Appleの新しい方向性――4つの発表と3つのトレンドを林信行が読み解く:WWDC 2015で訴えた人間尊重と文化創造(5/5 ページ)
WWDC 2015の基調講演を現地で見た林信行氏がその発表内容からこれからのアップルを読み解く。
魂と情熱で作られた「Apple Music」
今回のWWDCで基調講演の最後に“One more thing”として発表されたのが、新サービス「Apple Music」だった。その言葉は使われなかったが「アップルが音楽を再発明する」というくらいの意気込みで作られたサービスであることがひしひしと伝わってきた。
デジタル時代の音楽ライフスタイルは2001年に登場した2つの製品、iTunesとiPodによって世界中の数十億人に広がっていったことに異論はないと思う。
しかし、その後、巨大に成長したこの市場に、多くのプレーヤーが割り込んできた。気がつけば今はiTunesに加えて動画サイトだったり、無料聞き放題系のサービス(日本は少ないが米国ではこれが非常にたくさんある)だったりと色々な場所があり、それぞれが分断している。
聞きたい曲が決まっている人は、その都度、最も安価、かつ最も簡単に再生できるサービスを渡り歩いて音楽を楽しむが、そういうライフスタイルでは「いつもお気に入りの音楽を聞くのはここ」という決め手がかけ、実はだんだん音楽から遠ざかってしまっている人も少なくないのではないだろうか。
Apple Musicは、アップルが世界で最も多くの曲を販売するiTunesの基盤を生かし、それを個人または家族会員の月会費を払うだけで、購入していない曲までオフラインでも楽しめる聞き放題型サービスだ。他の聞き放題型サービス同様に、自分の好みにあう音楽を発見できるサービスなども提供している。
筆者は常々、きちんと1曲1曲に対して対価を支払う仕組みと異なり、聞き放題サービスをやってしまうと、1つ1つの曲に対するリスペクトがなくなり、アーティストに対する愛着も減り、長い目で見ると音楽業界そのものの衰退につながるのではないかという懸念を持っていた。
しかし、そこはさすが音楽業界をけん引してきたアップルだ。今日でも多くのアーティストが自身のTwitterやFacebookで行っている音楽の製作の過程やコンサートのリポートなど、アーティストたちとの生の関係の構築する機能や新手のミュージシャンが世界に羽ばたくための仕組みにもしっかり大きな力を割いている。
「シズル感」という言葉を使ってしまうと、ギョーカイっぽく感じられてしまうかもしれないが、Apple Musicの公式ページを見てみて欲しい。しばらく見ているだけでワクワクしてきて再び音楽におぼれたい気持ちが盛り上がる感覚は、こうした情熱や魂と地続きで作られたサービスだからではないかというのが筆者が持った印象だ。
多くの人々に音楽の楽しさを知るきっかけを与えてきた「ラジオ」のサービスも提供する。DJ1と呼ばれるチャンネルではロサンゼルス、ニューヨーク、ロンドンの3つのスタジオから生身のDJが世界100カ国以上に向けて音楽を届ける。
このDJ1の紹介で使われた言葉が象徴的で、アップルはこれが「機械的に作られたプレイリストではない」ことを強調していた。
Apple Musicには、機械が自動的に最新の洋楽ヒットチャートやディスコサウンド、最新J-POPなどを流し続けてくれるステーションも用意されているが、Apple Musicの発表のそこかしこで生の人間の力が強調されていたのが印象に残った。
Connectというファンとつながるサービスで自らの活動を伝えるアーティストたち本人であったり、Apple Music会員にオススメの曲を教えてくれる人力の曲推薦サービスであったり、ラジオで曲を流すDJであったり、このサービスを生み出したアップルのジミー・イオバイン氏(彼はジョン・レノンやブルース・スプリングスティーンらとも音楽製作の経験がある)だったりで、アップルは企画屋の人が頭だけで作った心や魂とつながっていない音楽販売「ビジネス」に真っ向から立ち向かうように、本当の音楽の楽しさや素晴らしさを知る人のコミュニティを通して、改めて音楽の良さを世界に広めようとしているのだという意気込みを感じた。
そのためにはもちろん、アップルだけのプラットフォームだけやっていたのではダメだとよく理解したうえで、WindowsやAndroid上でもこのサービスを展開する。
Apple Musicが、本当に再び音楽の楽しみを世界に広げられるのか。実際の評価が決まるのは、このサービスが実際に始まって、どれだけ大勢の人が音楽を楽しむようになるかが分かってからだとは思うが、頭だけで作らない、情熱と魂でサービスを作っていることに好印象を持った。
アップルはApple Musicというサービスには、かなりの覚悟を決めて本気で取り組んでいることをひしひしと感じる。2位を大きく引き離す、時価総額世界1位のビジネスのうまい会社が、何をそんなに熱くなって……と思うかもしれない。しかし同社はこのサービスに本腰を入れることで、新たな産業を生み出すというよりは、彼らが愛していた音楽という文化をもう1度、再興しようと真剣に考えている。
そんなきれいごとのわけがないと信じない人もいるかもしれないが、経済合理性から逸脱した本気で新しい21世紀の文化を創造しようと取り組むのが最近のアップルに通底する姿勢だ。それはEarthdayに発表された環境への取り組みなどにも表れている(あの取り組みでもうかるのであれば、他の企業もこぞって追従しているはず)。
それと同じで、2001年に1度、iTunesとiPodでデジタル音楽文化に花を咲かせたアップルだからこそ、再びそうした文化の再興をしようとまじめに思っているのだろう。
同様の人間性を尊重した21世紀文化を築こうという姿勢は、プライバシーを徹底して保護する姿勢や、やりすぎずに無駄な手間だけを取り除いてくれるインテリジェンス、そして家族が集う「家」を進化させるホーム連携といった新たに築こうとしているトレンドにも相通じる部分がある。
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