第8回 僕の考える、僕が歩んできたライフデザイン:小牟田啓博のD-room
数々の端末を世に送り出してきたデザインプロデューサーの小牟田啓博氏が、日常で感じたこと、経験したことを書き綴る「小牟田啓博のD-room」。この季節は、入学、就職や転職など新生活をスタートさせる人たちも多いだろう。重要となるのは自分自身のライフデザインだ。
こんにちは。小牟田です。もうすっかり春の様相ですね。新芽が芽吹き、植物たちが眼を覚ますこの季節、実は僕は一番好きなのです。
中でも一番好きな芽吹きは“もみじ”。もみじは秋になると紅葉を楽しませてくれるのですが、新芽も実は赤い色をしています。それが気温の上昇とともに黄緑色に変わり、夏になると濃い緑になる。そのどれをとっても美しいものです。
そんな、その時その時に旬の顔を持っているもみじが、僕はとても好きなのです。
自分の興味を注ぐことのできる方向性を冷静にかつ熱く見つけ出せ!!
人にも“旬”というものがあって、タイミングタイミングで成長していく。ここに人として生きることの面白さがあるのではないかと思うのです。
おっと、いきなり話が大きくなりましたが、今回は「ライフデザイン」というテーマで僕の経験を基にお話してみたいと思います。
実は僕、リクルートが発行している「type」というキャリア求人情報誌のキャリアデザイン大賞で、特別賞を戴いたことがあるのです。
今、“ライフデザイン”や“キャリアデザイン”という言葉を、とてもよく耳にすると思います。先日ぼんやりテレビを見ていると、ライフデザインを支援する会社の女性社長が出ていて、人材の時流について解説していました。
このコラムで前回ご紹介した武庫川女子大の学生たちに、僕はライフデザインを考えて実践することの大切さも精一杯伝えたくて、授業の限られた時間の中で「最大限に自分と自分の経歴を大切にすること」「人やモノ・コトとの縁を大切にすること」などを話してきました。
そんな中、教え子であった武庫川の学生数名から、その後の活動の報告と合わせてとても素晴らしく、また僕にとっては嬉しいコメントの便りが幾つか届きました。それは、「自分を信じて自分の思うように生きていこう」「一番心打たれた授業だった」「いままでで最も脳が喜んだ期間だった」「毎日の過ごし方まで変えてしまった」といった内容でした。
こうして文章で綴ると、結構淡々としたように感じますが、そんなメールをもらったときに、僕は嬉しくて涙が溢れてしまいました。本当に。
学校ではカリキュラムに、そして組織では社会の枠組みに、どうしても縛られがちな中で、僕は元々の不良気質のせいで自分の道は自分で切り開く! という強い思いがありました。その結果、良い会社や良い仕事、良い人たちとの御縁に恵まれてきました。他人に口出しされたくない、他人に自分の人生を決められてたまるか! みたいな天の邪鬼気質とも言えるのですが……(笑)。
彼女たち武庫川の学生にもう一つ言ったことがあって、「黙っていたら所属する組織の枠組みに入ってしまう。だけど、自分の思いが正しい方向に強ければ、それは実りになる時代になって来ている」。そんな話もしてきました。「出る杭も、出過ぎてしまえば打たれない」とかね。
自分を振り返ってみると、大学受験の時が最初の大きなターニングポイントであったと思います。
それは、不良学生なものですから大学という名のガッコウには行けそうにない。だけど、大学くらいは行きたい。漠然とそう思って進路を決めようとする段階で、モノ作りをしたいという興味はあったのだけれども、一般大学の工学部には行けそうにない。であれば! と、探して探して見つけたのが美大のデザイン科です。
これを見つけたときには、大きなモノが自分の中に沸き立つのを覚えました。まともにサンスウやシャカイをベンキョーしたところでやる気になりません。だけど、デザインというキーワードになぜだかピンとくるものがあって、少々の困難であれば気合いで乗り越えられる気がしました。そうして手にしたのが多摩美術大学デザイン科への進路でした。
このときに強く意識したことは、勉強をしてこなかったことへの後悔よりも、それを元にした点数といったハンディキャップのことよりも、自分の興味を注ぐことのできる方向性を冷静にかつ熱く見つけ出すということです。
気持ちを分析して後悔やハンディキャップにフォーカスしてしまうと、どんどん自分がダメな人間に見えてきてしまい、自分を好きでなくなってしまいます。
