「普通の人のためのコンピュータ」はいかにして生まれたか? 「Apple I」から「Macintosh」への軌跡:Apple 50年史(前編)(4/4 ページ)
4月1日で創立50周年という大きな節目を迎えたApple。同社の原点は、一部の専門家のものであったコンピュータを「普通の人のためのコンピュータ」へと変革することにあった。林信行氏が全3回にわたってAppleの歴史を振り返る小特集の第1回は、初代「Macintosh」の誕生まで、初期の歴史を振り返る。
DTPの誕生:インターネット登場前夜の情報革命
Macintoshは、マウス操作のあらゆるソフトが誕生する基盤にもなった。Microsoft Officeも、(後にMicrosoftに買収される)PowerPointも、元はMacintosh用に作られたものだ。だがその中でとりわけ大きな意味を持つのが、AldusのPageMakerだろう。このソフトの登場で、Macintoshは卓上電子出版「DTP(Desktop Publishing)」という革命を巻き起こすことになる。
しかし、この革命はPageMakerだけでなし得たものではなく、このアプリ誕生を可能にしたAppleの土壌作りの話から始めたい。
それ以前の文字操作時代のパソコンでは、画面は横何文字×縦何文字と字を表示できる仮想の枠が決まっていた。このため「i」と「w」のような本来文字の横幅が異なる文字も全て同じ文字幅で表示していた。大した文字表現もできず、字体も1種類だけだった。
これに対してMacintoshでは、文字の表示も全てウィンドウの上にグラフィックスとして描画をする。このため字の大きさも字体も自由に変えることができ、「i」と「w」などで文字幅を変える表現が可能だった(これは英習字を学んでいたジョブズの指示だったというのは有名な話だ)。
ジョブズ氏は、この高度な文字表現を生かした高精細印刷を構想していた。キヤノンが比較的低価格なレーザープリンタ用エンジンを完成させたタイミングで、ジョブズ氏はその可能性に着目した。
ただし画面(72dpi)とレーザープリンタ(300dpi)の解像度の差を埋める技術が必要だった。元PARCのジョン・ワーノック氏とチャールズ・ゲシュケ氏がPostScriptを開発していると知ったジョブズ氏は技術買収を申し出たが断られ、代わりに2人がアドビを起業する資金を出資してLaserWriter向けに技術供与を受けた。
そこにAldusがPageMakerというページレイアウトソフトを投入したことで、AppleとAdobe、Aldusの3社によるDTP(Desktop Publishing)革命が幕を開ける。
Macの登場前、雑誌のレイアウトは、紙に写真の位置や文章の位置の指定を書いて行い、それを写植機という機械を使う熟練の職人に渡してやってもらっていた。このため、ちょっと修正をするだけでも、再び写植屋さんにお願いするという手間がかかっていた。
DTPによって、雑誌誌面のレイアウトがMacの画面上で可能になり、ちょっとした修正もその場で何度でも自由に加えられるようになった。
インターネットが広がるはるか前のこの時代、新聞、雑誌や書籍は日々の情報の重要な情報源で、それをここまで手軽かつ自在に行えるDTPを「グーテンベルク以来の発明」と呼ぶ人もいた。
1981年、IBMはAppleの成功を見てMicrosoftにOSを作らせ、パソコン市場に参入した。1982年、MicrosoftはIBMに作ったOSと同じアプリが動くMS-DOSを、Compaq Computer(後にHewlett-Packardに買収)などの互換機メーカーに提供。これによりパソコンの価格破壊が起き企業への普及が始まり、事務作業用のパソコンとしてはIBM及びその互換機が圧倒的なシェアを持ち、Apple IIを駆逐し始めていた。
だが、ちょうどそれと入れ替わるようにDTP革命が訪れ、MacintoshはDTP市場や教育市場、クリエイター市場といったいくつかの特別な市場においては圧倒的なシェアを持つようになった。
ただしジョブズ氏は、その成功を見る前に、当時のApple経営陣と関係が悪化し、Appleを辞めてNeXTという会社を作ることになった。
ちょうどその前後の1985年、ジョブズ氏はあるインタビューでこんな言葉を残している。
「これは私見だけれど、もしAppleが道を過ってIBM(やその互換機)が勝つようなことがあったら、コンピュータ業界はおそらく20年間ほどの暗黒時代に突入してしまうだろう」
まさか、その直後に自分がAppleを去り、11年後にドラマチックな復帰を果たすことなどはこの頃には夢にも思い描いていなかったはずだ。
ちなみに、1985年から20年後というと2005年となる。iMac登場で一度は盛り返したAppleが再び失速をし始めるも、2001年に発売したiPodを2002年にWindowsに対応させたところ大ヒットし、Appleが著しい成功を収めることになるiPhone登場前夜だ。
Aldus PageMaker(1985年)。パソコン画面上でのレイアウトという概念を初めて形にした画期的なソフトだ。ライバルソフトが続々と登場し優位性を失う。創業10年目の1994年にライバルの1つアドビに買収され、翌年からはしばらくアドビの製品として提供されていた。日本では「ペーメ」の愛称で親しまれていた
1985年にMac本体よりも高い6995ドルで発売されたApple初のレーザープリンタ「LaserWriter」。Macと同じCPUを採用し、Times/Helvetica/Courier/Symbolという4つのアウトラインフォントを搭載していた(このため字の印刷が高精細で滑らかだった)。高価なためオフィスで複数台のMacで共有できる設計になっていた。Appleは、こういったMac複数台+レーザープリンタをMacintosh Officeと呼んでMac普及の鍵にしようとしていたが、後にこの組み合わせはオフィスの事務作業ではなく、DTPという新しい出版文化を生むことになった
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