Macintosh誕生40周年 コンピュータが未来だったあの時代:小寺信良のIT大作戦(3/3 ページ)
初代Macintoshが世界に発表されたのが、1984年1月24日。今年がちょうど40周年に当たるのだそうである。当時「テレビ土方」だった筆者が、Macintoshとの出会いを語る。
コンピュータにかけた夢
話をMacに戻す。当時Macは、スクリーン上で見えているままに印刷できるWYSWYG(What You See is What You Get)というアーキテクチャだったことから、DTPに使われるようになっていく。
一方動画については、テレビ出力のほうには伸びず、コンピュータ内での動画表示にこだわった。1991年に発表されたQuickTimeは、翌年のOSアップデートに合わせて無償配付された。Adobe Premiereもこのときに誕生している。
最初はQVGA(320×240ピクセル)ぐらいのサイズが動くのがやっとで、当時高品質なテレビコマーシャルの制作を手がけていた筆者からすれば、まだまだ全然使い物にならないという印象しかなかった。なにせ640×480ピクセル(VGA)の、1/4である。だが当時のコンピュータでフルカラーが難なく表示できるのはMacぐらいしかない。
多くの人がこの可能性に飛びつき、やがて実写動画ではなくCGアニメーションを動かすという方向で飛躍的に進化した。「MacroMind Director」の登場により、その動くグラフィックスは様々なCD-ROM文化として開花した。ゲームはもちろん、動画付きのサブカル辞典のようなものも数多く制作された。
日本のインターネット普及は、Windows 98が発売された1998年以降とされる。これがCD-ROM文化を急速に衰退させた。だが少データでグラフィックスを動かす技術は、Webページ上のアニメーションとして生き残り、現在に至る。思えばCD-ROMブームがなければ、Webはもっとテキスト寄りの文化になっていただろう。
かつてはパソコン文化の聖地と言われた秋葉原だが、インターネットもない時代は、調べて一方的に情報を得るということはできなかった。だから人と会って話をして、見たこともないソフトが動いているのを見て、言語化されていない何かを掴むしかなかった。
文筆家となった今、敢えてそれらを言語化するならば、モーリー・ロバートソン氏からは「懲りないことが力になる」ことを掴んだ。田中秀幸氏からは、「何かの素養が無ければコンピュータがわかるだけではダメだ」ということを掴んだ。
コンピュータの方向に未来があるのだけはわかっていた。そうした夢が見られたのがコンピュータの世界であり、その世界に居続けることがまだ決まっていない未来の手触りを感じられる唯一の手段だった。
筆者はいその夢を叶えたわけではなく、今もその夢の中に居たいだけなのかもしれない。あのデタラメな時代の気持ちのまま、今を生きている。
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