不祥事を起こしたクリエイターの作品は、消えるべきなのか?:小寺信良のIT大作戦(3/3 ページ)
クリエイターやアーティストによる不祥事が発覚すると、作品の販売自粛や配信を停止する風潮は根強い。その一方で、昨今では作者本人の罪と作品は切り分けるべきではないかとする考え方も強くなってきている。つまり、作品には罪はないのではないか、ということだ。
封印のリスク
コンテンツが封印されることにより、社会のリスクが増大するということも、議論の射程に入れておくべきであろう。
これまで音楽を楽しみに聴いていたファンは、手元にCDやDVDといった買い取りのメディアで保有している、あるいはダウンロードで購入していたなら、まだ聴く事ができる。ところがストリーミングでしか聴いていなかったファンは、配信停止、加えてCD等も販売中止となれば、聴く手段がなくなってしまう。
これまでそのアーティストに興味がなかった層も、逮捕の報を聴けば、どんな音楽をやっていたのか聴きたくなるのが人情というものである。だが作品が封印されてしまえば、聴けるチャンスはない。よって違法にアップロードされたものに手を出したり、流通在庫の音楽CDやDVDを不当な価格で転売する者も出てくる。
廃盤は、普通は需要がないために起こるわけで、価格も一定のところに収束するものだが、需要がある中での廃盤は、いわゆる転売ヤーの格好の養分となる。これは健全な市場とはいえない。
日本の社会は、コトが起こったときの責任を強く追及する傾向がある。その一方で、こうした事件が多く起こることで怒りの矛先がどんどん変わるため、忘れやすい傾向もある。現状のレーベルの対応はこのあたりをよく理解しているのか、いつのまにかしれっと配信を復活させるという手法が取られている。ある意味そのあたりが、最適解ということだろう。
きちんと論理構成して、アーティストの不祥事と作品は別の話だよね、と線引きしてしまうことは、ケースバイケースで判断しているのが現状だ。一方で将来どのような不祥事が起こるのかは予想できないわけで、汎用的なルールを作るのは難しいように思える。なぜならば、この問題は「禊(みそ)ぎ」や「ケジメ」といったことを好む人が求めていることであり、それは要するに気持ちの問題だからである。
こうした気持ちの問題に真剣に向き合って、多くの人にそれぞれ考えがあるというのは、ある意味日本は優しい国であるともいえるのかもしれない。その一方で、舞台がビジネスであっても、禊ぎやケジメのような呪に縛られる、合理性に欠けた社会であるという見方もできる。
もっとも抜本的な解決策は、そもそも問題を起こすんじゃねえよという話である。商業アーティスト、タレント、芸人など、自分の身に何かあったらめちゃくちゃ多くの人に迷惑が掛かる職業になったら、身辺行動には十分に注意すべきである。またその教育や注意喚起は誰が行なうのか、防止する仕組みはあるのか、といったところにも課題がある。レーベルもアーティストに代わって謝罪するなら、そうした責任も負うものと見なされる。
大物になれば回りに意見できる人も少なくなるのかもしれないが、アーティストであれば犯罪が許されるというわけではないし、犯罪が見逃されるわけでもない。今も現役の大物アーティストがどのように身辺を注意しているのか、そうしたお手本が共有されることも重要だろう。
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