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コラム

鳥山明さん逝去に中国から悲しみの声が相次いだワケ なぜ「ドラゴンボール」はここまで浸透したのか(2/2 ページ)

鳥山明さんの悲報は本当に数多くの中国メディアが報じた。中国外交部の報道官・毛寧氏が「彼の作品は中国で非常に人気で、多くの中国のネットユーザーが死を悼んでいました」と哀悼のコメントを行い、それが人民日報など権威ある国のメディアで更に広がった。漫画家の死去に外交部がコメントするのは見たことがないと中国でも驚かれた。

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直撃世代の中国アラサー/アラフォーの反応

 鳥山明さん死去を悲しみ、アラサーアラフォーの人々が当時の思い出を語りだした。盛り上がったのが今の中国では時代遅れ感のある百度内の掲示板サービス「貼ba(baは口へんに巴)」のドラゴンボールスレだ。例えるなら2ちゃんねるやmixiのドラゴンボールスレでインターネット同窓会が行われるようなものだろうか。そしてそこでは当時氾濫していた海賊版の話が飛び交っていた。例えばこんなコメントだ。

  • 「中学の時にドラゴンボールを貸本屋で借りて読み終えた。本は一冊0.1元だった」
  • 「当時学校の前に本屋があった。「シティーハンター」「SLAM DUNK」「ジョジョの奇妙な冒険」も借りて読んだ」
  • 「当時ドラゴンボールは香港版、台湾版、海南版のいずれかがあったけど翻訳はすべて変で紙質もぱりぱりでひどかった」
  • 「中国全土に貸本屋があったのだから何億部海賊版が売れたのだろうか。とんでもない部数だったのでは」
  • 「2000年代に私たちが子供の頃、ドラゴンボールの漫画は5元だった記憶があります。今は4、50元!?日本の正規輸入版はそんなに高いの!?」
  • 「親しんだのは、海賊版の貝吉塔(ベジータ)、短笛(ピッコロ)、楽平(ヤムチャ)、布爾瑪(ブルマ)という名前だった。正規版の比達(ベジータ)、比克大魔王(ピッコロ)、雅木査(ヤムチャ)、荘子(ブルマ)はしっくりこない」
  • 「1980年生まれの私が読んだドラゴンボールは、海南撮影美術出版社から1.98元で出版された薄い本だった。私が心から追悼できる日本人はあなただけです。美しい思い出をたくさんくれてありがとう」

 アラサー、アラフォーはインターネットを利用せず鳥山明ワールドに興奮した。

 1990年代から2000年代前半にかけて、人々は貸本屋で海賊版の漫画を借り、友達と一緒に読みふけって冒険活劇に興奮した。正規版を売っている店は街にほぼなく、その辺で印刷品質の悪い海賊版を買うしかなかった。そういうものだと思って買っていた。テレビでドラゴンボールのアニメは流れていたけれど、声優は日本版と雰囲気が全く異なるもので(後で修正される)しかも途中で突然の打ち切りとなった。DVDの一世代前のVCD(ビデオCD)でも海賊版の劇場版ドラゴンボールが売られていて家のテレビで再生した。


今も売られている思い出のドラゴンボール

当時流通したという海賊版コミックス

 ブロードバンド普及前の中国で筆者もぎりぎり在住経験があり、海賊版に依存していた様子について筆者の当時のITmediaの連載で以下のように紹介している。

 「いくらホンモノより安くても、できることなら違法コピーされた「本」は買いたくない、というのが中国人の本音だそうだ。これはコピーされた本だと落丁乱丁が多いのに値段がホンモノの半額程度だから、ということらしい

中国は「海賊版」から逃れられるか

「蔓延する海賊版CDは100円前後で買えるが、それでも城中村の人にとっては高い買い物。そこでレンタルビデオ屋がある。こちらは1枚数泊で1元(15円)からとさらに安い。TVのない人のために個人用TVを開放している。ナイトパックもあり

中国の貧しい村にITはあるか?


「中国の貧しい村にITはあるか?」より

 鳥山明さんの悲報から、中国の古きインターネットサイトで当時の少年少女が集まり、何もかもいい加減だったころの中国の思い出を語り合い、思い出を共有していた。当時現役でドラゴンボールの話を見ていた中国人はこんな原体験をしていたのだ。

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