News:アンカーデスク 2003年12月5日 05:13 PM 更新

気紛れ映像論
“月9”「ビギナー」に見る「虚実記憶の狭間」(2/2)


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テレビに作られた記憶

 つまりこのドラマでは、主要登場人物たちの性格の違いを描き出すために、視聴者の知っている「人物」の最大公約数として「過去のドラマで描かれた(と思われる)人物像」を持ち出し、ステレオタイプとして利用しているのだ。

 公職を追われた元エリートが冷めたものの見方をするとか、元やくざの娼婦は気高いけれど情に厚いとか、元不良少年は熱血漢だが純粋すぎて単純だとか、そんなことはいちいち説明されなくても、視聴者の了解事項になっている(あるいは、了解事項に“されている”)のだ。

 実はこの手法、これまでにもさんざんテレビやドラマで使われてきた。しかし今回の「月9」のように、バラバラな連中を集団として機能させるため、毎回映し出されるオープニングで堂々とやってしまう例はあまりなかったように思う。

 さて、「Webの1画面ほどを使って、お前は何を言いたいんだ?」といぶかるみなさんも多いだろう。

 ここで、今回の拙文の結論をダイジェストにすると「我々の記憶はテレビによって作られているんじゃないかな?」ということなのだ。「何をバカな……」と呆れないでいただきたい。

 もちろん、すべての記憶がテレビの映像で形成されているわけはない。ただ、例えば「燃えるような夕焼け」とか「透き通るような沖縄の海」といった言葉で連想される光景の、一体どれほどが「あなたが現実に見て、肌で感じたもの」なのだろう……と、思い返していただきたいのだ。

映像のもたらす既視感

 漫画やテレビゲームの中で、主人公が激しい逆光線を背景に立ち上がるとか、木もれ日を見上げるといったシーンの描かれることがある。このとき、強い光線の描写に幾本もの斜線と共に、多角形のレンズゴーストが描かれていることに、気づいた人はいるだろうか?

 レンズゴーストは、光学的撮像装置――つまりカメラ――を用いなければ、絶対に見ることはできない。カメラのレンズは多層構造となっており、露出の調整には一般に複数枚の羽根を重ねた多角形の「絞り機構」を用いる。強力な光線がレンズ鏡胴内で反射を繰り返し、絞りの形(=正多角形)の虚像を結んでしまうのである。

 生身の人間の眼球(水晶体)は単体レンズで瞳孔(レンズの絞りに相当)は正円に近いため、ゴーストは絶対に発生しない。生身の人間が眩しい光線を見た場合、対象物はうすぼんやりとしたシルエットに見えるだけである。

 にもかかわらず、我々はこの「光学的な逆光線の映像」を「リアル」だと感じる。うすぼんやりとしたシルエットより、多角形のゴーストが浮かんでいる映像の方に「強いリアリティ」を感じてしまうのだ。

ゴーストの生むリアリティ

 過去にテレビや映画で見た「強い逆光線」のイメージが、見る者にリアリティを感じさせるためのトリガーとなっている。言い換えれば、光学的な映像でしか現れないゴーストが、「強い逆光線」の記号となっているのである。ゴースト――幽霊が現実感を示す記号になるというのも、面白い話である。

 我々の抱いているリアリティのかなりの部分が、テレビなどの映像装置によって喚起されている。虚像の方が現実的という逆転は、記号論の大流行した1980年代あたりから主に写真の世界で頻繁に表現され始め、1990年代には映画として一つの結論が我々に突き付けられた。「フォレスト・ガンプ(一期一会)」(1995年・米、ロバート・ゼメキス監督)である。

 トム・ハンクス演じる主人公は、20世紀のさまざまなイベントに関わっていく。そこに描き出されたイベントのどれもこれも、我々が「実際には体験していない」ものばかりだ。CG技術を駆使し、主人公フォレスト・ガンプ(トム・ハンクス)とケネディ大統領(JFK)の握手シーンが映し出される。子供の頃にテレビの映像で見たJFKの記憶によって、「主人公が米大統領と握手をした」という文脈が成り立っているのだ。

 映画のデジタル画像合成がリアリティを得るのは、ひたすらにこの「既存映像のもたらす記憶」に依っている。

虚と実の境目に立つデジタル映像

 我々は、「映像の作り出す記憶」と「自身の体験した記憶」の混濁によって世界を認識しなければならないという、実にとんでもない状況のただ中に放り出されている。そんな中、身近な撮像装置としてデジタルカメラは普及した。

 見たままに撮るという行為は、もう成立しない。Photoshopなど使わなくても、すでに映像は映像であるが故に「現実離れ」しているからだ。

 我々は記念写真を、プリクラを、そしてケータイで日常を「撮る」。どれも真実、現実だと信じたい。信じたいという気持ちだけで、現実が成り立っているではないかとさえ感じてしまう。

 さてさて、僕は、最近新しいデジタル一眼レフカメラを購入した。キヤノンの「EOS Kiss Digial」である。安いのにデキがいい……という訳で、ここからデジカメの話へと続いたりするのであった。

フリーライター。大阪芸術大学講師。「芸術に技術を、技術には感性を」をテーマに、C言語やデータベース・プログラミングからデジタル画像処理まで、硬軟取り混ぜ、理文混交の執筆・教育活動を展開中。

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[長谷川裕行, ITmedia]

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