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インタビュー

これからの人類はAIとどう向き合っていくべきか――「AIの遺電子」山田胡瓜と「イヴの時間」吉浦康裕、水市恵が語る現在と未来アニメ監督×漫画家×小説家(6/10 ページ)

これまでSFにしか存在しなかった、人間と見分けのつかない知性を備えたAIが近い将来、本当に実現するのかもしれない。そんなAIが実用化された社会はどんなものになるのだろうか。

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人類がAIに敗れることをどうとらえるか

吉浦 囲碁のニュース(Alpha Goがトップ棋士イ・セドルを4勝1敗で破ったニュース)があるじゃないですか。自分の周囲でも話題になっていたのですが、人間は自分たちよりも速く移動するチーターや車が存在するのにそれを疑問視していない。それと比べると知能戦で負けた、ということに対しては扱い、熱量が全然違いますよね。危機感の持ち方というか。この違いはなんでしょう。

水市 知能では人間が一番だと思っていたから、ですかね。身体能力ではどうせ下のほうだから、というあきらめがあるからそこには疑問を持たないけれど、頭は一番だと思っていたところにこれですから。

吉浦 最後の牙城がおびやかされた、と。

編集G 体力的な問題は、身体を拡張する知能で補えるじゃないですか。例えば、上昇気流や風をつかまえて飛ぶ鳥に比べて、同じエネルギーで移動できる距離を比較すると、人間はとても効率が悪い。でも自転車という道具を使うことでエネルギー効率は逆転するそうです。そういう、体力的な問題を解決できる、知能での優位性が脅かされるという危機感はあるんじゃないでしょうか。

吉浦 むしろ車というのは人類がチーターよりも優位に立っていた証、ということですね。

水市 車は人間が乗り込めるけれど、囲碁は人間と対決しなければならないですから。

山田 いろいろ摩擦は起きると思いますが、いずれ慣れる気がします。人類はさんざん自分より強いものを作ってきて、それを通過してきたんですよね。最初は機械が労働を奪ったけれど、だんだんそれが当たり前になってきて、今となってはそれで人間の時代が終わったと考える人はいなくなった。そして、これまで身体的なものだけで起きていたことが、知能労働的なものにまで発展したことで人間の時代は終わるのか、と騒いでいるのではないかと思うんですよね。

吉浦 今までにもあった波がまた来た、というくらいの話だというわけですね。囲碁は相手がプロだったから、というのもあるんでしょうか。

編集G Alpha Goの勝利が騒がれているのにはもう少し別の側面があって、今までの将棋などでは、プロ棋士対(評価関数を設定する)プログラマ、つまり結局のところ人対人という構図だったのが、今回ディープラーニングによって、はっきり人対AIという構図で負けたという点だと思います。

※ディープラーニング:多層構造のニューラルネットワークの機械学習のこと。特定目的ではない、汎用的AIの実現に大きく役立つと考えられている。

吉浦 ちょっと前まで囲碁が一番難しいと言われてたのに、あっという間でした。でもプロ棋士という職業はなくなっていないですね。

山田 機械が勝ったらもう人間がやることはつまらなくなるのか、というのには異論があって、オリンピックもそうですが、自動車のほうが速いからって人間が走ると感動しないかというとそんなことはなくて、それはなぜかというと、自分と同じような存在である他人が、色々と苦労して、色々な問題を乗り越えて、その結果いいタイムを出した、というストーリーを含めて人間って感動するっていうことなんだと思うんです。

吉浦 まさに、「AIの遺電子」にもそういうエピソードがありますね。

「AIの遺電子」第6話「ベスト」より。親友に記録を抜かれ、思い悩むヒューマノイドの話

山田 囲碁も結局、絶対的な強さも感動させるものだと思いますが、ミスして挽回して、そういうストーリーが見ている人を感動させますよね。例えば、将棋の羽生さんは勝ち手が見えると手がぷるぷる震える。それは試合結果自体には何も関係しないことだけれども、それを見た我々は「お、羽生さんがぷるぷる震えだした」と、ドキドキするわけです。これからどんどん知能的なところでAIに負けていくことはあるでしょうし、そこに一抹(いちまつ)の寂しさはありますが、それなら面白い物語を自分たちで作っていきましょうよ、と。

※羽生:羽生善治。将棋棋士。史上はじめて将棋のタイトル全7冠すべてを独占した、現在最強の棋士の一人。

瓜生 「イヴの時間」の主人公、リクオはピアノコンクールで優勝した後、エキシビションで登場したアンドロイドの演奏に感動して負けを自覚します。強い、弱い、という勝ち負けだけではなく、人を感動させるというところでは芸術もスポーツも同じなのかもしれません。

「イヴの時間」より。ピアノを演奏するアンドロイドKY6式と、優勝したのに浮かない様子のリクオ

吉浦 今後は対局やゲームを見ているとき、「なぜ自分はこのゲームを観戦するのか?」という目的により自覚的になっていくのかもしれませんね。感動を求めるために見るんだ、と。結局、他人がやっているゲームじゃないですか。だから、どっちかに感情移入しているようで、実はそこで生まれるドラマを見たいんだということに自覚的になっていく。なっていかざるをえない。なんで見るのか、を誰もが即答できるようになっていくんじゃないでしょうか。

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