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「切り取り」と「要約」が生む新たな炎上メカニズム 背景を追わない時代の弊害とは小寺信良のIT大作戦(3/3 ページ)

ネットの炎上事件などはもはや珍しくもなくなり、毎日どこかで炎上したというニュースが流れてくる。ただそれも、炎上内容にはある程度のトレンドがあり、何か1つの事件がきっかけで類似の事件があぶり出されるというパターンになっているようだ。直近の炎上からそのパターンを見てみよう。

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情報のパッケージングが変わる

 ここで考えておくべきは、切り取る際には、切り取る者の意図が色濃く反映されるということだ。どこをどれぐらい切り取るかとは、演出的行為である。例えば360度周囲にある風景から、カメラによって一部分を切り取る。これはどこからどこまでの範囲を収めるか、また何を中心にして構図を構成するのかの意図があるから、成立する。情報も同様に、全体像からどのワードを切り取るかには、必ず意図がある。

 その昔、ネットは知らないことを調べるための新しい方法だった。本には載らない、誰かが試行錯誤した結果や解決方法、解説、知見が「文章」として無償で掲載されていたからだ。今でも基本的にはその傾向は変わらないが、主体が「文章」から「動画」に変わってきた。ネット情報のパッケージングのされ方が変わってきたのである。

 これは検索性や情報俯瞰性の低さから、「要するに何なの」という要約が求められるようになる。15分も20分もかけて動画を見ているほど暇じゃないからだ。

 これは2022年頃に「タイパ」という言葉が広く認知されるようになり、翌年流行した「ファスト映画」や「切り抜き動画」のあたりからその傾向が顕著になってきたと考えている。ファスト映画は元々長い本編を切り刻んで字幕を付けて短くシナリオを説明する動画で、著作権法違反ということで逮捕者も出た事件である。

 その結果、オリジナルよりも切り抜きやサマリーのような要約で十分と考える人の方が多くなった。背景を自分で追うほど暇じゃないしそれほど興味があるわけでもないので、足りない情報は想像で埋める。そして「背景がどうであれ、事実は事実」として、断罪されるようになった。

 またその要約が事実と違っていても、それはそれほど重要ではない。「多くの人がそう信じていること」の方が重要なのであって、のちに間違いとわかっても自分のせいではないと考えてしまう。

 アインシュタイン稲田氏の問題は、乗っ取りが判明してからも「乗っ取られる方が悪い」と理由を変えて誹謗中傷が止まらなかった。チョコレートプラネットの問題は、失言はコンビの責任として2人で断髪して謝罪したが、「それもネタの一つだ」と理由を変えて中傷が止まらない。こうした現象も、背景を自分で追って判断せず、「みんなが信じたことを信じる自分は間違っていない」とする考え方が根底にあると考えられる。

 「素人はSNS禁止」という切り取りの炎上は、逆に「有名人はSNSに出るメリットなし」という考え方を定着させるのではないか。むしろ、「芸能人はSNS禁止」というルールを生むかもしれない。そうなればインターネットは、素人だけが揚げ足を取り合う世界になってしまい、インターネットから次のスターが生まれなくなる。これは、インターネットが言論をフラット化するといわれたインターネット黎明期の特性が反転するという意味でもある。

 多くの人は、そうしたネット社会を求めていないはずだ。「よく知らないし忙しいけどとりあえずオレも一言もの申す」は、決していい結果を生まない。

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