10年先の写真を見据えて――カシオ「QV-10」:矢野渉の「クラシック・デジカメで遊ぶ」(2/2 ページ)
撮ったその場で写真を見られるカメラとして、鮮烈なデビューを飾ったカシオ「QV-10」。もしまだ手元にあるならば、「ポラロイドアート」で楽しんでみるのも悪くない。
今、QV-10Aを使うということ
QV-10、QV-10Aを購入した人はかなりの数になるだろう。たぶんこの記事を読んでいる人たちの中にも「そう言えばうちにもあったかも」という方が多いのではないかと思う。
そういう人は、とりあえず探し出して電源を入れてみることだ。電池を入れっぱなしで液もれをおこしていない限り、QVはほぼ動く。レンズ、CCDとあとは基板が2枚と液晶、壊れる要素が無いほどシンプルな構成でできているのだ。
フラッシュメモリーに懐かしい画像が残っているかも知れない。それを見ながら盛り上がったり、QVを買った時代を思い出したり。さらにあの頃に戻ってシャッターを押してみよう。ノイズだらけの写真が撮れて、懐かしさが増すだろう。
僕を例にとれば、この写真がQV-10Aで撮った最も懐かしい写真だ。
日曜日の朝に、子供に作ってあげた「目玉焼きのせごはん」に海苔とケチャップで顔を描いたら自分的にツボにはまってしまったものだ。すぐにそばにあったQV-10Aで撮影した。この手軽さがQVの良さだ。それ以来、この写真はブログ、ツイッター、そして連載「金属魂」のアイコンに使っている。
家族にかかわる写真は、画素数の多少もホワイトバランスも、どんなマイナス要素も関係がない。その時代に、誰がどんな気持ちでシャッターを押したか、そしてその写真を見る者がどう汲み取るか、なのだ。
最後に、QV-10Aの画像を最も効果的に使える方法を提案したいと思う。320×240ピクセルという現在ではお話にならない画質、逆光に弱いレンズ、曖昧なホワイトバランス。これは冒頭に触れた「ポラロイドフィルム」によく似ている。
このチープな画質なら、「ポラロイドアート」が可能ではないかと直感した。ポラロイドアートとは、被写体をポラロイドカメラで何分割にも分けて撮影し、それを集合体として見せる手法のことである。幸いQV-10Aは35ミリ換算60ミリという長めの標準レンズが付いている。これならかなり細かいポラロイドアートが可能だろう。
作品は、目の前の風景180度ぐらいをランダムに切り取り、構成した。QV-10Aの記録できる限界の96枚を撮影し、フォトショップで作った大きなカンバス上に96のレイヤーを置いた。上下を変えたり位置を動かしたりして一枚の絵を作り上げた。
どうだろうか。時間はかかったけれど、充分に遊べましたよ。
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デジカメの普及も10年を優に過ぎ、クラシックと称するに値する製品も浮かび上がってきた。色の傾きもノイズも、すべて想定内で今のデジカメでは撮影できない写真を造る喜び。これがクラシック・デジカメの正しい楽しみ方なのだろう。
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