MacやWindowsには“元ネタ”があった 「パロアルト研」が残した「Alto」を振り返る(4/4 ページ)
MacやPCなど現代コンピュータの“聖地”ともいわれる「パロアルト研究所」が米Xeroxのもとを離れる。同研究所で生まれた「Alto」がどういうマシンだったのか、そして今のPCにどういう影響を与えてきたのか、Altoとその“子どもたち”について語る。
日本にもAltoの子供たちがいた
Altoの子供たちが、もう一台あることをほとんどの人は知らないと思います。Lisaと同じ年、Macintoshの前年である1983年10月に発売された16ビットコンピュータ。日本製。
NECの「PC-100」です。
縦置きにも横置きにもなる解像度720×512ピクセルのディスプレイ。8086互換プロセッサを搭載し、GUIを駆使したアプリをバンドルしたPC-100は、製造を京セラが担当。開発段階のLisa、そして実機を見たことはないもののAltoの存在を知っていた西和彦が京セラの稲盛和夫会長とNECを説き伏せて、いち早く「Altoの子供」をリリースしようと画策。
PC-9801の誕生からわずか1年であり、しかも互換性がなかったこと、さらに事業部間の戦いもあり、商業的には成功しませんでしたが、バンドルされたアプリにはマウスで動くワードプロセッサであるジャストシステムのJS-WORD(後の一太郎)がありました。日本語変換に組み込まれたKTISというフロントエンドプロセッサ(FEP)は後にATOKとなります。さらにダイナウェア開発のカラーペイントソフトなどがあり、日本のPC用ソフトウェアの発展に大きく寄与したことは特筆すべきです。
ただし、OSはMS-DOSベースでグラフィカルなシェルは最小限。Windows 1.0のデモが可能な程度ではあったそうですが、1.0のタイリングウィンドウシステムには意図があったとしてもユーザーにとっての魅力には欠けていたため、いずれにしても成功は難しかったかもしれません。
筆者も以前PC-100を所有していたことがあり、マウスの右ボタンのポップアップをうまく使ったペイントソフトはMacintoshを上回るのではないかと感心した記憶があります。
この辺りの話は前述の富田さんによる名著「パソコン創世記」に生き生きと描かれています。PARCは日本のハードウェア、ソフトウェアにも大きな影響を与えていたことがよく分かります。
3月1日はAltoから50年、3月22日にはイーサネットをボブ・メトカーフがPARCで発明してから50年と、記念行事が続きます。現在に至るコンピュータの道を半世紀も前に切り開いてくれた先人の業績を振り返って、未来を見通す糧とする良い機会ではないでしょうか。
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