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「新しいMacBook」を選ぶ本当の意味林信行の実機リポート(1/5 ページ)

新しいMacBookは、自分の目を信じる人だけに買うことが許された、久々のMacではないかと思う。

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「新しいMacBook」は次の時代を切り開く“attitude”

 ほんの少し前まで、Macを使うということは“attitude”――つまり姿勢、態度の表明――でもあった。


 Macを選ぶということ。それは「会社から支給されたから」とか、「皆が使うから」ではなく、吟味を重ねたうえで、自分のフィーリングに合うから、指の延長だと感じられたから、そして未来に一歩を踏み出せる気がしたから、ほかの人が何と言おうと気にせず、自分の目を信じるということだった。

 今では世界中のスターバックスで、「MacBook Air」を開き、仕事をしている人たちを見かける。しかし、初期にそれを始めた人々は、そういう人たちだったはずだ。

 ほかの人たちがやっていない新しいことに挑戦すると、周囲からは疑問の声があがる。

 1998年には「iMac? フロッピーディスクがないパソコンなんて不便で誰も使うわけがない」、2001年には「iPod? 音楽再生の機能しかないのに売れるわけがない」、2007年には「iPhone? あんなので人が通話している姿なんて想像もできない」といった声も聞こえた。だが、自分を信じる人たちは、「ハハハ、そうだね」と返事をし、「ハイハイ」と笑って聞き流し、それでも自分の声に従った。

 なぜなら、自分が信じたモノを使うことで、その先にある次の時代の風景が見えてくるから、そして自分自身がその風景を作り出す一員になれると思ってきたからだ。


 大航海時代やアメリカ西部の開拓時代の開拓者たちがそうだったように、最初に飛び出すのには、少しのやせ我慢も必要だったかもしれない。しかし、大胆な一歩を踏み出した後の、驚くべき爽快感、すがすがしさに「もう後戻りなんかしたくない」と思わされることもしばしばあった。

 例えば、これは筆者の好みの問題かもしれないが、形がよいと感じるバッグは手持ちハンドルなり、ショルダーストラップなりの1WAYの持ち方しか許していないものが多い。これに便利さを求めて、ハンドルもストラップのどちらも選べる2WAYや、背負うこともできる3WAYにしていくと、便利さと引き替えに、カッコよさはどんどん失われていく。

 世の中にはそれでも便利さを取る人もいれば、やせ我慢をしてでも自分の“attitude”を通す人もいる。どちらが正しく、どちらが間違っているというものではない。それはただ、生き方の違いだ。自分に合わないと思うなら、人のやり方にケチをつけるのではなく、自分のやり方を磨いたほうがよほどよい人生を送れると私は思う。

 ただ、この20年ほどを振り返ると、「気持ちのよい次世代」を使っている人たちの姿が1人また1人と増えていき、やがて「昔、言っていたあれは何だったの?」と首をかしげたくなるほど、手のひらを返してシレっとiPodやiPhoneを使い始めている人たちの姿も我々はたくさん目にしてきた。

 今回、これまでになく大胆に進化した「新しいMacBook」――この製品は、ほかの人たちが最初にどう評価しようが、それを使っている自分が好きになれそうだからと、自分の審美眼に賭ける勇気を持てる人だけに買うことが許された、久々のMacではないかと思う。

 もちろん、新しいMacBookは誰が使っても、一通りのことは十分こなせる製品に仕上げられてはいる。しかし、これまでのパソコンの常識に縛られている人が触るとヤケドをする。

 インタフェースが新しいUSB Type-Cに変わったことで、これまで使っていたビデオ接続アダプタ類も使えなくなり、新規に発売されたアダプタもやや高価。正直、本体の価格以外にそれなりの出費も強いられる。

 MacBookは、それすらも受け入れたうえで、新しい環境に適応でき、未来を先取りしながら、自身も柔軟に進化させたい人向けのパソコンだ。

 また、そもそもこれまでのパソコンの常識に縛られておらず、「パソコンは触ったとしてもWebとメールくらい」の初心者が、何か次の新しいチャレンジをしたいときに選ぶべき製品だ。

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