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日本企業が水素市場で勝つための3要素――過去の失敗から何を学び、どう生かすべきか?連載「日本企業が水素社会で勝ち抜くための技術経営戦略」(2)(2/4 ページ)

グローバルに競争が激化する水素市場において、日本企業が採るべき戦略について考察する本連載。第2回となる今回は、蓄電池や太陽光パネル、半導体など、過去のケースを振り返りながら日本企業が水素市場で勝ち抜くためのアプローチを考察する。

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太陽光パネル市場ではなぜ勝てなかったのか

 太陽光パネルも、2000年代半ばまでは日本企業が市場シェアの上位を占めていたが、現在は中国企業の牙城である。2000年にドイツでFIT制度が始まり、欧州における太陽光市場が拡大した際、それを商機として太陽光パネルの輸出を拡大させたのは日本ではなく中国だった。蓄電池同様、中国政府が政策的に巨大な国内の太陽光発電市場を作り上げ、パネルコストを引き下げたことも同国企業の躍進理由の一つに挙げられる。

 日本国内でFITが開始されてからも、日本のパネルメーカーが飛躍することはなかった。国内の需要だけでは限りがある中で、グローバルレベルで市場を獲得すべきところ、その波に乗ることができなかったためと理解する。

 筆者が付き合いのあった中国太陽光パネルメーカーは、FIT制度により日本の太陽光市場が全盛期にある最中に、既に東南アジアや南米といった次の有望市場へリーチし、日本からも人材を派遣して現地拠点の整備や法制度のキャッチアップを行っていた。また日本のオフィスも、日本人は2〜3割程で(筆者個人の感覚)、ほとんどが欧米含む外国人スタッフであった。日本にいながらも、海外の情報をいち早く入手することで、グローバル市場への感度を高めていたと考える。

 また中国が太陽光パネルで台頭しているにも関わらず、日本企業に焦りが生まれなかったのは、「品質」で勝てると思っていたからかもしれない。しかし再エネ普及においては国民負担が必須であり、それを前提とした制度設計となっていた中、やはりマーケットのニーズと優先度は品質よりも価格だったと考える。

マーケットニーズへの適応に課題があった半導体分野

 生産拠点の国内回帰が進む半導体にも触れておきたい。半導体産業衰退の大きな契機は日米半導体協定2という政策的な要素が大きいが、グローバル市場の変化を把握しきれていなかったという背景もあるだろう。

 1980年代、電機製品では日本が高いシェアを誇っていたことから、半導体の主な納入先も日本の電機メーカーであった。しかし海外では電機製品の主力がPCにシフトする中で、半導体企業は主要PCメーカーである海外企業に食い込むことができなかった。グローバルマーケットのニーズの変化を捉えきれていなかった、あるいは捉えていてもそれが企業としての戦略に落とし込まれなかったことも、衰退の大きな要因であったと言える。

2.1980年代に日米貿易摩擦は生じたことで日米半導体協定により貿易規制が強化され、1991年の同協定改訂では日本国内市場における海外製半導体のシェアを10%から20%に引き上げること等が盛り込まれた。

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