エンタープライズ:コラム 2003/10/27 20:30:00 更新


Gartner Column:第116回 ナレッジマネジメントを日本で議論する意味とは

実現技術に大きな動きが見られるとしても、ナレッジマネジメントの構造についての一般モデルそのものは十分に成熟しているとみていいだろう。しかし、それでも日本でナレッジマネジメントを議論する意味はどこにあるのだろうか。

 情報システム化を前提に考えるときナレッジマネジメントがどのような構成を持つべきなのかに関する一般的なモデルは、下の図で大きく違ってはいないはずだ。

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ナレッジマネジメントの構成(出典:ガートナー)


 そして、読者の多くはかなり以前から同じ内容を持ったモデルを目にしてきたことと思う。その意味で、ナレッジマネジメントの一般モデルそのものは十分に成熟したものであり、パラダイムシフトでも起きない限り、モデルそのものの議論を積極的に行う必要はなさそうだ。

 しかし、英語で議論されたものを日本語に置き換えて説明すればこと足れり、かというとそういうわけではない。モデルが適用される状況や環境の特性に応じた議論が必要であり、それゆえに日本でナレッジマネジメントを議論することに意味がある。既に以前のコラム(第101回 ナレッジマネジメントとKnowledge Management)で触れたことのある内容だが、今回は、何がどう違うか考えてみたい。

 東京大学経済学部の藤本隆宏教授は、米国の製造業の基本モデルは「組み合わせ」にあり、日本企業のそれは「すり合わせ」にあると主張している。「組み合わせ」においては明確なインタフェースを持つモジュールを寄せ集めて製品全体の機能が実現されるが、「すり合わせ」では製品ごとに部品を相互調整して製品機能が実現されることになると説明されている。

 このことは、ナレッジマネジメントが、どのような知識を扱うべきなのか、どのように知識を扱うべきなのか、という点での日米の差を生み出していると考えることができるし、またナレッジマネジメントに何を求めるのか、どのようなシステムを構築したいのかの差となって表れてくるのだろう。

 このように見てくると、「すり合わせ」と「組み合わせ」というキーワードは、日本でナレッジマネジメントを考えるためのなかなか良いスタート地点だと思えてくる。

 さて、「組み合わせ」を志向する環境で必要な知識は、モジュールの機能とインタフェース条件に関するものであり、恐らくそれは無矛盾で明確な構成をしていることが条件となるであろう。また、何よりも、例えば、生産地点の迅速な変更などを考えて、多少の状況の変化では解釈の変更などが起こらない強靭な一意性を持たせる必要があるだろう。

 オントロジーに関する議論に見られたように強い型を持つ表現形式で知識を表現しようとする姿勢は、実は「組み合わせ」型のバリューチェーンモデルを追及する中で選択されてきたものなのではないだろうか? だとすれば、「すり合わせ」型バリューチェーントの相性がいいナレッジマネジメントというものも構想することができるだろう。

 それは、二進木的な明快な構造を持つ知識表現ではなく、「AとBを組み合わせたらZになるけれども、ちょいと乗り心地が悪そうなんで、BとWの組み合わせで居住性と走行性能をバランスさせましょうか?」といった、行きつ戻りつする過程の中にさまざまな知識をアドホックに放り込んで解釈の場の形成を行うといったタイプのアプローチを採るように思う。

 このように考えてくると、日本のKMツールベンダーが提供している「質問と答え」を知識活動の一単位として見るアプローチは、それがKnow-Who空間やコミュニティーへのフロントエンドプロセッサ兼オーガナイザーにつながっていくのであれば、「すり合わせ」型バリューチェーンとの親和性の高いナレッジマネジメント環境の基礎を形成するものだと言えないだろうか?

 それにしても、米国風ナレッジマネジメントの文脈で判断すると、こうした議論は企業の知的資産管理にリスクを持ち込むとして非難されてしまうのだろうか?

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[浅井龍男,ガートナージャパン]