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“早すぎたメタバース”Second Lifeとは何だったのか 再ブームはあり得るか?(2/3 ページ)

「メタバース」が注目を浴びる中、たまに話題に上るのが「Second Life」だ。2007年前後にブームが起きたが、急速に沈んだ“早すぎたメタバース”。あのブームは何だったのか? 復活はあり得るのだろうか?

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そこには「わかりやすい未来」があった

 筆者が初めてSecond Lifeに降り立ったのは2006年。アプリをインストールして自分のアバターをデザインし、日本人が作った街「Nagaya」に降りたち、感激した。そこはまさしく“未来のインターネット”に見えた。

 鯉が泳ぐ小川沿いに、美しい長屋が立ち並ぶ。時々「にゃおん」というネコの声が響く。居酒屋があり、脱衣場を備えた温泉施設もある。初対面の人に「ITmediaの記者さんですか? 取材頑張ってください」と声を掛けられる。

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Nagayaにあった居酒屋(2007年当時)
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温泉(2007年当時)
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五重塔も(2007年当時)

 当時日本では、SNS「mixi」の全盛期。いわゆるWeb2.0ブームの勝者が見えてきたころだ。テキスト文化がネットの中心で、ユーザーには課金せず、集客力を武器にした広告モデルがビジネスの主流だった。いかにも“インターネット的”で、ネットに慣れていない人にとって、文化もビジネスモデルも斬新すぎた。

 一方でSecond Lifeは、現実世界と似た3D空間がネット上に再現されている点、そして、現実と似た“課金ビジネス”が行われ、実際に現金を稼いでる人がいるという点が分かりやすく、ネット慣れしていないメディアや、大企業の幹部などにも強いインパクトを与えた。

メディアと企業が「作った」ブーム

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2006年5月の米BusinessWeek誌表紙を飾った、“Second Lifeのロックフェラー”ことアンシェ・チェン氏のアバター(Wikipediaより)

 当時のブームのきっかけは、2006年5月の米BusinessWeek誌の特集だと言われている。

 Second Life内での不動産売買で100万ドル(約1億1000万円/当時)を稼いだというアンシェ・チェン氏が同誌の表紙を飾ったのだ。仮想世界で億万長者が現れた――米誌がこぞって報道し、Second Lifeへの熱狂が始まった。

 06年10月には英ReutersはSecond Life内に“支局”を開設。米IBMDELLといった大企業の拠点や、有名大学の仮想キャンパスなども次々に設置され、メディアと企業がこぞって参入した。

 日本では、06年末に日本経済新聞が1面に記事を掲載したことでブームに火が付いた。日本の企業も次々に参入。電通がSecond Life内に複数の島を確保し、“バーチャル東京”をオープンしたことは大きな話題に。日本でも、企業による参入と、メディアによる報道が相次いだ。

 とはいえ、2007年当時の、Second Lifeのアクティブユーザー数は約100万人、同時接続数は数万程度。登録・アクティブユーザー数とも当時のmixi(2007年3月でアクティブユーザー約600万人)にすら劣っていたし、現在のグローバルサービスとは比較にならないほど小規模だ(例えば、Facebookの月間アクティブユーザー数は28億人「フォートナイト」は最大同時接続1230万人)。

 「ブーム」のはずなのに、なぜユーザーが少なかったのか。

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