ローランド創業50年、その黎明期を振り返る シンセ、エフェクターがアナログからデジタルへ移り変わっていった時代(5/5 ページ)
中学生の頃からローランドに貢ぎ続けてきたという小寺信良さんが、1970年代から80年代の電子楽器の歴史を補完する。
1980's - サンプリング誕生
ここで章を分けるが、1980年にはサンプリング技術も大いに進んだ。これも結局はデジタル技術の賜物である。ローランドのサイトであまりサンプラーを取り上げていないのは、ローランドはサンプラーでも出遅れたからである。
サンプラーは、1979年にはすでにNEW ENGLAND DIGITALの「Synclavier II」、1980年には豪Fairlightの「Fairlight CMI」が登場している。Fairlightは後にMAソフトウェアとなってDaVinci Resolveに組み込まれることになるとは、知る由もない。
翌年にはEMUが「Emulator」を発売し、ここから音楽シーンに本格的にサンプラーが導入されていった。1985年にEnsoniqが「Mirage」を発売し、キーボード付きではEMUかEnsoniqがほぼ定番になっていった。
日本でサンプラーをリードしたのは、意外なことにAKAIであった。当時AKAIはテープデッキを中心とするオーディオメーカーで、楽器メーカーではなかった。1985年に「S612」で参入を果たすと、以降ラックマウント型サンプラーで大いに人気を博した。後のS900やS1000はテレビ業界でも使われ、MAルームには大抵どちらかが用意されていた。
1980年代後半に、筆者はたたき売り状態になっていたS612を手に入れたが、サンプラー部とドライブ部が別になっており、なんと音源はQuickDiskという2.8インチの小型フロッピーディスクで供給されていた。32kHz/12bitなのでかなりローファイであったが、その後のアナログ回路の柔らかさで音質をカバーしていた。
当時ヤマハ以外の楽器メーカーは、デジタルシンセとサンプラーと、両方を開発しなければならなかったので、大変だったと思う。ローランドは1986年に「S-50」を、KORGは「DSS-1」を発売し、ようやく俎上に乗ることができたが、海外メーカーとAKAIの人気の前に、歯が立たなかった。
筆者はDSS-1を買ったが、奥行きがものすごく長くて重いため、ライブに持ち出すことができなかった。ただ、スライダーを使って手書きで波形が描けるなど、面白い機能を搭載していた。まあ手書きで描いたからといって、思い通りの音になるわけではなかったが。
国内メーカーのサンプリング技術は、1980年代後半から90年代にかけて、ワークステーションやリズムマシン、音源パッドという格好で転用されることになっていった。
1980's - デジタルエフェクター誕生
さらにここで章を分ける必要があるだろう。1982〜83年ごろから起こったデジタルムーブメントは、レコーディング技術にも当然波及する。信号の取り回しはまだアナログだったが、内部プロセスをデジタル化することで、アナログでは考えられなかったことが超低価格で実現できるようになった。
その筆頭が、デジタルマルチエフェクターである。単体のデジタルエコーやリバーブはプロ製品には存在したが、ヤマハが1986年に発売した「PSX90」は衝撃だった。10万円を切る価格で、豪華なエフェクトが30個プリセットされていた。ユーザー領域まで含めると、90個保存できた。
一番多く使われたのは、デジタルリバーブだろう。当時ジェネシスやフィル・コリンズのプロデュースを担当していたヒュー・パジャムが得意としていた「ゲートスネア」が簡単に実現できる。
ローランドは1984年の「SDE-3000」でデジタルディレイでは先行したものの、リバーブ系のデジタル化が遅れた。1986年に「DEP-5」、翌年低価格の「DEP-3」というデジタルマルチエフェクターを投入するが、ヤマハSPX90の後追いと見られたため、あまり注目されなかった。
折しもこの頃、KORGは経営が立ち行かなくなり、ヤマハの資本参加を受け入れて経営再建を図るなど、日本の楽器業界はヤマハDX7のインパクト、そしてデジタルへの乗り遅れにやられまくっていた。ローランドも鍵盤楽器ではかなり苦戦を強いられたが、ギター用エフェクターのBOSSは安定した人気があり、楽器もMIDIを中心に「MT-32」や「ミュージくん」などDTMへシフトすることで、苦しい時代を乗り切った。
このパソコンへのシフトが1995年の映像編集システム「ビデオくん編集スタジオ」を産むことになり、さらに2000年代に「DV-7」のようなスタンドアロン型ビデオ編集システムへと変わっていった。
最近では映像機器メーカーとしてのローランドしか知らない人も増えたが、1980年代後半から90年代の低迷期がなければ、ローランドは映像部門に進出していなかっただろう。
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