「Windows 95」発売から30年 パソコンが一番面白かった時代を振り返る:小寺信良のIT大作戦(1/2 ページ)
日本で「Windows 95」が発売されたのは、今をさかのぼる30年前の1995年11月22日深夜のことであった。米国ではすでに同年8月24日に発売されており、そのレビューなどがPC雑誌等で取り上げられていたことから、日本語版への期待は大きかった。ここでは、「Windows 95」発売から30年として、パソコンが一番面白かった時代を振り返る。
日本で「Windows 95」が発売されたのは、今をさかのぼる30年前の1995年11月22日深夜のことであった。米国ではすでに同年8月24日に発売されており、そのレビューなどがPC雑誌等で取り上げられていたことから、日本語版への期待は大きかった。
当時のPCとはどういう世界だったのかを簡単に振り返ってみると、80年代半ばからすでにビジネスユースや個人にはNECのPC-98シリーズが普及しており、OSとしてはMS-DOSが主流であった。DOS上で動作する「Windows 3.0/3.1」もあったが、結局DOSの方が使いやすいという人が大半で、Windowsには批判的な立場を取る人も多かった。
90年代初頭に人気を集めたのが、米IBMの「DOS/V」である。これはMS-DOSの上に被せて日本語表示が可能な拡張環境で、専用ハードウェア不要で日本語表示できるということから、ある意味自作PCの火付け役のような存在であった。
そこからPC-98以外の汎用PCのことは「DOS/Vマシン」と呼ばれるようになる。雑誌「DOS/Vマガジン」や「DOS/Vパワーレポート」の創刊が91年、その翌年には秋葉原に「DOS/Vパラダイス」、今の「ドスパラ」がオープンするなど、当時の秋葉原の路地では常にDOS/Vの呼び込みがこだました。
筆者は90年頃は米Appleの「Macintosh」と「Amiga」を使っていたため、GUIでのインタフェースがむしろ標準だと感じていた。ただMacintoshもAmigaも、ハードウェアとOSがメーカー縛りになっている世界である。
Windows 95の良さは、GUIを標準としながら専用機を必要とせず、DOS/Vマシンにインストールしてそのまま動くということであった。世界観が全然違ったのである。
筆者は当時DOS/V機を持っていなかったので、Windows 95深夜発売の秋葉原の模様はテレビニュースで見た。当時はPCの発売がニュースになるようなことはなく、ましてやOSの発売がテレビでニュースになるというのは、異例のことであった。そもそもPCユーザーではない人には、Windowsが一体何なのかも分からなかっただろう。
当時はインターネットも普及しておらず、PCに関する情報源はもっぱら専門雑誌であった。よって普通の人がPCの情報を知る機会など、ほぼなかったのである。
PCを自分で作る時代
90年代から徐々に立ち上がっていたPC自作ブームは、Windows 95の発売をきっかけに一気に盛り上がった。CPUやマザーボード、メモリ、HDD、カードスロットの規格も、より速くより高性能にと、どんどん変わっていった。だがデスクトップマシンのユーザーは、PCの買い替えではなく、パーツの入れ替えによって機器の延命を図ることができた。当時はゼロから自作をしない人でも、自作できるぐらいの知識を持っている人は多かった。
秋葉原にはパーツショップが立ち並び、新しいパーツによってPC本体から押し出された古いパーツがジャンク屋に流れることで、1つのエコシステムを形成した。「Windows 98」が出る前ごろには、ジャンクパーツだけで型落ちPCが組めるほど、潤沢にパーツが出回った。
メーカー製PCも、Windows 95の波に乗って順調に成長した。ただし主力は自作が不可能なノートPCであり、デスクトップマシンはよほどユニークなものか、ビジネス向けであった。筆者が初めて購入したWindowsPCは、96年発売のIBM「ThinkPad 535」である。
一般ユーザー向けデスクトップマシンは、いわゆる「ショップブランド」が隆盛であった。メーカー製品より安く、しかもユーザーのニーズに合わせてカスタマイズして納入してくれる。
ただ当時は、自作した方がまだ安かった。筆者も自作に詳しい友人たちに手伝ってもらって、97年頃にはどうにか1台自作PCを組み上げることができた。市販PCに比べてかなり低価格に作ることができたのに味をしめて、15年に執筆環境をMac Miniに移行するまで、何度も自作マシンを作った。途中01年にソニー「VAIO RX63」を購入したりもしたが、その時期以外はだいたい自作である。
もう1つのWindows
Windows 95の普及に伴って、日本にもインターネットが普及し始めた。今に至るコンピュータ系Webニュースサイトは、インプレスの「PC Watch」と「Internet Watch」が96年に、本サイト「ITmedia」はその前身である「ZDNet Japan」が97年に開始されている。
一方で筆者は、94年頃からすでにGUIタイプのWindowsを使っていた。「Windows NT 3.5」である。これはMS-DOSをベースにしておらず、全く新しいアーキテクチャで組まれたネットワークOSであり、サーバ/ワークステーションOSとしてハイエンドユーザーに好まれた。
Windows 95が米Intelのx86系プロセッサでしか動作しないのに対し、Windows NTはMIPSや米DECのAlphaプロセッサでも動作したので、ハイエンドワークステーションのソリューションを開発する会社から試作機を借りることができた。当時はAmiga用のCGソフトである「LightWave」や、米SGI用のCGソフト「SoftImage」がWindowsへ移植されたりした時期で、Windowsワークステーションが次の世代のCGプラットフォームになりつつあった。
筆者はその会社のご好意で、会社のモデムにダイヤルアップ接続し、インターネットも早くから利用することができた。プロバイダーの代わりをしてもらっていたわけである。NetScape、FreeFTPの時代だ。
まだ企業でホームページを持っているところは少なく、それこそ大手企業か、ネット系の企業ぐらいだった。ただパソコン通信と違って海外サイトへ接続するのに別料金が不要だったので、海外の便利ユーティリティーツールなどを入手するのは、当時としては画期的に容易であった。
日本ではインターネット普及以前はそうした通信に代わり、PC雑誌がこぞってCD-ROMを付録につけるようになった。最初にネスケ(Netscapeのこと)をゲットするのはCD-ROMから、なのであった。
Windows NTは96年に「Windows NT 4.0」となり、GUIが飛躍的に向上した。一方Windows 95は不安定だと言われたが、Windows 98になる頃にはかなり安定した。その後00年に「Windows Me」が登場したものの、その不安定さゆえに市場に大混乱を巻き起こした。
Windows Meには自動バックアップ機能を搭載するなど、革新性もあった。しかしせっかくウイルス対策ソフトがウイルスを隔離してアーカイブしたのに、そのアーカイブをバックアップして増殖させていくのでウイルス対策ソフトがてんやわんやになるという、恐ろしい問題があった。
米Microsoftはこの事態を収拾すべく、00年にWindows NT系の「Windows 2000」を出していたにもかかわらず、翌年にはWindows Meに代わってWindows NT系を統合した「Windows XP」をリリースした。
当時PCの入門書を数多く書いていた筆者は、98、Me、XPとOSがどんどん変わるので、動作検証にてんやわんやであった。PCの入門書が一番売れた時代である。
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