1812年、ナポレオン軍が“ほぼ全滅した謎” 死因となった新たな病原体を特定 フランスチームが発表:Innovative Tech
フランスのパスツール研究所やフランス国立科学研究センターなどに所属する研究者らは、最新の遺伝子技術により、ナポレオンのロシアからの撤退中に少なくとも30万人が死亡した原因となった新たな病原体を解明した研究報告を発表した。
Innovative Tech:
このコーナーでは、2014年から先端テクノロジーの研究を論文単位で記事にしているWebメディア「Seamless」(シームレス)を主宰する山下裕毅氏が執筆。新規性の高い科学論文を山下氏がピックアップし、解説する。
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フランスのパスツール研究所やフランス国立科学研究センターなどに所属する研究者らが発表した論文「Paratyphoid Fever and Relapsing Fever in 1812 Napoleon’s Devastated Army」は、最新の遺伝子技術により、ナポレオンによるロシア遠征からの撤退中に少なくとも30万人が死亡した原因となった新たな病原体を解明した研究報告だ。
1812年、ナポレオンのロシア遠征は歴史上最も悲惨な軍事的敗北の一つとして記録されている。約50万〜60万の兵士で構成された大陸軍は、モスクワからの撤退中に、ナポレオン軍のほぼ全軍を失う結果になったという。
長らく、その内の約30万人の命を奪ったのはロシア軍からの攻撃ではなく、厳しい冬の寒さ、飢餓、チフスなどの感染症によるものと考えられてきた。しかし、最新の古代DNA解析技術を用いた研究により、これまで知られていなかった病原体がナポレオン軍の崩壊に関与していたことが明らかになった。
研究チームは、リトアニアのビリニュスで発見されたナポレオン軍兵士の集団埋葬地から採取した13人の歯のサンプルを分析。この埋葬地には大量の遺体が埋葬されており、1812年12月のロシアからの撤退時に死亡した兵士たちのものと考えられている。
研究チームは最先端のメタゲノム解析技術を用いて、これらの兵士たちが感染していた病原体を特定することに成功した。結果、一部の兵士からパラチフスC型菌(Salmonella enterica subsp. enterica serovar Paratyphi C)と、回帰熱の原因菌であるボレリア(Borrelia recurrentis)が検出された。これらの病原体は、ナポレオン軍の兵士たちの死に関与していたことがこれまで知られていなかった。
パラチフスは汚染された食物や水を介して波及する感染症で、発熱や頭痛、発疹、脱力感、食欲不振、下痢、便秘、腹痛、嘔吐などの症状を引き起こす。1812年にナポレオン軍に従軍した医師の報告書には、兵士たちがリトアニアで塩漬けビーツを大量に摂取し、激しい下痢に苦しんだという記述が見られる。この記述は、汚染された食物によるパラチフス感染と一致する可能性がある。
一方、ボレリアによる回帰熱は、シラミを介して波及する感染症だ。この菌の検出は、当時の軍隊における劣悪な衛生状態を反映している。研究では、検出されたボレリアの系統が、少なくとも2000年にわたってヨーロッパで循環していた古い系統に属することも明らかになった。
注目したいのは、以前のPCRベースの研究で報告されていたチフスの原因菌とトレンチ熱の原因菌が、今回の解析では検出されなかったことだ。これは、これらの病原体がこの特定の埋葬地の兵士たちには存在しなかった可能性を示唆している。ただし、古代DNAの劣化や個体間での病原体量の違いを考慮すると、これらの病原体の存在を完全に否定することはできない。
この研究は、ナポレオン軍の崩壊が単一の要因によるものではなく、極度の疲労、寒さ、複数の感染症の組み合わせによってもたらされたことを示している。パラチフスと回帰熱は、それ自体が必ずしも致命的ではないが、すでに衰弱した兵士たちにとっては致命的な打撃となった可能性を示唆している。
Source and Image Credits: Remi Barbieri, Julien Fumey, Helja Kabral, Christiana Lyn Scheib, Michel Signoli, Caroline Costedoat, Nicolas Rascovan. Paratyphoid Fever and Relapsing Fever in 1812 Napoleon’s Devastated Army. bioRxiv 2025.07.12.664512; doi: https://doi.org/10.1101/2025.07.12.664512
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