ぼくがかんがえた ゆめのこんぴゅーた 「Pandora」:2年越しの希望(1/2 ページ)
自分たちが欲しいものは自分たちで作る――数々の困難を乗り越え、ついに有志の手によって生み落とされた「Pandora」は、コンピュータ好きなら誰もがいつかは思い描き、そしていつの間にか忘れてしまった“ゆめのこんぴゅーた”なのかもしれない。
「OpenPandora」、日本上陸
GP2Xの“魂の後継機”、「OpenPandora」(以下、Pandora)がついに日本上陸を果たした。この知らせに、おそらく日本中のギークたちがよろこびに震えているはずだ。とはいえ、PC USER読者の中にはもしかしたら(あまり考えたくないことだが)、本当にもしかしたら1人や2人くらいは、Pandoraの名を初めて聞く人がいるかもしれない。
説明しよう。Pandoraは「理想のハンドヘルドコンピュータ」を目指した有志たちの手によって開発・製造が進められた、Open Pandora Ltd.の“手作り感”あふれる携帯型Linuxマシンである。
Pandoraは4.3型タッチパネル液晶を搭載したクラムシェル型のボディに、キーボードとゲームパッドが同居するという強烈な外観でありながら、2基のSDメモリーカードスロット(SDHC対応)、IEEE802.11b/g対応の無線LAN、Bluetooth、USB 2.0ポートと、ニーズをしっかり押さえた機能をあわせ持つ。
ハードウェアスペックも、メインプロセッサにテキサス・インスツルメンツのSoC「OMAP3530」を採用。ARM Cortex-A8 600MHz、TMS320C64x+ DSPコア、PowerVR SGX GPUを搭載しており、「GP2Xの3倍程強力」とされている。バッテリーは4000mAhの大容量で、プレイステーション・ポータブル(PSP)の1200〜2200mAhを大きく上回り、通常使用で10時間以上、省電力モードで30時間程度の利用が可能だ。
Pandoraは、開発の着手からこれまで2年の歳月を経ており、性能や軽量性の点では最新のスマートフォンに及ばない。しかし、アナログスティック2本に8ボタン、2つのショルダーボタンにキーボードという、まるで「ぼくがかんがえたゆめのこんぴゅーた」というタイトルで小学生の自分が思い描いていそうなデザインはそれだけで胸が熱くなる。
なお、筆者のもとに届いた“パンドラの箱”の中身は、Pandora本体、バッテリーケース、ACアダプタ、取扱説明書、そしてオプションの専用キャリーケースという構成。S-Video/コンポジットビデオ出力ケーブルも同時に申し込んだのだが、こちらは発送が遅れている。
それでは次ページからPandoraを実際に使っていこう。
コラム:Pandora狂想曲 第1章(1)
2011年1月8日。巨大掲示板のスレッド「Pandoraについて語るスレrev.11」に、Pandora配送通知メールが届いた、との書き込みがなされた。それから3日後、日本上陸第1号と目されるPandoraが注文者の手に届く。そしてさらに遅れること2日、筆者の手元にもついにPandoraが到着した。
注文したものが届く――ただそれだけのことに歓喜するのにはワケがある。我々が注文したのは2008年9月30日(現地時刻)、つまり2年以上も前のことだったからだ。それはちょうどリーマン・ブラザーズが破たんした2週間後、麻生太郎氏が首相に就任してから1週間後のことだった。
しかし、Pandoraが生み落とされるまでの長い物語は、さらに2001年までさかのぼらなければならない。
その年、韓国Gameparkが発売したポータブルゲーム機「GP32」は、ヨーロッパで一定の成功を収めていた。その大きな要因となったのは、GP32がLinuxを採用し、開発環境をフリーで入手できるオープンソース機であることだった。PC Engineをはじめとするさまざまなレトロゲーム機のエミュレータがハッカーコミュニティによって次々と移植され、GP32はソフトウェアベンダーの参入がなくても売れるハードウェアとなった。
市販のソフトウェアがなくてもハードウェアが売れる――これは必ずしも販売元の意図したところではなかったかもしれない。しかし結果として「オープンな環境のゲーム機を作れば、あとはコミュニティが勝手にソフトを充実させてくれる」と気付いたGameparkは、よりパワフルな後継機の投入を決める。
だが、後継機の方針をめぐって社内は分裂、2005年11月に新会社のGameParkHoldingsから「GP2X」が市場に投入された。一方、Gamepark自身はPSPの対抗馬として「XGP」という一連のポータブル機を計画するものの、リリースすることなく倒産してしまう。
GP2Xは思惑通り9カ月で3万台、最終的には6万台を売り上げるヒット商品となった。英国のGP2XディストリビュータであるCraigix(@Craigix)ことCraig Rothwell氏は、GameSpot UKのインタビューの中で「ソニーやアップルといった大企業がシステムをロックダウンしたがるのに対し、GP2Xのシステムは完全にオープンだ。それが商業的成功の要因だ」と、オープンな仕様へのこだわりを語っている。
その後、GP2Xはタッチパネルを搭載した「GP2X F-200」、小型化した「GP2X Wiz」と続いていくことになるが、その進化の方向、速度はCraigの思惑とは異なっていたようだ。F-200ではファームウェアの更新によって内部ストレージへのアクセスが制限され、さらにWizでは液晶ディスプレイが小型化された。コントローラの操作感は改善と呼べるのか疑問だったし、スペックの向上も期待したほどの速度では進まなかった。もちろん、ITmediaもGP2X F-200を最後に後継機のレビューは掲載していない。PC USERで取り上げるガジェットではなくなってしまったからだ。
Craigは後にPocketGamerのインタビューに対し「GP32とGP2Xは好きだったが問題も抱えていた。それはディストリビュータとしてフラストレーションとなっていた」と答えている。
GP32やGP2Xの後継に期待していたものと実際のギャップを目の当たりにし、Craigはそもそもユーザーがいったい何のためにこのガジェットを求めているのかを彼らは理解しているのだろうか、単なる金儲けのためのオープン規格なのではないか、と疑問を抱くようになる。しかし、文化の壁に阻まれ、Gamepark Holdingsに自分の主張を通すことはできなかった。
本当に自分が欲しいものは自分たちだけで作り上げるしかない――危険な賭になる可能性は高かったが、Craigは覚悟を決める。そして「夢のハンドヘルドコンピュータを自分たちの手で作り上げる」というPandoraプロジェクトがスタートした(続く)。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.