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コラム

盤上で探す「神の一手」 人間と人工知能が紡ぐ思考 (4/5 ページ)

Googleが開発した囲碁AIでも読めなかった「神の一手」。盤上ゲームにおける妙手が生まれるプロセスを、人間と人工知能の思考の違いから読み解く。

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 先ほど妙手とは「気付きにくい良い手のこと」と書いたが、実は棋士には「気付いていても指せない手」というのがあり、羽生はこちらの実績にかけても超一流とされているのだ。

 2015年7月に行われた第86期棋聖戦第4局。挑戦者である若手の俊英・豊島将之七段(電王戦でコンピュータ相手に完勝した数少ない棋士の一人)を前に、羽生が指した71手目▲6二歩成は、まさに羽生が羽生であることを多くの観戦者に再確認させた。


羽生善治棋聖の71手目▲6二歩成(第86期棋聖戦五番勝負 第4局

 中継時の解説コメントには次のようにある。「これはなんと! 思わず目を疑う手だ。羽生の指した▲6二歩成は、直前に指した▲6三歩を完全否定する手」。自身が1手前に指した手をミスだと認め、直後の手でそのまま何もせずに駒をタダで捨ててしまう。まるで「ごめん、今のなし」とでも言うかのように。分かっていても、棋譜が永遠に後世に残るプロ棋士には決断しづらい、まさに「局面を線ではなく点で見ている」からこそ指せる一手だ。

 以前、コンピュータ将棋の最強ソフト「PONANZA」開発者の山本一成さんにインタビューしたときに、筆者は何気なく「最近のソフトは人間らしい手を指すようになってきたと言われていますよね」と話を振った。山本さんは直接それには答えず、「うーん……人間らしいって何なんでしょう。じゃあ逆に聞きますが、羽生さんの指す手って人間らしいんでしょうか?」と言った。筆者はその問いに答えることができなかった。

掘り起こされていない宝の山

 イ・セドル九段がAlphaGoに敗れたことを伝える朝鮮日報のニュースに、日本からこんなコメントが寄せられていた。「これ、本当にすごいのは実はコンピュータではなく『囲碁』なのでは? 奥が深すぎるだろ……」

 かつて昭和の時代に、囲碁と将棋のトップ棋士同士が「自分たちはそれぞれの専門分野についてどれくらい理解しているか」ということを紙に書いて同時に見せ合ったら、将棋棋士は「百のうち四か五」と書いており、「百のうち六」と書いていた囲碁棋士が自分の思い上がりに反省した、というエピソードがある。人間が今見ている囲碁や将棋は、本来のゲームそのものが持つ広がりに比べて、おそらくはそれほどに狭い。

 現在は疑われていない定石/定跡や棋理の“外”に、実はたくさんの宝物が埋まっている。コンピュータが次々に見せる「人間には理解の及ばない手」は、そうした可能性を我々に提示する。

 実際に、コンピュータが指した新手が人間同士の対局の場で登場するケースも増えている。ある将棋のトップ棋士は名人戦の大舞台で「コンピュータ新手」を採用したことについて聞かれ、「誰が指しても良い手は良い手」と答えた。反対に、「他人がやるのは自由だが、自分はコンピュータの真似はしたくない」というスタンスを貫く棋士もいる。どちらが正しいのかではなく、どちらも自分の中の囲碁や将棋に真摯であるがゆえ、なのだと思う。

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