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「大和研究所は憎悪の対象だった」――初代IBM PC開封の儀で明らかになった「ThinkPad誕生の奇跡」(3/4 ページ)

日本の大和研究所で誕生し、ノートPCの歴史に名を刻んだ「ThinkPad」。しかしその当時を知る技術者たちが明かしたのは「マジでシャレにならない」エピソードだった。

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幻の「ThinkPad 800」、東芝「DyanaBook SS」の苦悩

 イベントでは加藤氏から「ThinkPad 700C登場当初、液晶パネルが月産1万枚の状態なのに最初の1週間で10万台受注した」というエピソードとともに「ThinkPad 800」の「顛末(てんまつ)」についても言及があった。

 加藤氏のいうThinkPad 800は1995年から1996年にかけて登場するPower PC搭載ラインアップ「ThinkPad 820」「ThinkPad 821」「ThinkPad 822」「ThinkPad 823」「ThinkPad 850」「ThinkPad 851」「ThinkPad 860」と同様にPower PCを搭載するモデルだが、登場は1994年で上記市販製品とは別のモデルだ。

 加藤氏によるとThinkPad 800は「IBM Workplace OS」を導入してその上でDOSからOS/2 Warp、Windows NTなど多くのOSを動かすThinkPadになるはずだったという。発表を前にして8000台を受注していたがIBM Workplace OSの開発中止によって受注もキャンセルすることになった。加藤氏は「ThinkPadの仕事で最も悔しかったこと」と述べている。

 同じように「悔しい思い」を語ったのが、IBMの競合として「DynaBook SS」の営業販売に携わっていた元東芝社員だ。氏が当時の東芝で主流だった重電や原子力、家電ではないOA事業部に配属となって秋葉原を担当した当時、東芝の個人向けPC「パソピア」の在庫が倉庫にうずたかく積まれている状態だった。

 氏は当時の新製品ラップトップPC「J-3100」の知名度を上げるべく、10人ぐらいのグループで電車に乗り、車内で全員がJ-3100を広げて使うという仕掛けをしているときに「DynaBook SS」が登場した(なお、氏は「最初のラップトップT-1000は青梅部隊が勝手に作って勝手にCESで披露した」「J-3100は最初パソピア16互換の予定だったが、『さすがにそれはもうだめよ』とIBM PC互換に路線を変更した」というエピソードも紹介している)。

 DynaBook SS001の価格が20万円を切っていたこともあって、それまで東芝のPCに反応してこなかった量販店も大量に仕入れて、次のモデルに対する期待が高まっていく勢いを感じていたという。

 この勢いは次のモデルの価格が29万8000円、39万8000円を予定していたことから、さらに多くの受注を発表前から獲得するほどだった。しかし、DynaBook SS001は20万円を切る価格を設定したために「売れば売るほど損失」という状況で、その解決のために次のモデルの価格は49万8000円、59万8000円と予告から大幅に価格が上がることになってしまった。営業担当の氏は発注してくれた量販店に価格変更を伝えるが、そのほとんどが価格を聞いて発注をキャンセルしたという。

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