ブランドは、消耗品である:情報マネージャとSEのための「今週の1冊」(69)
経営環境は年々シビアになっていく一方だが、一番大切なことを忘れて利益を追い求め続けるばかりでは、会社も従業員もいつかは疲弊してしまう。
さよなら! 僕らのソニー
ウォークマンは、「それまで室内でしか楽しめなかった高音質のステレオ音楽を外でも同じように聴けるようにする」「従来のライフスタイルを変える」ことによって、生活を豊かにしてほしいという「盛田氏の願いのもとに作られている」。それゆえ、他社が類似品を出してきても「それに追随するようなことはなかった」。そして改良を重ね、「新しいライフスタイルをユーザーに提言し続ける情報発信装置」となった。ソニーはウォークマンを通じて「ユーザーにメッセージを発信」し続けたのである――。
本書「さよなら! 僕らのソニー」は、ウォークマン、トリニトロン・カラーテレビ、平面ブラウン管を搭載したWEGAなど、画期的な製品を開発・提供し続けてきた同社の変容を、創業期から分析した作品である。「大きな会社と同じことをやったのでは、われわれはかなわない。しかし、技術の隙間はいくらでもある。われわれは大会社のできないことをやり、技術の力でもって祖国復興に役立てよう」――会社設立時の井深大氏の開発者魂はどこへ行ってしまったのか。“ソニー神話”はなぜ崩壊してしまったのか。他社も「他人事ではない」として、いわゆる大会社病に陥っていった原因や過程を詳細に振り返るのである。
特に興味深いのは「ブランド」に対する考察だ。「ソニーは市場があるから商品を開発・販売するのではなく、市場のないところに市場を作り出す商品を開発し、成長してきた会社である」。しかし、いつしかそうした姿勢は失われ、他社が開拓した市場に“二番手”として乗り込むようになっていく。さらに2005 年、ハワード・ストリンガー氏が会長兼CEOに就任すると、製品・開発に対するこだわりは一層影をひそめ、価格戦略、コスト削減最優先の「ソニーらしい製品どころか、製品自体に価値を見出さない」時代に入っていったと指摘するのだ。
マネジメントの在り方もこうした傾向に拍車をかけた。それを象徴するのが業績評価基準として導入した「EVA(経済的付加価値)」だ。これは「税引き後営業利益から資本コストを引いたものである。簡単に言えば、投資に対しどれだけリターンを得たか、つまりもうけたかが評価の対象となる」。そしてこのEVAは、「既存のビジネスが利益を生み出している時」には適しているが、「当面利益を考慮できない先行投資などにはなじまない」という問題をはらんでいる。つまり、評価されるためには「税引き後利益を増やすしかない」ため、当面は利益が見込めない開発などへの先行投資は敬遠され、おのずと「目先の利益だけを追い求めることに」なりがちなのだ。
さらにEVAは概念が難解なため、「実施に当たっては専門のスタッフが必要であり」、彼らが「本社スタッフとしてガバナンスに加わること」になった。この結果、「本社は現場感覚を一層喪失すること」になり、「本社は急速に官僚化」していき、開発や営業、マーケティングといった現場層はEVAという恐怖政治の下、急速に活気を失っていったのだという。
こうしたソニーの変容を受けて、著者はかつてのソニーには「顔があった」と概観する。「井深氏にはトリニトロン・カラーテレビ、盛田昭夫氏にはウォークマン、大賀典雄氏にはCDプレーヤーという一般消費者の誰もが知る」実績がある。一時期、マスメディアなどでソニー凋落の責任を問われた出井信之氏も、「いち早くインターネットをはじめとするネットワーク時代の到来とそれに対する新しいビジネス、ビジョン」を提示し、時代の寵児となった。しかし今では「ソニーらしい製品が生まれないこともあって、代表的な製品と『ソニーの顔』が結びつかない」――。
また著者は、「メーカーにとって研究開発と商品開発は両輪であって、そのバランスをいかにとるかが最も肝要だ」とも指摘する。そして「ブランド」とは、そうしたバランスを取った上で、自社が考える「品質」と、それに基づいて製品に込めた「メッセージによって担保されるものだ」と解説するのだ。ただし「ブランドは消耗品」のため、メッセージを発信し続けなければ「ブランド力は劣化する」。すなわち、ソニー神話が崩壊したのも、研究開発を軽視し、かつてのウォークマンのようなメッセージを発信できなくなったことに大きな原因があると喝破するのである。
さて、いかがだろう。ここ数年、経営環境はますます厳しくなり、多くの企業が日々を乗り切るために、中長期的な視点を持てなくなってしまったと言われている。だが、目先の利益ばかりを追い求めて、自社の信念やこだわりを市場に発信し続けることを忘れてしまえば、いずれにせよ疲弊していくだけなのだ。経営トップがビジョンを発信し、それが製品・サービスとして具体的に市場に還元され続けて初めて、“ブランド”は認知されるのである。
そして何より重要なのは、ブランドとは本質的に、マーケティング施策によって“作り出されるもの”ではないということだろう。井深氏の愛弟子で開発・製造畑一筋だった大曾根幸三氏に、著者が「ソニースピリット」について取材した際、このように答えたという。
「ソニースピリット? そんなことは外の人が言うことであって、中にいる我々は、そんなことを考えている暇もなかったし、とにかく毎日が新しいものを考えているだけでしたよ。新しい製品や技術を考えることは、技術屋には面白いですから、寝ずにでもやっちゃうぐらいでしたよ」――ブランドとは、作るものではなく、個々人のこだわりややりがいから醸成されるものなのだ。技術にたずさわるわれわれも、厳しい経済状況が続く今こそ、こうした原点に立ち返ってみることが大切なのではないだろうか。
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