まだ夢だった――モバイルコンピューティングの夜明け前:モバイルワーク温故知新(4/4 ページ)
スマートフォンやタブレット端末、モバイルルータを使って場所を選ばずに仕事ができるワークスタイルを誰もが実践できる時代になった。だが、これが当たり前になるまでには何十年もの長い歳月がかかった。そんな歴史を振り返っていこう。
高速モバイル通信の元祖・PHS
このような状況の中で、モバイルの本命とも言えるインフラとして登場したのが、PHS(Personal Handy-phone System)である。PHSは、まだ第3世代携帯電話の未来が不透明だった1990年初頭から開発、実証実験が進み、1995年にサービスが開始された。
PHSは「簡易型携帯電話」と位置づけられる。電波出力が非常に弱く、基地局を多数設置しないと実用的でないという問題があった。しかし、当時の事業者だったNTTパーソナルやDDIポケット、アステルは精力的にアンテナを全国に設置し、一大PHS通信網を作り上げたのである。
PHSは携帯電話よりも通話料金が安かったことに加え、「PIAFS」というプロトコルを使って当時としては64Kbpsという高速なデータ通信ができることが特徴だった。全国の主要なインターネットプロバイダーがPIAFSに対応し、PIAFSアクセスポイント経由でデータ通信が可能だった。以前よりも大きいサイズのデータを転送しやすくなり、当時はモバイルデータ通信の本命として注目された。
しかし、PHSにも泣き所はあった。携帯電話に比べて電波出力が小さい点である。基地局のアンテナから離れるほど通信速度が落ちてしまい、安定して通信できなかった。また、1つの基地局にアクセスが集中しても速度が落ちるという欠点があった。状況によって通信速度が変動するのは無線通信の宿命だが、PHSの場合はセル(電波が届く範囲)が小さい分、携帯電話よりもその変化が比較的大きい。
PHSは、その後も長くモバイルデータ通信の主要なインフラとなり、各PHS事業者が撤退してウィルコム1社になってからもなお、3Gモバイル通信が本格化するまではモバイル通信の本命として多くのユーザーを集めた。また「W-ZERO3」などのスマートフォンの先駆けとも言える端末を活用したモバイルワークスタイルの先鞭を付けた。
PHS登場から10年後の2005年12月にウィルコムから発売された初代「W-ZERO3」。スマートフォンの元祖とも言える存在で半年間に15万台を販売した。だがPHSの通信速度は遅く、データ通信端末としてのパフォーマンスは低かった
もっとも、PHSの通信速度では会社にリモートアクセスしてイントラネットの情報をやりとりしたり、ファイルを転送したりするには大変に厳しい。Webページの表示もかなり時間がかかる。やはり、テキスト主体のメールのやりとりが最も実用的で、まだモバイルワークそのものは、夢のまた夢――の時代であっただろう。
次回はモバイル黎明期、3G通信の開始とモバイル通信の本格化、iモードという日本独自のコンテンツビジネスが進む2000年初頭からの歴史をひもといてみることにしよう。
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