エンタープライズ:コラム | 2003/02/25 21:56:00 更新 |
Linux Column:オープンソースの有用性を実証していこう
前回の内容が思わぬところで反響(?)を呼んだようなので、今回はその点について展開していこう。オープンソースの開発プロセスに対する客観的な評価というのはなかなか難しい。
前回の内容が思わぬところで反響(?)を呼んだようなので、今回はその点について展開していこう。
前回、以下のように書いた。
「オープンソースの有用性は色々と言われているものの、客観的に見れば、残念ながらそれらは全てオープンソース推進派の述べている希望的観測に基づいたものでしかなく、反対派および大多数の中立派に対するオープンソース導入への説得力を持ちえていなかったのが冷静な評価だろう」
これを「オープンソースの有用性というのは全て希望的観測に過ぎないのではないか」というふうに捉えられたようだ。そのように捉えられてしまったのは、私の言葉が足りなかったと思うので、以下のように補足してみた。
「一方、マイクロソフトを中心としたオープンソース懐疑派の述べているオープンソースの無用性もまた、悲観的憶測でしかないといえよう。つまり、双方ともオープンソースが有用であるのか、それとも単なる戯言にしかすぎないのかということを感覚論でしか語らず、実証主義に基づいた開発手法としての客観的評価を行ってこなかったのではないか」
オープンソースの開発プロセスに対する客観的な評価というのはなかなか難しい。完全に同じ土俵の上で比較検討される形でソフトウェアが開発されることはないし、その成果物に対する評価も、一定の期間が過ぎなければ下すことはできないが、その時にはすでに技術トレンドは変化してしまって、結果がほとんど意味を為さないことも多い。
しかし、最も難しい問題は、オープンソース「ソフトウェア」は数多あれど、確固たる「オープンソース」開発手法は確立されていないことではないだろうか。
現状、オープンソース開発手法は開発者の主観的な側面、いわゆる「モチベーション」で語られることの方が多いからだ。例えば、Linuxを開発したLinusの話を記した「Jut for Fun」(邦題:「それがぼくには楽しかったから」)という書籍のタイトルは、そうい意味では的確なタイトルだと思う。各人の主観に基づき、もっともいいと思われる方式や技術を使って開発される、その自由な点が最も魅力であるし、そのような開発者の主観的な考えは、プログラマ崩れの私は個人的には大大大好きだ。
しかし、いざエンタープライズ・システムのソリューションや、電子政府システムに組み込んでいくべきソフトウェアとなると、当然話は違ってくるだろう。
オープンソースに対する期待に応えるには、オープンソース開発手法の成功要因をエッセンスとして抽出し、普遍的な開発手法へと昇華させる作業を行わなくてはならない。それもより具体的な方法として説明可能なレベルまで。最終的には人的依存性を極力排除した形態に移行しても、手法としてシステムの安全性が保証できるまでになることが一つの理想的なゴールだろうか。
以前本稿で、「XP」とオープンソースのいい関係? というコラムを書いたが、あの「12のプラクティス」のように具体的なメソッドに近い分かりやすいものを作っていくことが必要なのではないだろうか。
そのためにも、前回の意見書にもあったような、オープンソースに関する各種調査を行っていかなくてはならないだろうし、それを踏まえてオープンソース開発手法の確立をしていきたいものだ。
ご意見・ご感想は私まで。
[宮原 徹,びぎねっと]