ファースト・プレゼント〜ペンの物語 <5>小説(1/2 ページ)

「秘密のプロジェクトを進めていると、そういうことが絶対にない、ということはありませんから。でも、安全な日本でもそういうことが起こるんですね。それにしても、あなたの見たレイ・ガンのようなものは見間違いでしょう。銃を撃つときにも閃光は出ますからね」それから何事もなく一週間が過ぎた。

» 2004年06月02日 00時00分 公開
[チバヒデトシ,ITmedia]
(以下、写真:チバヒデトシ、モデル:Chiro)

 桜を楽しんでいる間もないまま、いつの間にか春を通り越して初夏になろうとしていた。

 思いもかけず、課長になってしまったソフトウェア開発の仕事は順調だった。もっとも仕事といっても、時間が空いたら開発室(元は女子社員の休憩室だった)に行って、タブレット・ペンから筆に持ち替えて、開発チームからの注文に従って文字を書くだけなのだ。その上、開発の進行と開発チームとのやりとりはほとんどユウカ任せだった。それでも、今回のプロジェクトがうまく行けば、ソフトウェア事業部開発課として正式にこっちの仕事に専任してもらう、という話を聞かされてからは、自分なりに頑張っていた。それに加えて、元々の営業の仕事もあって、以前にも増して忙しかった。

 営業に行く機中、そんなこの数カ月の出来事を思い起こしていた。行き先は、係長の代わりに担当エリアになってしまった北の大きな町だ。係長は年末に旅行に行ったきり、音信不通になっていた。なぜかそのことは誰も話題にしていなかった。まるで最初からいなかったかのようだった。

 そんなことを思いめぐらせているうちに、飛行機はもうすぐ春が終わろうとしている北の大地に降りた。

 

 空港には春の異動でこの町の支店に転勤になった齋藤富士雄が迎えにきているはずだった。齋藤は待ち合わせロビーでパソコンに向かっていた。例の液晶部分がぐるりと回る自慢のタブレットPCだ。夢中でパソコンを操作している齋藤の前に立って、頭の上に資料のたっぷり詰まった重い鞄を載せてやった。齋藤は半ば惚け顔で見上げると、にやりと笑顔で、「こんにゃろ、やったな」と言う顔をして、ボディーブローをかませてきた。それを軽く受け流し、齋藤にたつようにあごで促した。齋藤は顔を見上げながら、

 「ちょっと待ってくれ。借りてきた営業車がナビの付いていない車でさ、これから行くところはまだ行ったことがないんだよ。地図もないから、いま地図ソフトで検索しているからさ」

というと手慣れた感じでタブレット上にペンを走らせると、あっという間に行き先を調べてしまった。齋藤は僕の鞄に目をやると

 「おまえ、いい加減、パソコン使いこなせよな。先方に渡す資料なら仕方ないけど、ほとんどは見せるだけでいい資料ばかりだろう。そういう資料ならタブレットに表示させて、そのまま見せればいいだけじゃないか。もう、うちの支店でも若手だけじゃなく、ベテランもそういう使い方してるぜ」

と言った。また、齋藤のパソコン蘊蓄がはじまったと思い、話題を変えなきゃと思ったが、齋藤はそれだけ言うと、鞄にタブレットPCをしまい込み、先に立って歩き出した。

 空港の駐車場を出ると、外はまだ肌寒い感じだった。荷物をトランクにしまい、営業車に乗り込むと齋藤は目的の場所に向かって車を走らせた。しばらく営業先の情報交換をして、一息つくと齋藤はからかい口調で

「例のお習字の仕事は順調なのかい、課長殿」

とたずねてきた。ムッとしつつも

 「まあな。なにしろ営業の合間に筆を握るだけだから、どっちが主の仕事かわかんないしさ」

と応えた。

 「なにを悠長な事、言ってんだよ。だいたいお前がお習字なんか巧くなけりゃ、今頃、お前がこの支店勤務になっていたはずだったのによ」

と毒づくと急に話題を変えて、

 「そう、それはそうとユウカちゃんとは進展あったか?」

 会社の中では唯一、プライベートもつきあいのある齋藤には自分の正直な気持ちを話していた。ユウカとの昔の出会いについても話していたので、齋藤はこのことは真面目に話を聞いてくれていた。