だからこそ、意識して前に向かって成長する方向に足を踏み出す努力をする。このことの大切さを学んだ時期だったように思います。そして、自分で決断した選択肢だからこそ、責任を全うする必要ができてくるわけですね。
僕は学生生活を経て社会人となり、カシオ計算機という会社に入社の縁がありました。プロのデザイナーとしてのスタートです。
ここでおよそ10年の期間過ごすことになるのですが、素晴らしい仲間、素晴らしい上司や後輩に恵まれ、モノ作りの基礎をすべて学びました。
ただ印象的だったのが、入社早々に、あれは保険屋さんか組合か忘れましたけど、何歳くらいで結婚をして幾つくらいで一人目の子供ができて、二人目がいつで、家はいくつで買って、そして定年を迎え……みたいな話を聞かされたことです。
すると、大体の自分の人生設計が出来上がっている。そのことに僕は非常に大きなショックを受けました。「俺のことを知りもしないのに、そんなに簡単に俺の人生を決められてたまるか!」と。
そんな思いをずっと強く抱いたまま、何となく社会人として仕事をしていきました。仕事をして、もっと効果的に良い仕事がしたい。もっと大きな実績が出したい。そんなふうに強く思い続けていたものですから、良い仕事には恵まれていましたし、良い上司にも恵まれました。良い評価も貰っていました。
良い仕事ができればできるほど、本当に自分は良い仕事ができているのだろうか? ひょっとすると僕はこの会社だから通用していてるのであって、ほかでは通用しないのではないか?
いや、そんなことはない、ほかでも通用するんだ。ほかで通用するのか試してみたい! そんなふうに考えるようになっていきました。
何かの間違い!? モノ作りがしたい僕に通信会社からオファーがあった
当時はまだ、今のように転職を大きな声で言える環境ではなく、こっそりと活動するような感じでした。
当時は雑誌やネットも今ほど普及していなかったので、展示会などに出展している人材会社を中心に、積極的にコンタクトを取っていきました。自分という商品の売り込み合戦のスタートです。
大抵一つの人材系会社から一社くらいのアテンドはあるものです。しかし、縁を感じず、それもそのまま放っておくと、いつしか連絡が途絶えてしまう。こちらからのアクションが先方を動かすものなのだ。これが転職活動開始当時に学んだことでした。
転職活動をしている最中でも、在職中なわけですから気持ちをしっかり持って現職を全うするように努力する。このバランスも大切だと感じました。それは、在職中だからこそ現職での実績をアップデートし続けることができるからです。
こうして、実績が出るとそれを人材会社にアップデートをしていく。これを繰り返すうちに、人としての見識が広がっていくことが実感できましたし、人材会社の方との縁が強まっていくことも実感できました。
徐々にですが、紹介してもらう会社の条件が良くなってきました。ここまでに活動開始から2年以上が経過していました。
ここで肝心なのは、僕は現職に不満があって転職活動をしているのではないということです。あくまで前提は本当の意味でのキャリアアップです。仕事内容や処遇面などトータルで現状維持程度であれば、僕は迷わずノーの判断をしました。
そうこうしているうちに、付き合い続けた人材会社経由でKDDIからオファーの連絡が入りました。
モノ作りをしているし、今後もモノ作りをしたいと考えていた僕には、通信会社であるKDDIからのオファーは何かの間違いだろうと思いました。ですが、人材会社の方は先方がとても熱烈に僕を必要としている旨を知らせてきました。
当時、僕はこれ自体も何かの間違いだろうと思いました。何度かそんなやりとりを繰り返していると、とにかく面接にだけは行ってほしいと頼まれていました。断るのであればその後にしてほしい……と。
お世話になっている人材会社の方の顔を立てる、という名目で言われるがままに面接に行き、事情を聞き出すべく面接をするうちに、実は意外と僕が望む仕事ができそうなことが分かりました。そうです、条件を飲んで決定することにしたのです。当時の僕にはとても魅力的な環境だと思いました。これがライフデザインにおける“縁”です。
僕は同時期に人材会社経由以外で、採用募集をしている大手製造メーカーも数回受けて来ました。そのどれもが不採用でした。
