ライター:斎藤充博
インターネットが大好きで、ウェブ記事を書くことがどうしてもやめられない指圧師です。「下北沢ふしぎ指圧」を運営中。
連載:コンピュータ・メモリーズ
1982年生まれの筆者が、人生を通じて出会ってきたガジェットの超個人的な思い出をマンガで振り返ります。
ポケベルというものがありました。当初は電話機でプッシュした数字を受信するだけの道具だったのですが、途中から文字も受信できるようになりました。それに伴い、サラリーマンの仕事道具から、次第に中高生のコミュニケーションツールとして広がってきます。
でも……。受信可能な文字は全角カナだと14文字までだったのです。あの時の僕たちはわずか14文字で何を伝えあっていたんでしょう?
そう、全然大した内容は伝えることはできなかったんです。14字ってツイッターの10分の1ですもんね。それでも夢中になっている人は多かったのです。「ベル友」なんて言ってポケベルだけでつながっている人たちもいたりしました。人間、どんな状況でもコミュニケーションしたがるものなのです。
それにしても、新しい通信手段が出てくると、持っている人たちの間で輪を作ったり、持っていない人たちは疎外感を感じたり……。このあたりのことはITがだいぶ発展した今になってもずっと変わりませんね。
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