 「いや、前と変わらないさ。でも、仕事をしていても熱い視線を感じることがあるんだよな」

 「おまえ馬鹿じゃねぇの。そりゃ、お前の思いこみだよ。いくら、昔、ユウカちゃんがお前を気に入っていたって、いまのお前を好きかどうかはわかんねぇだろ。それより、オレみたいに仕事もプライベートも頑張ってる男の方がいいに決まってんだよ」

 笑い飛ばす齋藤を無視して、外の景色に目をやった。車窓にはまだ散らずにいる桜が後ろに流れていった。

 一日、齋藤と営業回りをして、支店に戻った。メールをとると、事業部長のヤノベからメールが来ていた。

 “………。それとどうやら開発チームとわれわれのやりとりを誰かが調べているようです。電話にも、メールにもその形跡があるので、十分注意が必要です。それから、この件はユウカ・オダジマには秘密にしておいてください”

と書かれてあった。いったい何があったのだろう。ユウカに秘密にするには彼女にも疑いがかかっているということなんだろうか? いずれにせよ、すべてをユウカに任せている以上、自分にはなにもできないな、と思った。

 帰りは飛行機ではなく、夜行列車にすることにして、夜は齋藤の誘いのまま、部下を交えて食事をする事になった。部下といっても地元採用の若い女子社員とアルバイトで、なんだか即席の合コンのような感じになってしまった。食事を終えてカラオケで一盛り上がりしたところで、女子社員の方が明日は早いからと言って帰ってしまうと、齋藤とアルバイトのコもそのままどこかに消えてしまった。

 一人駅に向かうとポケットに齋藤から受け取っていたメモを見つけた。乗り換えソフトで調べた帰りの列車時刻のプリントアウトだった。データに直接、タブレット・ペンで書き込んだ赤い矢印と“この列車の逃すと朝までないぜ!”という走り書きも印刷されていた。残念ながら、とっくに列車は出た後だった。仕方なく、駅の近くのホテルにでも部屋を取ろうと歩き出した。

 ホテルの並ぶ大きな通りにでるには、もう少し先まで行って曲がればいいのだが、ちょうど通りに抜けることができるビルとビルの間に挟まれた駐車場があった。まばらに車が止められた駐車場には特にゲートや柵があるわけでも、車止めもある訳でもないただの更地に駐車場の看板を出しただけでの簡素なものだった。中に入ると、通りまではほんの数十秒程度の広さだった。

 中程まで行くと車の影に身を隠すようにしている人影を感じた。酔っぱらいか、ホームレスか、どうせそんなとこだろう。こんなところじゃ、強盗も商売にならんだろうし、と思いながら、そこをやり過ごそうとした。その時、出し抜けに後ろから誰かが飛びかかってきた。とっさに身を翻し、後ろを振り向いた。

 「誰だ! 一体、なんだ!」

と叫ぶより早く、人影は車の影に消えた。

 「おい、出てこい! どういうつもりだ」

と強い口調で言い放つと、今度は車の影からこちらに強烈な光が向けられた。思わず目を背けると、すぐ横にあった車のドアに丸く小さな穴が開いていた。一体何が起きたのかさっぱりわからなかったが、明らかなのはそれは人を殺傷するに足る光で、自分に危険が迫っているということだった。

 また、閃光が走った。とっさに飛び退くと、今度はすぐ横にあった鉄製の手摺りがぐにゃりと曲がった。さらに逃げても光は音もなく執拗に襲ってきた。なぜ、襲われているのかもわからないまま、闇雲に逃げまくった。そのとき、通りの方から

 「田嶋! こっちだ!」

と聞き覚えのある声がした。同時に光を放ってくる方に向けて、声のする方から同じ光が放たれ、光の応酬になった。あたりは静かな戦闘状態になった。その隙を見て、通りに出ると光の応酬は止んでいた。声のした方に目をやると一人の男が立っていた。その場から走り去ろうとする男に

 「待ってくれ!」

と叫ぶと、男は足を止めたが、そのまま駆けだしてしまった。一瞬、男の顔がネオンサインの明かりに照らされた。僕は息を呑んだ。その男は間違いなく、行方不明になっている係長の坂口俊治だった。とっさに係長の後を追った。坂口が先にある角を曲がると、そこから車が急に通りに飛び出してきた。車の助手席には坂口が乗っていた。横を走り抜ける車の運転席を見て、僕は愕然とした。

 「ユウカ!」

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