長谷 SFって割と技術の進歩に合わせて、作中に出てくるいろいろな技術だったりが古くなっていくんですけど、ネットワークの進歩によってそれが顕著に表れるようなりましたね。
藤井 そうですね。「夢見てた世界が現実化したから、SFが書きにくくなっているんじゃないか」という声も聞かれますけど。
長谷 でもそれもナンセンスといえばナンセンスで、どんどん現実化してきたことで、今度は近い視点でもっと精密に書くことができたり、近づいたからこそ露わになった問題もあったりしますし、書くものが減るわけではないですね。
藤井 「Gene Mapper」はまさにそういう考えで書きました。70年代〜80年代ごろの、J・P・ホーガンらが書いていたような熱のあるSF小説をいまの技術ベースで書いたらどうなるのか。そういう話を自分でも読みたかったんです。
長谷 テクノロジーと人間の関係って、距離感が変わることはあっても基本的になくなることはないんですよね。ネットワークについての話がこんなにSFのネタになるなんて、ウィリアム・ギブスンも若いころは考えてなかったでしょうね。
藤井 サイバースペース(編注:ウィリアム・ギブスンが著書『ニューロマンサー』などの中で使用した造語。「電脳空間」などとも訳される)をネタにしてこんなに話が作れる時代になるとはっていうね。
長谷 昔だったらネットワークをネタにした話を書いてもマニアにしか受けなかったかもしれないですけど、例えばさっき話にあった、韓国やフィリピンではこうでっていう話も、技術が進歩してネットワークについても一般化したことで、新しい読者が新しいリアリティを持って受け取ってくれるようになった。
藤井 まだまだいろんなネタが出てくるっていう確信めいたものがありますね。
長谷 最近思うのは、少し昔に最新だと確信していたものすら、容赦なく昔になってしまうということ。グレッグ・イーガンがまさに現在進行形で昔になりつつある気がしているんですよ。自分がイーガンの影響をものすごく受けている作家なので、ショックなんですが。でも、イーガンって人間の存在が重たいじゃないですか。AIがこれだけ進歩して社会に大きな位置を占めるようになってくると、人間がこんなに重たくていいのっていう。
藤井 深いなーそれ、確かにそうだ。
長谷 スタンフォード大学のAI100(編注:100年掛けてAIを備えたマシンが人間の社会や経済にどのような影響を与えるのかを調査する、スタンフォード大学の科学者たちが立ち上げたプロジェクト)などありますけど、そういうものを考えていくと、AIと人間の関係を見ていく中で、AIが負担する部分はすごく大きいんですよね。
コンピュータがどんどん進化していっても、人間の人格をデータ化することによって社会を主導していくことができるっていうのは、これから30年、50年ぐらいのスパンで考えると、割とロマンチックな夢になるかもしれない。
藤井 いわゆるシンギュラリティ(技術的特異点)問題ですね(編中:技術的特異点とは、未来研究において人類の科学技術の歴史から推測される技術的な限界点を指す。特異点以降、技術進歩を支配するのはポストヒューマンや人工知能と言われている)。
長谷 AI100もそうなんですけど、シンギュラリティが起こる起こらないとか、AIが自ら新たな問題を作り、AIがそれを解決していくこととかは100年ぐらいの長いスパンでみるとほぼ既定路線なんだと思います。GoogleのAIが問題を作り、AmazonのAIもまた別の問題を作る。IBMのワトソンも問題を作っていく。
藤井 そういったことは部分的には起こり始めていて、広告表示の最適化はそれに近いです。Googleの広告枠に何を入れるかというのは広告を出す側のAIと、何を表示させるかというGoogleのAIが化かし合いをしていて、そこに人間が広告のソースを投入しているわけなんですが、誰が何と戦えばあの枠に表示されるのかというのが分からない状態で、結局いつもAmazonの広告が表示されているという(笑)。そこはすでにAIにとっての戦場なんですよね。
長谷 日本はだんだんと人口の減少が進んでいますけど、そうなると比例的にホワイトカラーも減少する。AIで対応できる仕事はAIに置き換わっていくと思うし、子どものときにテレビとかで見ていたような職業が大人になったらなくなっているとか、そういったことはいくらでも出てくる。そういう世界になったときにどういう夢を見ることができるのか、というのはこれから先、SF作家に求められる仕事だと思います。
藤井 書きたいなと思いますね。そういう状況と、そうなったときの希望を。
藤井 SFって極端な状況を設定できて、読者に対してその世界の整合性を明確に提示しなければいけないジャンルですよね。
長谷 論文にできるものを出せるなら学者になればいい話なんですが、SFって多少いい加減な部分もあったりはするんですよ。けど、作家やジャンルなりの誠意というんでしょうか、そういうものはどこかしかにありますよね。
―― 整合性というお話が出ましたが、ほかに書く上で気を付けていることはありますか?
長谷 読者が理解できるように書くことです。
藤井 それすごく大事ですよね。誰も知らない、自分の頭の中にしかないような用語を書くこともあるので、それが分かるようにしなくてはいけない。または、分からなくていいものであれば、分からなくていいよというサインを示していかなければいけない。下手に伏線に思われてしまったらまずいわけですし。そういう部分はすごく気を遣います。
私の場合、新しいアイデアを書くときには“手触り”というものを大事にしています。小説の中で匂いについて描写する人としない人がいるという話を聞いたことがあるんですが、私は描写する方です。特にテクノロジーが使われているときに、それがどんな匂いなのか、できるだけ書きたい。
長谷 SFは割とそういうことを重要視しますよね。野田昌宏さんの『スペース・オペラの書き方』という本にも、五感が描かれたシーンの方がイメージしやすいと書かれていたと記憶しています。
藤井 拳銃であれば、それこそ型番だけでも読者は分かると思うんですけど、SFに出てくる見たこともないアイテムって現実に存在するわけではないから伝わらない。なので、五感に伝わってくる情報はなるべく書くようにしていますね。
―― そういう現実にはないものを書くとき、詳細をメモしておいたりするんでしょうか。
藤井 めちゃくちゃメモしますよ。今日持ってきてるんですけど、これはオービタル・クラウドのクライマックス辺りのプロットですね。シーンはあまり多くはないですけど、どこから侵入しているかとか、どこからどう見ているのかとか、そういうものを平面的に展開して描いたりしています。
長谷 ちゃんと残っているのはいいですね、僕はバンバン書いてバンバン捨てるんで(笑)。
藤井 捨てちゃうんだ、もったいない。
長谷 テキストファイルとして書くんで、テキストの肥やしになっちゃう。だいたい書いたメモは2割使えばいいとこみたいな感じですね。
藤井 あ、それは私も同じです。作中に出てくる架空の会社のロゴも考えたんですが、ほとんど使いませんでした。
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