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働き方改革の“善意”はなぜ、“悪意”に変わるのか武闘派CIO友岡賢二のサムライ日記(2/2 ページ)

改革派CIOとして知られるフジテックの友岡賢二氏が、変化の時代に生きるIT部門、情報システム部門の仲間たちを叱咤激励する本連載。第1回は、何かとモヤモヤ感が拭えない“働き方改革”にメスを入れます。

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 印象的だったのが、「公私に関わりなく常に状況をSlackに流す。全然仕事に関係ないことでもOK!」という斎藤社長のコメントです。

 働き方改革を巡る議論は「ワークライフバランス」という善意からスタートしたはずなのですが、たどり着いたゴールは、「ワーク」を「ライフ」から分離・摘出するような営みになっているように感じます。

 一方、スタートアップ企業独特の雰囲気が漂う会社では、「ワーク」と「ライフ」が非常に近い存在で、場合によっては寝食を共にするために、「ワーク」と「ライフ」が混然一体となっているケースも少なくないように思います。言い方を注意しないと「ブラック経営者」と読者から言われかねないような危険な議論に既に片足を突っ込んでおりますが(笑)、あえて言えば、私自身は「ワーク」は「ライフ」の一部であり、完全なる分断は「ライフ」側から見てもデメリットが多いと感じています。

 私がフジテックのCIOになって個人スマホの業務利用を許可したのも、根底にはこういった世界観があるからです。しかし、これは決して会社が個人に強要するようなものではなく、従業員の自由裁量における選択肢を広げるための取り組みです。働き方改革における私の感じるモヤモヤ感は、この“「ワーク」と「ライフ」の外科的分離手術のような営み”への、私個人が感じる違和感なのではないかと思うのです。本来は私の「ライフ」の一部である「ワーク」が、自分自身の手から取り上げられるような感覚を覚えるのです。

 “このような話をしている私”が信じる、“善意の世界から始めた取り組み”でさえも、現場の人から見ると悪意の塊に見える可能性だってあるわけです。システム作りの面白さ、難しさ、そして怖さは正にこういったところなのです。

 それでも、全ての人々が持つそれぞれの期待値に正面から向き合い、自分なりの答えを出し、時には失敗をしながら、何とかみんなが感じてくれる幸せの総量を高めるために努力を止めないところに私たち自身の存在意義があり、努力のご褒美として「やりがい」や「生きがい」が天から与えられるのだと思います。

フジテック常務執行役員 情報システム部長 友岡賢二氏プロフィール

1989年松下電器産業(現パナソニック)入社。独英米に計12年間駐在。ファーストリテイリング業務情報システム部の部長を経て、2014年フジテックに入社。一貫して日本企業のグローバル化を支えるIT構築に従事。


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