ですが、悔しいという思いはあったものの、実際にKDDIへの転職を果たして楽しい仕事に恵まれたときには、不採用で良かったと、本当にそう思いました。これが、これこそが縁なのだと……。
あのときに採用になっていたら、それはそれでまた違ったライフデザインが待っていたのだろうと思います。だけど、今の仕事に全力を傾けていると、今の生活を送るためのプロセスだったのだろうと、そう理解することができるのです。
積極的に前向きに考えて行動すること。これが非常に大事なわけですね。
それともう一つ。転職活動の動機には不満分子も含まれるかもしれません。ですが、不平不満を動機にしても、それはどの組織もパーフェクトということはありえません。それ以前に自己が完全ということは、もっとありえない。
なのに人は、不平不満を自己ではなく自己の置かれる状況に向けてしまう。その選択肢は自分がチョイスしてきたにも関わらずです。これではいけませんね。積極的な動機が必要です。自分が何をしていきたいのか。何ができるのか。
もう一つ、これが僕の考える一番大事ではないかと思うことが、先ずは現状で実績を出すこと! これです。
実績が出せないのは今の組織のせいだ。こう思うからこそ転職を思いつく場面もあると思いますが、実績がなくてはキャリア採用はしようがありません。キャリア採用はプロフィール以上に経験と実績が必要だからです。もっというと、採用側から見れば必要ニーズが明確にあるからこそ、キャリア採用を行うわけです。これらを踏まえた上での縁談、それがキャリア採用です。
こうして、どこへ行っても通用するだけの実績を自分に持たせることからスタートします。
実績が見えてきてそれからの心構えとして、僕は“自分を安売りしない”ことにこだわりました。自分と自分の仕事に誇りを持つからこそ、それを大切にしたステップアップを考える。先にもお話ししたとおり、動機が好奇心と挑戦でしたから、現状維持以上の処遇条件とフィールドの可能性を冷静に計っていきました。
そして、自分とフィールドをつなぐルートを最大限に広げた上で、あとは神のみぞ知る、だと思うのです。
以上の一連の行動、これは自分の努力と失敗を重ねに重ねて築き上げてきたものですが、こうした活動をお話したところ、大きく評価して戴いたのが冒頭にご紹介したキャリア求人情報誌での受賞でした。
その受賞に際して、審査員の先生方から「小牟田氏は天才肌。凡人には絶対マネできない」「自分の才能やスキルを自分から売り込むクリエイターが出始めたのは、とてもいいこと」と、過大な評価を戴きました。でも僕は、誰にでもできることだし、誰にも必要なことだと考えています。
会社組織ばかりが発展を望んでいるのではなく、どんな組織に属している人であっても、どこでも通用するスキルと自覚を持つ人でなければ個人も会社も発展はないでしょうし、そんな実績を持つ人は積極的により良い組織へ移ることも必要になってくると思います。
今僕は会社を持つ側の立場になりましたが、社員はとても良い実績を積んできた者ばかりです。そんな彼らとともに良い仕事ができる環境を持ち続ける努力をしていく必要があります。こうして双方が発展に向けた努力をしていく。それらがバランスされることが非常に大切だと考えています。
今僕はバランスというキーワードを持ち出しましたが、すべてにおいて必要なもの、それがポジティブなバランスなのだろうと考えています。フェアなバランス感覚、これは何をするにおいてもとても大事ですよね。
春を迎え、新年度を迎えるにあたって、皆さんそれぞれ思いを新たに頑張って行かれることだと思います。今年はどんな年になるのか、またどんな年にして行くのか、気持ちを新たにして新年度に向けて楽しく頑張って行きましょう。
そんなメッセージを込めて、僕の考えるライフデザインをお話ししました。どうもありがとうございました。
PROFILE 小牟田啓博(こむたよしひろ)
1991年カシオ計算機デザインセンター入社。2001年KDDIに移籍し、「au design project」を立ち上げ、デザインディレクションを通じて同社の携帯電話事業に貢献。2006年幅広い領域に対するデザイン・ブランドコンサルティングの実現を目指してKom&Co.を設立。日々の出来事をつづったブログ小牟田啓博の「日々是好日」も公開中。国立京都工芸繊維大学特任准教授。
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