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コラム

盤上で探す「神の一手」 人間と人工知能が紡ぐ思考 (2/5 ページ)

Googleが開発した囲碁AIでも読めなかった「神の一手」。盤上ゲームにおける妙手が生まれるプロセスを、人間と人工知能の思考の違いから読み解く。

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「神の一手」はどのように生まれるか

 囲碁や将棋などの盤上ゲームでは、時折この類の「特別な一手」が現れる。また、コンピュータ(AI)は、「神」とまではいかなくとも、人間の理解を超えた手を連発する。事実、セドル九段とAlphaGoの対局では、第1局から第3局までの間にAlphaGoがそうした手をたびたび見せ、「一見して悪手」「人間には怖くて打てない手」と言われながらも、数十手後には「なぜか先ほどの手が働いてきている」「もしかして好手だったのでは」と評価を逆転させる現象が見られた。

 このような「妙手」と呼ばれる手に明確な定義はないが、条件としては「ほとんどの人が気付いていなかったこと」「その一手で大きく流れが変わったこと」「勝利をたぐりよせる上で影響が大きかったこと」などが挙げられるだろう。

 では、こうした手はどのようにして盤上に現れるのだろうか。人間とコンピュータで、その思考プロセスに違いはあるのだろうか。

人間とコンピュータの考え方の違い

 妙手の条件の1つである「気付きにくい手」について、例を挙げて考えてみよう。

 盤上ゲーム、特に将棋やチェス(囲碁はやや特殊なのだが)における人間とコンピュータの違いとしてよく言われることに、「人間は線で考える。コンピュータは点で考える」という“線と点の評価”がある。

 線の評価とは、それまでに自分が指した手(※)を考慮に入れながら、「ここまではこう指しているので、次はこう指せばいいはず」という“流れ”を重視した考え方だ。例えば、「一手前では攻めるための準備の手を指したのだから、次の手ではいよいよ攻めなくてはおかしい」というのが、線の評価に基づいた指し手の決め方になる。

※将棋の場合は「指す」、囲碁の場合は「打つ」というが、本記事では特に囲碁に固有の例でない限り、以下すべて「指す」と表記する

 一方、点の評価というのは「盤上のその局面だけを見て方針を決める」考え方のことだ。前の手に何を指したかなどは関係ない。ただただその場面での盤上だけを見て、次の指し手を決めたり形勢判断をしたりする。言い換えれば、「ここまでの道筋なんて知りませんよ。現状で最善の判断を下すだけですよ」ということだ。

 流れを重視する人間は、この「点の評価」が基本的に苦手だ。どうしても、自分がそれまでに歩いてきた足跡を振り返りながら指していくのが自然な思考になるし、膨大な選択肢の中から次の一手を決めるためには、事前に決めた指針や大方針に頼らざるを得ない。

 しかし、コンピュータは往々にしてそうした指針を無視し(というか、最初から指針など持ち合わせていない)、「流れの中にはない手」を指す。これが人間にとっては大きな違和感となって映るわけだ。このようにしてコンピュータは「人間の盲点になりやすい」手を放つ。

「棋理」とは何か

 「気付きにくい手」についてさらに掘り下げるために、もう1つ考えてみたいことがある。「棋理」という概念だ。

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