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「あなたは上司、僕は部下」の線引きが組織をダメにする!?――理想の組織をつくる3つのポイント榊巻亮の『ブレイクスルー備忘録』(1/2 ページ)

「上司だからxxできて当然」「部下だからxxして当然」――そんな組織をダメにする利己主義は、「上司と部下」という関係がもたらす弊害かもしれません。仕事上のパートナー同士、互いの力を最大限に引き出し、気持ちよく働ける組織の要とは?

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この記事は榊巻亮氏のブログ「榊巻亮の『ブレイクスルー備忘録』」より転載、編集しています。


「あなたは上司、僕は部下」の線引きが利己主義を生む

 以前から、「上司と部下」の関係性が害悪を生み出しているように感じている。極端にいうと、上司・部下という考え方自体、前時代的な過去の遺物なんじゃないかと思うのだ。

 もちろん大きな組織を動かす上で指揮命令系統は大事であり、その上での「上司」という役割が必要なのは理解できる。上司と部下を全否定するつもりはない。だが、一方で、上司と部下という関係性がもたらす弊害も大きい。例えば、役割があてがわれると、「上司としての振る舞いをしよう、部下としての振る舞いをしよう」という暗黙の力が働く。そして、相手にも「上司として、部下として」の振る舞いを期待してしまう。

  • 「上司が」働きやすい職場をつくってくれるはず。
  • 「部下が」思うように動いてくれるはず。

 でも実際はそうはならない。そして、自分が思い描く「あるべき上司像、部下像」と合致しないとイライラする。

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 上司は部下のことを対等と見ていない。自分の“駒”だとでも思っているのか。「言ったことをやれない」「気が利かない」「言い訳が多い」「使い勝手のいい優秀なコマが欲しい」……。部下は部下で、上司が何でもやってくれると勘違いしているのではないか。「上司が悪い」「経営が悪い」「私たちは被害者だ」……などと文句が出る。

 ちょっと極端な表現かもしれないが、程度の差はあれど、そういうマインドが見え隠れする人が多い気がしてならない。根底にあるのは、「相手がxxすべき」という思い込みだ。組織のヒエラルキーに立脚した、完全に他責のマインドである。本当に恐ろしい。

  • 上司だからxxできて当然。 部下だからxxして当然。
  • これは私の仕事じゃない。 これは相手の問題であって、私は悪くない。

 こうなると、自分の立場でしかモノを考えなくなる。自分の主張しかしなくなる。「xxは課長の仕事。私はヒラなんだからそれは私の仕事じゃない」「こんなに職場環境が悪いのは上司のせい。私は職場をつくる立場にないから、上司がつくってくれるのを待っているのに、本当に無能」という思考が生まれてしまう。

 役職で呼び合う組織では、こうした心理的な壁が暗黙のうちにつくられていくのではないだろうか。そして自己欺瞞、利己的思考であふれた職場になっていくのではないか(少々極論かもしれないが)。

 余談だが、わが社の代表は、「社長」と呼ばれるのを死ぬほど嫌う。きっとこれは、ヒエラルキーの意識によって生まれる壁を嫌っているのではないかと思う。

「仕事は上下でやるんじゃない。チームでやるんだ」

 そもそも、「上司」と「部下」って、何なんだろう。

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 上司、部下である前に、私たちは「1人のビジネスパーソン」であるはず。ビジネスなのだから、一緒に仕事をする人はすべからく「仕事上のパートナー」という関係になるはずだ。

 もっというと「チーム」である。

 対等なチームメイト、ビジネスパートナーに対して、「相手が何かしてくれない。だからあいつが悪い」とか、「相手がうまく動いてくれない」「やれやれ、なんて無能なんだ」とか思うなんて、何かおかしい。共通の目的に向かって力を合わせるんじゃないのか?

 例えばケンブリッジのプロジェクトチームは、「お客さんに満足してもらう」「いい仕事をして約束を果たす」という共通目的を持った仲間達の集まりだ。そこに上下関係は存在しない。もちろん互いを役職で呼ばない。1人のプロとして、年次や役職に関係なく「さん」付けで呼ぶ。若いメンバーが、「PMの考えはおかしい」と面と向かって反論する。「こうした方がいい。この方がチームとしてうまくいく!」と主張する。

 そこには、お互いの力を最大限に引き出し、気持ちよく働くためのルールがあり、習慣がある。それは、「上下関係」ではなく、「補完関係」だ。

 われわれのプロジェクトチームの働き方が特別なわけではなくて、普通の組織でも同じはず。

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