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インタビュー

もっと大きなことをしたい 独自性は堅持する――FCCL大隈社長インタビュー(1/4 ページ)

2021年4月、富士通クライアントコンピューティング(FCCL)の社長が交代した。FCCLの発足以来社長を務めてきた齋藤邦彰氏からバトンを受け継いだのは、Lenovo出身の大隈健史氏だ。PC USERでは、大隈社長にインタビューする機会を得た。その模様をお伝えする。

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 富士通ブランドのPCを手がける富士通クライアントコンピューティング(FCCL)は、2016年2月に富士通のPC事業を分離する形で設立された。2018年5月、FCCLはLenovo、富士通と日本政策投資銀行の3社による合弁企業に生まれ変わり現在に至っている。

 2021年4月、FCCL設立時から社長を務めてきた齋藤邦彰氏が会長となり、Lenovo出身の大隈健史氏が新社長に就任した。

 ITmedia PC USERは、大隈社長にインタビューする機会を得た。新社長から見たFCCLとはどのような会社なのだろうか。

大隈社長
富士通クライアントコンピューティングの大隈健史社長

優先すべきは「お客さま」と「工場」

―― 社長就任からしばらく経過しましたが、手応えはどうですか。

大隈社長 現時点では、何とかギリギリ及第点かなと思っています。「手応えはある」と言いたい所ですが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、島根の工場(島根富士通)やドイツのメンバーとはオンラインでしか話をできていません(筆者注:FCCLはドイツにも現地法人を保有している)。新しい組織をリードしていくんだという実感が薄い状態で社長職に就いたような状況です。関東圏にある量販店さんなどにはあいさつ回りはできたのですが(筆者注:インタビューは6月下旬に実施している)。

 最優先事項はお客さま(への商品供給)であり、そのための工場稼働ですから、私の都合、あるいは弊社の都合は“二の次”です。私が島根に行って、結果として工場の稼働を止めてしまったら全てが台無しです。リスクを大きめに見積もった結果、今のところ関東から出るような出張はしていない感じです。

島根富士通
FCCLの主力工場である島根富士通。ここ数年はノートPCの生産拠点として稼働してきたが、2021年5月からはデスクトップPCの生産も開始している

もっと現場を見たい そんな時にLenovoから声がかかった

―― PC業界に入る前に、マッキンゼー(McKinsey & Company)に在籍していたとのことですが、PC業界(Lenovo)に転職しようと考えたきっかけは何なのでしょうか。

大隈社長 マッキンゼーには計8年くらい在籍していて、うち2年はドイツで業務に従事していました。

 マッキンゼーではコンサルタントとしてPCを含むテクノロジー業界を担当していました。その中で、いろいろな人と出会い、いろいろなプロジェクトに携わりました。その中で、Lenovoの経営陣と知り合う機会もありました。

 8年間マッキンゼーで仕事をする中で、ある程度(仕事を)やりきったという思いもありました。コンサルタントは昇進すると営業職になっていくものなのですが、当時は自分もまだ若くて、営業職に行くには「もう少し現場を見て(業界の)実情を知るべきだ」という思いがあり、いったんコンサルタントの職から離れようと考えたのです。

 それで(コンサルタントから)離れるのであればどこに行こうか検討している中で、個人的な友人で、当時レノボ・ジャパンで社長を務めていたロードリック・ラピン氏(故人)から「(Lenovoの)香港法人が人を求めているから、どうだ?」と直接声を掛けていただきました。初めての転職ということもあり、いろいろ見てから決めたいと思っていて、(ラピン氏から)話を頂いた後もいろいろな会社と話をさせていただきました。

 その結果、(自分が)信頼していただけていることと、働く人(同僚)が分かっていること、そして何より任される職責が大きいことから、Lenovoに転職することにしました。今から9年前の話です。

 始めから「Lenovoに転職するためにマッキンゼーを辞める」と考えていたわけではありません。

ラピン氏
大隈社長をLenovoにさそったロードリック・ラピン氏。2019年2月、執務中の体調急変で帰らぬ人となった

―― Lenovoではどのような業務に就いていたのでしょうか。

 9年間で大きく3つの業務に携わりました。最初の2年弱は(求職元でもある)香港で、アジア太平洋地域やラテンアメリカ地域における戦略企画やM&A(企業の買収や合併)のヘッド(責任者)をしていました。

 次の2年間は東京に戻ってきて、レノボ・ジャパンとNECの合弁事業(NECレノボ・ジャパングループ)において「執行役員専務COO(最高執行責任者)」を拝命しまして、業務と製品全般を担当しました。

 その後はまた香港に戻って、アジア全体の法人事業を統括していました。こうして振り返ると、Lenovo内でも職を転々としていたといえるかもしれませんね。

―― Lenovoにいた頃に、思い出に残った出来事はありますか。

大隈社長 思い出深いことは幾つかあります。(Lenovoに)入社初日は香港に行くものだと思っていたのですが「話があるからブラジルに来てくれ」と言われました。なので、入社初日はブラジルで迎えることになりました。入社式もやっていない上、(業務用の)PCも受け取っていないのに、すごくダイナミックなことをやるなぁ、と思ったものです。

 なぜブラジルかというと、当時LenovoがブラジルでM&Aの案件を進めておりまして、その初期フェーズに関わることになったのです(参考リンク)。香港からブラジルに向かうと、ドアツードアで36時間ほどかかるのですが、週末をつぶして香港からブラジルに向かい、また週末をつぶしてブラジルから香港に戻るということを半年で7〜8回繰り返しました。香港に戻ってきても、「やっと夜か……」というところに(ブラジルから)「Hi, Takeshi!」と呼びかけられる感じでした。

 まだ慣れない会社ということもあり、面白かったけれどなかなか大変でした。

 日本でも思い出深いことはたくさんあります。私が日本に来た当時は、「ThinkPad」「NEC」といったブランドは強いものの、レノボという会社の知名度はそれほど高くありませんでした。ジョイントベンチャーとしてのビジネスをどう成長させるのか、(アジアパシフィック地域プレジデントとなった)ラピンさんや(当時の)留目真伸社長といろいろ話をしながら進めていきました。これも思い出深いことです。

当時の写真
2012年に入社した直後、アジア太平洋/ラテンアメリカ地域の戦略チームのメンバーと撮影した記念写真。入社当初はなかなかエキサイティングな時間を過ごしていたようだ
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