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コラム

Appleはいかにして「今日のAIやWeb」を予見したのか? “暗黒時代”とも呼ばれた1985〜1996年の光と影Apple 50年史(中編)(2/5 ページ)

1985年から1996年、スティーブ・ジョブズ氏が不在のAppleは混迷の時代を過ごしたが、この時期は現在のテクノロジーに通じる数多くの「未来の種」をまいた時代でもあった。本記事では、当時の野心的なプロジェクトの数々をひもとき、波乱に満ちた11年間の光と影に迫る。

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Newton:早すぎたスマートフォンの前身

 後に泡となって消えたこの時代のプロジェクトで、一世を風靡(ふうび)したのが「PDA(Personal Digital Assistant)」のNewtonプロジェクトだ。Knowledge Navigatorのビジョンを一歩現実に近づける情報家電として構想され、ATG内では自転車搭載型から肩掛けストラップ型まで多彩な形が考案されたが、最初に製品化されたのは実用性を優先したビジネスマン向けの「Newton MessagePad」だった。

 iPhoneをさらに2回りほど大きく分厚くしたような製品で、白黒液晶を搭載しスタイラスペンを内蔵していた(後のAppleデザイン部門長、ジョニー・アイブ氏のAppleでの最初の仕事はこのNewton MessagePadのペンと収納機構のデザインだった)。

 このスタイラスペンで英語の文字を手書きすると、それを認識してテキストに変換できた。フォントを切り替えたり、箇条書き形式にフォーマットし直したりできた。また円や線、図形などを描くと自動的に線や円を正円や楕円にしたり、線をまっすぐに補正したりと、編集操作で形を整えることができた。

 こうして入力したメモを蓄積しておいて検索したり、電子メールや赤外線通信で送信したり、FAXで送ったりできるのが特徴だった。ICカード形式でNewton上で読むためのトラベルガイドなどのアプリも提供されていた。

 しかし、当時のプロセッサでは手書き認識の精度が低く、誤認識があまりにも多いことばかりが話題となり、製品としては成功しなかった。

 後にキーボードも一体化した製品「eMate 300」が教育市場向けの頑丈なNewtonとして製品化された。製品の見た目もかわいらしく、教師から生徒に赤外線で課題を送信するためのボタンなどユニークな機能も用意されていたが、eMateの発売直後にジョブズ氏がAppleに復帰し、ほとんど製品として売られることがないまま販売中止となった。

 ただ、Newtonのような小型の情報機器の呼称としての「PDA」という言葉はそのまま残り、Newtonの製造にも関わっていたシャープの「ザウルス」シリーズなどに引き継がれることになった。

 ちなみに、AppleはこのNewtonとは別に、映像を含むマルチメディアコンテンツの再生機としてのPDAも開発していた。IBMとの合弁会社であるKaleida Labsがこういったマルチメディア再生機の標準技術を開発した。

 Appleがその技術を使ったCD-ROM内蔵のプレイヤーを製品化する予定で、デザイナーの川崎和夫氏がデザインを手掛けたプロトタイプなどが作られていた。

 しかし、Kaleida Labsはジョブズ氏の復帰までも持たず、1996年1月にプロジェクトが断ち切られてしまった。

ジョブズが復帰する直前の1996年頃、Appleはそれまで秘密のベールに包まれていたATGでのさまざまな研究や、Newtonのバリエーションなどを披露している(Newtonは映像の後半に登場)。子ども向けのものや、肩掛けタイプなどさまざまなバージョンが作られていたことが分かる(筆者注:日本語字幕を用意しています。そのままでは表示されないので、右上の歯車から「字幕>日本語」を選んでください)

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