にApple Computerの互換機路線の確立のためにも必要なものであった。
この互換機路線、Apple ComputerのCEOとしてマイケル・スピンドラー氏が1993年10月に就任した辺りから本格的に始まる。もともとスピンドラー氏は1988年にApple Europeの社長を務めており、1990年には本社COOに昇格。そして1991年のAIM alliance(Apple、IBM、Motorolaの3社連合)の立役者ともいわれている。Power Macintoshが成立した「政治的な」素地を作った人だ。
そのスピンドラー氏がCEOに昇格した時期というのは、ちょうど同社が経営的に低迷していた時期でもあった。そもそもApple Computerはスピンドラー氏の前任者であるジョン・スカリー氏がCEOをしていた1985年辺り(≒スティーブ・ジョブズ氏追放直後)に、一度Macintosh OSのライセンスの可能性を本格的に検討している。ただこの時には社内の反対も多く(その筆頭が、のちに同社を離脱してBeを設立する、当時CTOだったジャン=ルイ・ガセー氏である)、それもあってかライセンス路線はいったん放棄。スカリー氏はその後Newtonに傾倒していく。
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