もし世界から“ねばねば”が消えたら? 粘性の重要性を解説 雨が凶器に、精子は進まず……:Innovative Tech
米UCバークレーに所属するモハンマド・レザ・アラム教授は、もし流体の粘性がこの世界から消えたら何が起こるかを考察した研究報告だ。
Innovative Tech:
2019年にスタートした本連載「Innovative Tech」は、世界中の幅広い分野から最先端の研究論文を独自視点で厳選、解説する。執筆は研究論文メディア「Seamless」(シームレス)を主宰し、日課として数多くの論文に目を通す山下氏が担当。イラストや漫画は、同メディア所属のアーティスト・おね氏が手掛けている。X:@shiropen2
米UCバークレーに所属するモハンマド・レザ・アラム教授が発表した論文「World without Viscosity」は、もし流体の粘性がこの世界から消えたら何が起こるかを考察した研究報告だ。
粘性とは、いわゆる「ネバネバ」「ドロドロ」といったもので、水を注いだときと蜂蜜を注いだときなどに感じる流れやすさの違いをいう。流体の内部で層同士がずれ動くときに生じる摩擦のことを指し、物理学では非常に重要な要素だ。では、粘性がこの世界から消えたら、いったい何が起こるのか。
結論は明快で、生命は存続できず、地球は居住不能になる。まず雨が凶器になる。雨粒が穏やかに落ちてくるのは空気の粘性抵抗のおかげで、これがなければ高度2kmから落ちた雨粒は地表で毎秒約200mに達する。
同じ理由で、現在は大気中で燃え尽きている大量の宇宙塵(流れ星)が、全て超高速のまま地表に降り注ぐことになる。
コップの水すら保てない。粘性ゼロの液体は表面張力に引かれて容器の壁を這い上がり、勝手にこぼれ出てしまう。ダムの微細な亀裂からも放水路と同じ勢いで水が噴出する。
飛行機は飛べなくなる。翼が揚力を生むには空気の粘性が不可欠で、これがないと翼の周囲に循環が生まれず、どんなに速く滑走しても浮かない。飛ぶにはロケットで直接持ち上げるか、翼の表面にジェットを吹き付けて人工的に循環を作るしかない。しかし着陸も空気抵抗ゼロでは減速できない。パラシュートも無力で、空気が傘の後ろで滑らかに閉じてしまうため、高度4000mからの落下者は超音速で地面に激突する。
鳥や昆虫も飛べない。羽ばたきによる揚力は粘性に依存しているから。空を飛ぶ生き物がいなくなれば花粉を運ぶ昆虫も消え、顕花植物の約75%が繁殖手段を失う。陸上の生態系は根底から変わってしまうだろう。
ねばねばがなければ工学も壊滅
音のエネルギーが熱に変わって消える仕組み(吸収)のうち、50%以上は空気の粘性によるもの。粘性がなくなると音が遠くまで減衰せずに届くようになる。そのため遠くの交通騒音、工事音、他人の会話が全て鮮明に聞こえ続け、都市は耐え難い騒音に包まれる。
水の中に住む魚類にも影響が出る。粘性がなくなると、いわゆる水かきをしてもすり抜けるので推進力が大幅に低下。しかし、いったん動き出すと今度は抵抗があまりなくなるので、ほとんど減速なく進み続ける。魚たちは現在の優雅な泳ぎ方は使えなくなり、イカのようなジェット噴射型の推進法などに頼るしかなくなる。
工学も壊滅する。エンジンの軸受は油膜の粘性で軸を浮かせているが、これが消えれば金属同士が焼き付き、回転機械(タービン、発電機、自動車エンジンなど)は数秒で停止する。油圧で動く建設機械やブレーキも、流体がピストンの隙間から瞬時に漏れて圧力を保てなくなる。車のショックアブソーバーも機能しなくなり、路面の衝撃がほぼそのまま伝わる荒っぽい乗り心地になる。
人体への影響は致命的だ。血管の抵抗は血液の粘性を生んでおり、これがなければ心臓は血圧を維持できない。毛細血管では赤血球がゆっくり通過することで酸素を受け渡しているが、粘性がなければ通過は一瞬で終わり、血液が十分あっても組織は酸欠になる。
紙で切った程度の傷からも血が止まらない。細菌や精子は粘性を押し返して進んでいるので、粘性がなければ動けず、受精すら起こらない。
膝や股関節の軟骨は、滑液(関節液)の粘性による流体膜で保護されている。粘性がなくなるとこの膜が機能せず、一歩歩くたびに軟骨がすり減っていく。
気道の粘液は高粘度のゲルで、吸い込んだホコリや病原体をネバネバで捕まえ、繊毛の波打ち運動で喉の方へ運び出す。粘性がなければ粘液はサラサラになって何も捕まえられず、繊毛も力を伝えられず、病原体がそのまま肺の奥に到達する。
地球はまるで天変地異
地球環境も激変。地表の風が穏やかなのは大気の粘性摩擦のおかげで、これが消えれば毎秒30〜50mのハリケーン級の風が常態化する。台風は摩擦で弱まるものだが、その仕組みがなければ何カ月も消えずに地球を周回し続ける。
高い木が根から葉先まで水を運べるのは、蒸散による引っ張り力と、導管内の粘性抵抗による安定化のおかげだ。粘性がなくなると、100mもの水柱はバラバラに崩壊するか激しく振動し、高い木は存在できなくなり、森が成立しなくなる。
地下水は土壌や岩の微細な隙間をゆっくり流れている。粘性がなくなると、一度の大雨で浸透した水は制御不能に流れ出し、帯水層はこれまで蓄積してきた水資源を数時間で失う。河川も同様に、穏やかな流れが秒速10m超の激流となり、洪水は減衰せずに下流を襲う。
地下のマグマも水のように噴き出し、溶岩は毎分数kmの速度で広がる。地殻を安定させているマントルの粘性がなくなればプレートの運動も劇的に加速し、大地そのものが安定を失う。
Source and Image Credits: Alam, Mohammad-Reza. “World without Viscosity.” (2026).
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